三話 『地図師』シルウェス-1
「色々と世話になったな」
「別に……」
ミケーネはそっぽを向いてそう答えた。
数分の後、落とし穴から這い出したクラフトは烈火のごとく怒ったが、別にアゼルに妙な事をしたわけではないとわかるとあっさりと許した。
自分が攻撃されたことは全く気にしていないらしい。
そんな妙にさっぱりしたところが、ミケーネは好きだった。
「じゃあな。また折を見て遊びに来る」
「ん。……楽しみにしてる」
とはいえ流石に気まずく、ミケーネは元気なく頷く。
「ありがとうございました、ミケーネ」
「ミケでいいよ。クラフトもそう呼ぶし」
「わかりました、ミケ」
アゼルはにっこりと笑う。
その無邪気な笑顔に少しだけ救われた気持ちで、ミケーネは彼女の頭を撫でてやった。
「そういや、次はどうするの? 天然のダンジョンでも探す?」
「いや、シルに連絡を取ろうと思っている」
クラフトがそう言った途端、ピシリとミケーネの表情が固まった。
「あいつならいい教師になってくれるだろう」
「あー……でもアイツっていつもどこにいるかわからないし、連絡取るの大変なんじゃない?」
「そうでもないぞ。確かにどこにいるかはわからんが、週に一度は俺の工房に来るしな」
「週一ですって!?」
「そ、そうだが」
食いつかんばかりに身を乗り出すミケーネに、クラフトはややたじろぐ。
ミケーネは何やら深刻な面持ちでぶつぶつと呟いた。
「なんだ? 何か問題でもあるのか?」
「……てく」
「ん?」
「あたしも、ついてく」
「はあ?」
クラフトは呆けた声をあげた。
「珍しいな、お前がダンジョンから出るなんて」
「うっさいな、たまにはいいでしょ」
「勿論だ。むしろ、歓迎する」
「えっ……」
ドキリと、アバターには存在しないはずの心臓が高鳴る気がした。
「アゼルが喜ぶからな」
この親馬鹿が。
ミケーネは心中で毒づいた。
「はい! 嬉しいです!」
「それに引き替えあんたは良い子ね」
なでりなでりと、ミケーネは再度アゼルの髪を撫でてやった。
「引き換えってなんだ」
「で? あいつが来るまで一週間待つの? クラフトの家で?」
クラフトの言葉をスルーして、ミケーネは尋ねる。
「それしかないだろう。こちらから探すのは、それこそ砂漠で砂金を探すような話だ」
「電話かメールでもありゃ楽なんだけどねえ……」
CC内には、電話もメールもまだ存在しない。
何故か。答えは単純な事で、それだけの文明がまだ発達していないからだ。
理由は二つある。
現代文明はあまりに高度化、分業化が進んでいるため、前提となる技術を作ることが出来る人間がいない。また、CC内の物理法則は大雑把に現実世界のそれを模しているものの、細かい部分が異なる為に単純にトレースする事が出来ない。
その為、現実での文明を再現するのがそもそも難しい、というのが一つ。
そしてもう一つの理由が、生産性だった。
CC内では基本的に、物を作るのも発見するのも人の意識、自我が必要だ。
要するに、工場での大量生産という手段が取れないのだ。
どんなものであれ、人が一つ一つ作らなければならない。
電線や交通網と言ったインフラの整備は、現実より困難なのだ。
そんなわけで、CC世界が出来上がってからおよそ四十年。
文明水準はおおむね中世程度で収まっていた。
「で、本当にお前も来るのか? 構わないが、知っての通り俺の工房は」
「三人も寝泊りできるスペースないよね、知ってる」
三人どころか二人すらない。ベッドくらいなら材料さえあれば数秒で作れるだろうが、スペース自体がないのだ。寝るときはクラフトとミケーネはログアウトしてしまえばいいのだが、小さな部屋で特にやることもなく一週間もクラフトと一緒にいるというのはミケーネの精神が耐えられる気がしなかった。
かといって、街中に出る気もしない。迷宮暮らしに慣れてしまった彼女にとって、あの芸術の街はあまりにも煩すぎる。
「……仕方ないか」
ミケーネは深くため息をつく。
「最終手段をとるよ。そうすれば、早ければ明日にも来るでしょ」
「最終手段?」
アゼルは首を傾げて尋ねた。
「ゴキブリホイホイみたいなもんよ」
それから三日ほどたった日。
アゼルが頭に本を乗せながら、食事のマナーについて学んでいるときだった。
迷宮内に鳴り響く軽快なメロディに、アゼルは首を傾げた。
「ごはん、出来ました?」
そうしながらも、彼女の頭の上に乗せられた本は崩れることなく、その側頭部へと滑って形を保つ。
「いや、これはうちの自動調理機の音じゃない」
何やら間違った方向に進化を遂げている気がするアゼルのバランス感覚に疑問を抱きつつも、クラフトはそう答えた。鳴った音楽はクラフトが現実で使っている自動調理機が立てる音と全く同じで、アゼルは勘違いしてるのだろう。
「あれ、クラフトも調理器同じの使ってるの? 運命を感じるなあ」
「それでこれは何の音だ?」
いつものようにミケーネの言葉を無視してクラフトは問う。
「流した情報に引っ掛かった魚が、釣れた合図かな」
ミケーネが言うと同時に、扉が乱暴に開かれた。
複雑な意匠が施された両開きの大きな扉は、クラフトたちが出入りしている客専用の裏口ではなく、正面ルート……つまり、十階層の迷宮を踏破してきた者だけが通る道だ。
そこからぬっと姿を現したのは、一人の女性だった。
女性にしては長身なその背は、クラフトと同じ程度だろうか。
氷を思わせるような青銀色の髪を真っ直ぐに長く伸ばし、目元は猛禽の如き鋭さを持っていた。
硬質なブーツの音をカツカツと鳴らしながら彼女は進むと、両手に持っていた何かをどさりと地面に落とす。
力なく床に転がるのは、コマとスレイだ。
アゼルがそれに気づいた瞬間、女は獣の様にミケーネに襲い掛かった。
「『回転床』!」
ミケーネの指先の空間がぐるりとねじ曲がる。
座標はそのままに方向だけを変える特殊な転移を、女は無理やり筋力でねじ伏せた。
タイミングを完璧に合わせ、その転移の勢いさえ利用した回し蹴り。
「『ガラスの回廊』!」
その前に立ち上る不可視の防御壁を軽々と打ち崩し、女は体勢を整え直しながらぐっと腕に力を込める。
「『牢獄』!」
その一瞬の隙をついて、ミケーネは彼女を鉄格子の中に閉じ込めた。
「『工房』、『鉄の扉』、『鶏小屋』!」
金づちが周りを踊り、あっという間に牢獄に鉄の板を打ちつけて鉄格子の隙間を埋め、そして中からけたたましい鶏の声が響いた。
「ふぅっ」
良い仕事をした、と言わんばかりにミケーネは額を拭う。
しかし一瞬ののち、その瞳は驚愕に見開かれた。
ギギギギギ、と軋んだ音を立て、鉄の板が曲がっていく。隙間から鋭い瞳が爛々と輝いて除き、鶏の白い羽が辺りに舞い散った。
「ひっ……」
彼女が短く悲鳴を漏らすと殆ど同時に、衝撃音が響き渡る。
「……?」
長身の女が渾身の力を込めて放った右拳は、アゼルの掌によって受け止められていた。
女はその鋭い瞳を、ほんの僅か見開く。
「そこまでだ」
互いが本気になって戦い始めてしまわないうちに、クラフトは間に割って入った。
「わざわざ来てもらって悪いな、シルウェス」
逃げ出した鶏たちを足で追い払いながら、クラフトは彼女の頭についた羽を払ってやる。
「ん」
シルウェスと呼ばれた女は短く答えて首を横に振り、全身に漲らせていた緊張を解く。
「あれ」
そして後ろを振り返り、地面に転がったままのコマとスレイを指差した。
「ああ、あれはミケが魔法で作った魔物だ。オリジナルじゃない」
魔物はその本性が無事であれば、比較的簡単に復活させることが出来る。
アゼルの発見によって偶然生まれたそれを、ミケーネが守衛として再配置していたのだ。
シルウェスはこくりと頷き、
「弱かった」
短くそう呟いた。
オリジナルより弱かったと言いたいのだろう。
しかし、とクラフトは気を失った二体の魔物を見やる。
気絶しているという事は、本性に戻っていないという事でもある。己の迷宮内であれば無類の強さを持つミケーネでさえ倒すしかなかった魔物たちを生け捕りにする。凄まじい技量だった。
「誰」
次にシルウェスはアゼルに鋭い視線を向けた。
アゼルは怯える様に眉を寄せて、クラフトの背に隠れる。
「あたしとクラフトの子供だよ」
クラフトが何か言う前にミケーネがそう言って、シルウェスは何か言いたげにクラフトをじっと見つめた。
「まあ……嘘ではないが」
「そ」
短く答え、シルウェスは髪をぱさりとかきあげる。
「………………おめでとう」
そしてそのまま三十秒ほど停止した後、掠れた声でそう言った。
「いや、何か多大な誤解をしている気がするぞ」
まさか真に受けるとは思わず、クラフトの方が狼狽える。
「えと……アゼルといいます。はじめまして」
クラフトと言葉を交わしている事で多少は安心したのか、アゼルは一歩前に出てぺこりと頭を下げた。ここ数日で教え込んだ礼節に則った、美しい礼だ。
「シルウェス」
対してシルウェスはただ、名前のみを名乗る。
アゼルは戸惑うように、クラフトに視線を向けた。
「悪い奴じゃないが、少し無口でな」
「少し? これが少し?」
そんな彼女を撫でてやりながら、クラフトは茶化すミケーネを無視してそうフォローする。
「シル。この子はミケが作った人工意識だ。身体の方は俺が作った」
「そう」
シルウェスの瞳が、僅かに見開かれる。その視線がアゼルを射竦めた。
「……凄いね」
「おお……こいつ、二言喋ったぞ、珍しい」
途端、ミケーネにシルウェスの拳が飛び、また数度の攻防が繰り広げられる。
「お前にアゼルを仕込んで欲しいんだ」
それを気にも留めずに、クラフトはそう言った。シルウェスの拳がピタリと止まる。
「アゼル。こいつは『地図師』。この世界で一番の、冒険者だ」




