表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/64

幕間 『名湯』ダンジョンの湯

 ぴちょん、と水滴が湯船に落ちる音が響き渡る。


 ミケーネのダンジョンの奥深く。彼女が普段居住区にしている階層の更に奥底。

 自慢の大浴場で湯船に浸かりながら、彼女はだらだらと汗を流していた。

 それは湯で温度が上がったことによる発汗ではない。心理的動揺による汗であった。

 彼女の心が絶え間なく、焦りを発見して、汗という形で湧き上がってきているのだ。


「ふう……良い温度だな、ミケ」


 その隣でやはり湯に浸かりながら、クラフトが大きく息を吐く。

 更にその隣で、きゃっきゃとはしゃぐアゼルは実に可愛らしいが、それどころではない。


 どうしてこうなった……ミケーネは心の底から、そう呟いた。






「とりあえず、これで良し……と」


 ぐいと汗を拭い、クラフトは大きく息をついた。


 アゼルの美しい髪は炎によって縮れ、その肌はところどころ火傷によって跡がついてしまっていた。それを、何とか修復したのだ。


 アゼルの身体は人間同様普通に再生するが、万一火傷の痕でも残ってしまえば大変だ。クラフトは彼女を治療した後、大急ぎで義体の再生に入った。


「お疲れ。こっちも出来たよ」


 ミケーネは鉱石から作った眼鏡を、アゼルにかけてやる。


「待て」


 それをすぐさま、クラフトが取り上げた。


「コードキャスト、エディットモード」


 濃紺の世界はほんの一瞬。

 さらりと撫でるようにクラフトが指を瞬かせると、一瞬にして眼鏡のデザインが一新された。黒縁の武骨なデザインから、アンダーリムの洒落たデザインに。

 下手にいじればミケーネがつけた魔術の効果も消えてしまう所だが、上手く形だけを変える腕前は流石のものだった。


「もう、目を開けていいですか?」


「ああ、構わないとも」


 眼鏡をかけて、アゼルはぱちりと目を開いた。

 余計なものを発見してしまわない為の道具。要するに、魔物を発生させる魔法を無効化する眼鏡だ。


 ふむと唸った後、クラフトは手早くアゼルの髪を纏め、手元から布を取り出すと瞬時にリボンに形成して縛り上げた。


「よし、実によく似合うぞ」


「本当ですか?」


 不安げに尋ねるアゼルに、クラフトは相好を崩して頷く。

 今までそのまま伸ばしていた髪をポニーテールに纏め、眼鏡をかけた姿は知的美人と言った風情だ。


 とは言え、それ以外は酷い有様だった。

 肌は直し髪も整えたが、アゼルは体中煤だらけで服も焼け焦げ、ボロボロになっている。


「折角整えたけど、風呂に入った方がいいかもね」


「む……それもそうだな。傷を修復するのに集中して気付かなかった」


 無から有を作り出せないのと同じ理由で、有を無にする事も出来ない。

 魔法で傷は治せても炎から生まれた煤を消す事は出来ず、洗い流さなければならないのは現実と一緒だった。


「じゃ、先にあたしたち入ってくるね」


「待て」


 当たり前の様にアゼルを連れて浴室へと向かおうとするミケーネの肩を、クラフトはがしりと掴んだ。


「何をどさくさに紛れて、一緒に入ろうとしてるんだ」


「どさくさって……いや、可哀想でしょ? こんなススだらけになっちゃって」


「それは勿論だ。だが、なんでお前も一緒に入る」


「そりゃあ、女同士だし」


「お前は男だろう」


 ぐっとミケーネは言葉に詰まった。


「じゃあ何、クラフトが入れるっていうの?」


「当然だろう」


「何言ってんのさ、この変態!」


「変……変態だと!? 馬鹿を言うな。俺はアゼルの親だぞ」


「それを言うんだったら、あたしだってアゼルの親でしょ!」


 今度はクラフトが言葉に詰まる番だった。


「だ、だが、アゼルの身体は俺が作ったんだ。当然、隅から隅まで熟知している。今更裸を見てどうこう言うものでもないが、お前は違うだろう」


「あたしだって見た目は女なんだから、問題ないでしょ!」


「いや、その理屈はおかしい……いや、そうでもないのか?」


「あの……良くわからないんですけど」


 喧々諤々と言い合う二人に、おずおずとアゼルは口を挟む。


「私は、三人がいいです」


 純粋無垢な言葉に、二人の親は口を噤んで顔を合わせた。






 そして、話は冒頭に戻る。

 湯船に深く身体を沈めながら、ミケーネはちらりと横目でクラフトを見つめた。

 魔法使いではあるものの、彼の身体は意外とがっしりしている。


 黒い髪に茶の瞳、上背はすらりとして、目つきはやや鋭い。

 引き結んだ口元はいつも真一文字で、無愛想だが誰よりも優しい事を、ミケーネは知っている。


 仮想義体(アバター)だ。あれはアバターに過ぎない。

 ミケーネは必死に自分にそう言い聞かせた。


 アバターというのは、人間がCCで活動するにあたって作られた義体の一種だ。

 基本的にはあらかじめ現実で測定した本人の情報を流用するので、その姿も本人同様。しかし、それを弄って体格や顔形を変えることも出来る。


 というより、殆どの人間はそうしている。

 多少の造形を変えるのは、一から作り出すのとは比べ物にならないほど簡単だ。


 そしてそこに、一つの暗黙の了解があった。

 現実とかけ離れた姿にする場合、髪と目の色も現実にはありえない色にする、というものだ。例えば、銀とか、青とか、三色メッシュだとか。


 そんな髪の色をしている連中は大抵、現実とは全く違う姿をしている。髪の色だけを変えるという人間はあまりいない。


 翻って、クラフトである。彼は黒い髪に茶の瞳をしている。

 多少彫りは深いものの、顔立ちも典型的な日本人男性のものである。


 あの姿はもしかして、現実そのままなのではないか。

 ミケーネはそう思うのだ。そしてその考えに、彼女の頬はどんどん赤くなっていく。


 どうしてあんなことを言ってしまったんだろう。

 ミケーネは、過去の自分の言動を今までで一番後悔した。


 彼女とクラフトが出会ったのは、もう何年も前の事だ。

 その頃は互いに超一流などと呼ばれる御大層なものではなくて、駆け出しの魔法使い同士だった。


 人間嫌いだったミケーネと、どこかピントのずれたクラフト。

 変わり者同士意気投合し、友人となるのにそう時間はかからなかった。


 何がきっかけになったのかは、もう覚えてない。


 『あたし、本体は男なんだ』


 その頃のミケーネは誰も信じていなかった。

 だからつい、そう言ってしまったのだ。


 そう言っても、クラフトのミケーネに対する態度は全く変わらなかった。


 変わったのはこちらの方だ。

 同性であることを盾に、冗談めかしてクラフトにモーションをかける。

 クラフトは殊更冷たくそれを切って捨てる。


 そんな関係が心地よくて。



 ――気付けば、実は女だなどとは言い出せなくなっていた。



「よし、アゼル。目をつぶれ」


 ざばざばと音を立てて、クラフトはアゼルの髪を湯で洗い流す。

 いつの間にか湯船から出て、親子は身体を洗っていた。


 親子と言っても、アゼルの姿は完全に成人女性のそれだ。

 どちらかと言えば睦まじい夫婦の様にすら見える。


「あああああんた、何やってんのー!」


 思わず立ち上がり、ミケーネは叫んだ。


「何って、身体を洗ってやってるんだが」


 突然叫びだしたミケーネに驚き、クラフトはこちらへと視線を向ける。


「こっち見るなあああ!」


 突然開いた落とし穴に、クラフトの身体は真っ逆さまに落ちて行った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ