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二話 『迷宮主』ミケーネ-8

 ごう、と炎が渦を巻く。

 コマの口から吐き出されるそれは、彼自身の身体を為す炎とはわけが違う。

 迷宮の岩壁が溶け、表面がガラス化する程の熱量を持っていた。

 幾ら熱耐性を強化しているとはいえ、まともに受ければアゼルの身体もただでは済まない。


「コードキャスト、『氷の矢』、五本、瞬間!」


 クラフトの指先に氷が生まれ、コマに向かって飛んでいく。

 しかしそれはコマの身体に触れる前に溶けて消えた。


「えと……コードキャスト、『風の壁』、三歩、瞬間!」


 火勢を少しでも和らげようと、アゼルが魔術を放つ。


「くっ!」


 クラフトはアゼルの前に出ながら、左手で紋様を描いた。


 アゼルの放った風を喰い、炎が激しい勢いで燃え広がる。

 クラフトの使った魔術が、それをアゼルの鼻先数センチの部分でギリギリで防いだ。


「風と炎は使用厳禁だ。効かなくとも土か水、氷で戦え」


「は、はいっ」


 コマにとって炎は身体そのもので、ただ息を吐くだけでそれは火球となって飛んでくる。

 詠唱にしろ紋章にしろ、魔術では対処はとても追いつかない。クラフトはその両方を使って炎を防ぐが、迎撃する余裕まではなかった。


 コマがぐっと四肢を突っ張らせて、前傾姿勢を取る。

 クラフトは己の懐に手を突っ込んで、魚の置物を投げつけた。


「スパイン!」


 名を呼べば、それは空飛ぶ槍のような姿をした魚となって宙にヒレをそよがせる。

 そして牙を剥き、爪を振りかざして跳びかかってくるコマに向かって、スパインはその頭についた剣の様に鋭い角で切りかかる。


 コマの爪と、スパインの角がガッチリと噛みあい、宙で動きが止まる。


 しかしそれも、一瞬の事だった。


 コマの鋭い爪によってスパインの角はずるりと切れ落ち、逆巻く炎によってあっという間に炭化してしまう。その光景を見て、クラフトは舌打ちした。


 自分の人形に、自分の人形を壊されるとは。


 CCの世界は、電子データで出来た仮想世界だ。

 しかし電子データであるにも関わらず、その内部データを複製する事は不可能だった。

 失われたものは、二度と取り戻す事は出来ない。


 なぜなら、この世界は円周率の写しだからだ。


 内部でデータをコピーするという事は、つまり円周率の中に新しい桁を発生させるという事だ。そんな事をすれば、円周率は円周率でなくなってしまう。


 勿論、全く同じものを作ることは出来る。全く同じように見えるものなら。

 円周率は無限に続くのだから、どんなデータであれ、それは円周率のどこかに無限個存在している。


 しかし全く同じデータを別の桁から探し出す事が出来たとしても、それはやはり別のものなのだ。


 今目の前にいる、コマの様に。


「コマは……コマを戦わせることは出来ないのですか?」


「駄目だ」


 クラフトは首を横に振った。コマ同士なら、互角に戦える。

 それなら二人多い分、こちらが有利だと思ったのだろう。

 アゼルのその考えはある意味で正しい。しかし、ある一点を考え間違えていた。


 二人多い事がプラスになる、という点だ。


 炎というものは、合わさると途端に大きくなる。

 炎と炎は相殺したりせず、寄り集まって周りに更なる破壊をまき散らすだけだ。

 しかも、コマには炎が一切通じない。

 牙や爪での戦いになって、一対一なら、恐らくは相打ちになるだろう。


 だがこんな狭い場所では、アゼルとクラフトはその前に焼け死んでしまう。

 足手まといにしかならないのだ。


 CCでの死は、現実での死を意味しない。

 焼け死んだところでクラフトは元の世界に引き戻され、また自分のアバターを作る所から始めるだけだ。


 この世界はゲームではなく、ゆえにキャラクターの成長という概念もない。

 アバターを作り直したところで、彼は何も変わらない。

 手持ちの所持品は一緒に燃やされてしまうだろうが、工房に保存してあるその他の財産は仮想世界内の法によって保護されるし、作った魔術などもアカウントに紐づけられている。


 だが、アゼルは別だ。彼女という存在はこの世界にしかいない。

 燃やされてしまえばそれまでだ。アゼルの身体と人格は永遠に失われてしまう。


「……逃げろ、アゼル」


 ここまでか、とクラフトは判断した。

 クラフト自身はコマの炎を防ぐのに精いっぱいで、手持ちの人形達はアゼルも含めてコマに勝てるものはいない。


「え?」


「俺が食い止める」


 逃げた先でアゼルがもっと厄介な敵に出会う可能性もある。

 だが、クラフトは彼女が無事逃げ切れる方に賭けた。


「コマを持っていけ。そして、ミケーネと合流するんだ」


「嫌です!」


 予想外に大きな反発に、クラフトは瞠目した。


「俺は死んでも問題ない。だが、お前は殺すわけにはいかないんだ」


「それでも、嫌です!」


 アゼルはぶんぶんと首を横に振った。

 彼女も、自分とクラフトがそれぞれ死ねばどうなるかは知っている。


「アゼル、聞き分けてくれ」


 しかしアゼルはそれでも答えず、目に涙を浮かべてただクラフトの手をぎゅうと握った。

 その眼にクラフトは、同じなのだ、と気付く。


 彼にとっては自分のアバターが壊れた所で、直せばいいだけの話だ。

 なぜならその本質は現実世界にあり、アバターを変えた所で連続性は途切れない。


 しかし、アゼルにとってはそうではない。彼女には、この世界しかないからだ。


 一度死んで、作り直したとして。

 それがクラフトであるという事を、誰がどう証明するというのか。


 アゼルにとってはこの世界でのクラフトの死は、やはり死なのだ。

 少なくとも、彼女の眼はそう訴えかけていた。


「……わかった。アゼル」


 とうとう根負けして、クラフトは覚悟を決めた。


「時間を稼いでくれ。60秒でいい。いいか、絶対に炎だけは浴びるな。距離を取りながら牽制するんだ」


「はいっ」


「コードキャスト、『火炎からの防護』、一体、60秒」


 嬉しそうに頷くアゼルの頭に手を置いて、クラフトはそう呪文を唱える。

 クラフトの使う魔術は、持続時間と威力が反比例するように作ってある。

 六十秒も効果が続く魔術では、コマの炎を防ぎきれない。


 アゼルが、走った。


 風の様に通路を駆け、炎を繰り出さんと口を開くコマのこめかみに、迷うことなく蹴りを入れる。


 じゅうと音がして、彼女のブーツが焼け焦げた。吹き飛ぶコマを見ながら、身体の温度であれば何とか耐えられると彼女は判断する。


 コマは空中でくるりと体勢を立て直し、喉の奥に溜めていた火炎の吐息を吐きだした。

 荒れ狂う炎の渦を、アゼルは前方に転がって素早く躱す。


「コードキャスト、『氷の矢』、一本、瞬間!」


 そして手の平を向け、氷の矢を放つ。それはすぐさま溶けて消えるが、通用せずとも撃つしかない。クラフトに注意を向けさせるわけにはいかないからだ。


 コマは大技では捉えきれぬとみて、ぼ、ぼ、ぼ、と小刻みに火炎弾を放つ。

 アゼルはくるくると地面の上を跳ねて避けながら、距離を詰めた。


「コードキャスト、『石の剣』、半歩、三拍!」


 彼女が蹴り上げた瓦礫の粒が、みしみしと音をたてて長さ九十センチの剣へと成長する。

 それを空中で手に取って、アゼルはコマに向けて振り下ろした。


 びゅうと風を切って振り下ろされるその剣を、コマはがっちりと牙で受け止める。

 そしてそのまま、喉の奥から炎を吐き出した。


「あっつっ!」


 石を伝ってじゅうと焼ける手の平に、アゼルは剣を投げ捨てる。

 剣は三拍過ぎて、元の瓦礫に戻ってぼろりと崩れ去る。


 ひるんだ彼女のその喉笛に、コマが飛びかかった。

 鋭い牙が無防備な白い首に突き刺さる。


 アゼルはその横面を、思い切りなぐりつけた。


「クラフトは、炎に注意しろとだけ言いました」


 アゼルの首には傷一つない。


 コマの最大の攻撃はその炎だが、物理的な攻撃力もけして低くはない。

 低くはないが……アゼルの肌に傷をつけるほどでは、ない。


 アゼルはじゅうじゅうと手の平が焦げるのも構わずに力を込めて、コマを壁面に押し付ける。


「熱いけど……こうしていれば、火は吹けませんね」


 コマは身体の側面を壁に押さえつけられたまま、じたばたともがいた。

 その口から炎が漏れるが、彼の身体と首を押さえつけているアゼルにはどうやっても当たらない。


「無駄です。後は、クラフトが……」


 突如、その壁がどろりと溶けて手ごたえが無くなり、アゼルはつんのめった。


「……!」


 膝をつくアゼルの目の前で、ちかりと炎が瞬く。

 彼女の視界を、紅蓮の炎が覆い尽くした。



「……待たせたな」



 何よりも信頼している声に、思わずぎゅっと瞑っていた目をぱちりと開く。

 アゼルの目の前には、赤熱した鉄の盾がそびえたっていた。


 それを辿って上を見上げれば、金属製のゴーレムが腕を突きだし、アゼルをコマから守っている。がしゃん、と音をたててゴーレムの腕が開き、放熱板から蒸気が漏れた。


 アゼルが稼いだ六十秒。

 そのたった六十秒でクラフトが作り上げた、対コマ専用のゴーレムだ。


「いけ、えーと……テツオ!」


 名前まで凝る時間はなかったのだろう。

 これ以上なく安直な名をつけられたゴーレムはクラフトの命に従い、緩慢に腕を伸ばす。

 コマは反射的に炎を吹くが、テツオは赤くなるだけで全く効いた様子はない。


「アゼル、もう戻ってきていいぞ」


 手招きするクラフトに、アゼルは彼のもとに軽やかに向かった。


「全く、無茶をして……」


 クラフトはススにまみれた彼女の頬を、ぐいと拭ってやる。

 折角の髪の毛がチリチリと焦げていて、酷い姿になっていた。


「がぅっ、がぅぁっ!」


 コマが苦悶の声をあげる。炎を滅茶苦茶に吹きだし、爪でテツオをしきりに引っ掻くが、そのどちらもテツオには通用しない。


「無駄だ。お前の出す炎の温度は完全に把握している」


 幾ら傑作とは言え、自分自身の作品だ。それに特化した人形を作るのはそれほど難しい事ではなかった。幸い、材料も先程アゼルが倒したゴーレムで事足りた。

 テツオはゆっくりとコマを掴んで、力を込める。

 防御力に特化させた為スピードは殆どないが、それでもコマを倒すには十分だ。


「悪いがお前には壊れて……」


 クラフトの言葉を遮る様に、轟音が響く。


 粉々に砕け散るテツオを、クラフトとアゼルは愕然としながら見つめた。


 馬のいななく声とともに、蹄の音が高らかに鳴る。

 テツオを一撃のもとに破壊した八本脚の馬……


 オリジナルよりも随分小さなスレイの姿が、そこにあった。

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