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序話 『最高傑作』アゼル

 それは、巨大な彫像を彫る作業に似ていた。


 ノミを当て、木槌で石を薄く削っていく職人の様に、彼は慎重に、時に大胆に、修正を加えていく。一つ修正しては離れ、ぐるりと回って全体を見回し、再び修正を加える。


 それの、繰り返し。それを、彼はもう一年近くも繰り返していた。


 周囲にずらりと並ぶ白い小窓の一つに指で触れれば、更に無数に窓が飛び出す。男はその中から一つを選ぶと、少し悩んだ後、目盛りを二つ押し上げた。


 最初の窓を二度叩けばそこに吸い込まれるように他の小窓達は姿を消し、男が作っていたそれの姿が露わになる。


「……出来た……」


 男は呆然と眺め、知らず呟く。


 完全な美が、そこにあった。

 彼の仕事がついに、終焉を迎えたのだ。


 それは、女の姿だった。

 すらりと伸びた背に、長い手足。体つきは飽くまでたおやかに女性的な曲線美を保ちながら、無駄な贅肉は一かけも付いてはいない。肌は瑞々しく尻は張りに満ち、胸は大きすぎず小さすぎず、絶妙な調和を保っていた。


 顔は小さく、涼やかな目元にすっと通った鼻筋。紫水晶のような美しく艶やかな髪は芸術的なウェーブを描きながら腰まで伸びて彼女を彩り、こぼれ落ちそうなほど大きな空色の瞳はどこまでも澄み渡っている。そしてその顔立ちは、まるで蕾が花開くその瞬間を切り取ったかのように、あどけない少女の愛らしさと、成熟した女の色香を併せ持っていた。


 まさしく、男が求めたものその物。『完全に完璧な美』。


 この世でもっとも美しい『人形』だった。


 彼女は誰よりも何よりも美しい。しかしその瞳は何も映さず、完璧な調和のとれたその身はそれ故に関与する隙が無く、見る者の心を震わせない。


 だが男は気にすることなく、見惚れて安堵の息をついた。


『このキャラクターをセーブしますか?』


 そんな彼の頭の中に、女の声が鳴り響いた。

 この一年、ずっと聞き慣れたシステム・メッセージだ。


「ああ、頼むよ」


『では、名前を付けてください』


 システムにそういわれ、ようやく彼は名前をすっかり失念していた事に気付いた。


「名前か……どうするかな」


『ランダムにお付けする事も出来ますが』


「……いや、折角ここまで作ったんだ。最後まで自分で作るよ」


『畏まりました』


 眉根を寄せて、彼は思い悩む。人形作りの腕には自信があったが、名前のセンスとなると覚束ない。今まで作った人形達も同様に、こうして頭を悩ませるのが常であった。


「……決めた」


 考えること、数十分。


「アゼル。始まり(A)から終わり(Z)まで輝ける者(EL)アゼル(AZEL)だ」


 彼はシステムメッセージに、厳かにそう告げた。


『畏まりました。エディットモードを終了いたします』


 システムメッセージの声と共に、周囲の世界がぐるりと流転する。濃紺に染め上げられた果てのない空間は消え失せ、雑然とした小汚い部屋へと姿を変える。そして先ほどまで存在していた究極美を備えた人形は消え失せ、無骨な土くれだけがただ残っていた。


『転写開始』


 システムメッセージがそう言うや否や、帯の様な光の奔流が何本も土くれに絡みつく。光の帯が土くれの表面に巻きつき滑る度に土くれは磨かれ艶やかに輝き、形を整えていく。


 全ての光が消え去った後、そこには先ほど男が作り上げた人形と寸分たがわぬ女の姿があった。


 男は自分の小指に嵌めていた指輪を抜き取ると、人形の左腕を取って持ち上げる。そして、その人指し指へと滑らせた。


 その瞬間、完璧なる美は失われた。


 ガラス玉のように純粋だった瞳には意思の光が宿り、絹のようになめらかでどこまでも白い肌には赤みがさす。人形だった彼女……アゼルは、その完全さを失う代わりに命の美しさを手に入れ、生まれた。


「気分はどうだ? アゼル」


 男の声に目を瞬かせ、アゼルは辺りを見回す。


「とても……不思議な気分です」


 その声色は、先ほどまで男を補佐していたシステムメッセージのものだった。


「世界は、こんなかたちをしていたのですね」


 アゼルの『本体』……その意識が宿る指輪には、聴覚しかない。しかし人形という身体を得た今、彼女はものを見、己の身体の重さを感じ、寒さに体を震わせた。


「おっと、すまん。服を着せるのを忘れていたな」


 土くれからは服まで作れない。アゼルは文字通り生まれたままの、一糸まとわぬ姿であった。慌てて、男は用意しておいた服を渡してやる。


「ええっと……」


 受け取ったワンピースを、アゼルは困ったようにくるくると手の中で回した。


「そうか、着方もわからないか」


「すみません……」


 申し訳なさげに項垂れるアゼルの頭を軽く撫で、男は彼女に服を着せてやる。シンプルな造りのそれは、頭からかぶせて腕を通してやればそれで装着完了だ。


「いや、生まれたばかりなのだから仕方ない。わからない事があれば何でも聞け。俺は、お前の親の様なものなんだからな」


「……じゃあ、一つだけ、質問をしていいですか?」


「何だ?」


「あなたの名前を、教えてくれませんか?」


「……教えて、なかったか」


「はい」


 こくりと頷くアゼルに、男は手を額に当てて天井を仰ぐ。娘の名前を考えていなかったどころか、自分の名前さえ教えていなかったとは。今までアゼルは義体の制作のサポートに徹していたとはいえ、一年近くも付き合っていたのに、酷い失態だ。しかし言われてみれば二人きりでずっと作業をしているのに名を呼ぶ必要などなく、今まで互いに呼んだこともなかった。


「えーと、そうだな……こっちでは、クラフトと名乗ってる。お前もそう呼んでくれ」


 男は己の杜撰さに苦笑しつつも、愛娘に告げる。


「はい。それでは改めまして……これからよろしくお願いします、クラフト」


 完璧さを失った……しかしそれ故に愛らしい笑顔で、アゼルはぺこりと頭を下げた。

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