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 しばらく、森の中は御子と王と近衛兵と騎士団長による追走劇で騒がしくなった。この王城裏手の森も邪神が封印される以前は穢れた獣どもがはびこり、城下町への侵入を防ぐべく兵が定期的に巡回していたような場所であるが、今は野生動物の暮らす豊かで平和な森である。



「御子様ァーッ!」



 おそらくはこの中で一番御子に思い入れのある騎士団長の大声が絶え間なく響き、御子は捕まる恐怖に怯えながら必死で素足を進ませた。脚は枝や石につまづき引っかかれ、森に入る時よりも傷だらけになり、いつの間にか彼女のまわりは大小多数の獣どもが現れともに走っている。


 御子は乱れた呼吸を無視し走り続けた。このまま進めば王城を他国より守る険しい山脈があり、御子はそれを越えまだ行った事のない国へ逃れようと走る。


 しかし、途中で王側に大臣が動かす軍隊が加わり御子はしばらくして捕まった。彼女が捕まる際まわりを取り囲んでいた獣どもが兵に襲いかかり、討伐しようとする兵の前に御子が躍り出たため、王や近衛兵、騎士団長が御子の所に到着した時には軍が御子を囲んで広く円陣を組んでいるような状態であった。


 彼女は円の中心で、穢れた小さな獣どもを抱きかかえ俯いていた。御子の周りには穢れた大きな獣どもが牙をむき、まるで御子を守ろうとするように兵士達を威嚇している。


 王は手を出しあぐね、なんと声をかけるべきなのか迷った。王が口を閉じてる間に騎士団長は御子を取り囲む円から一歩、御子へ歩み寄り、彼女を呼ぶ。



「御子様」



 兵士や王を威嚇していた大きな獣どもがチラリと御子を見た。御子は顔をあげ一度団長を見上げたが、また俯いて顔を隠す。



「そちらへ行ってよろしいか」



 騎士団長の言葉に、御子は首を振って拒絶した。団長は男らしい顔付きを悲しげに歪め、近付かずせめてと声をかける。



「お怪我の手当てをしましょう。その獣達にはけして手を出しませんから」



 団長の言葉に周りにいた兵士が一気にざわついた。穢れた獣はすぐに討伐せねばどんどんと成長し災いをもたらす。軍にいるもの、騎士であるもの、力を持つならば必ず討伐すべき敵であると、団長を含め彼らは幼き頃より教えられていた。



「騎士団長殿、しかし!」



 声を上げる兵士を、騎士団長は一睨みで黙らせた。



「御子様が殺すなとおっしゃるならば私は殺さず守ります。ですから御子様、我らと帰りましょう」


「……か、え……る」



 団長の言葉に、御子の目に先程まではなかった仄暗い憎しみが宿る。御子は強く団長を睨み付けた。彼に罪はない。責任もない。しかし御子は許せなかった。例えともに旅をし、同じ様に傷付き、背を預けた彼にさえ共有できないものがあるのだ。



「私は帰れない!」



 この世界に住まう誰にも、その言葉だけは言われたくないのだ。



「私の帰る場所には、もうどうやっても行けない! 帰れないのよっ」



 御子の声を枯らす絶叫は、騎士団長の心臓をぐさりと貫き、王の葛藤を締め上げ、近衛兵から言葉を奪い、取り囲んだ兵士達に刺さった。


 御子はしっかりとわかっていた。この場にいる誰もが、その事に関して何の責任もないことを。だからこそ彼等が妬ましく憎らしかった。己は帰れず彼等には帰るべき大地がそこにあり、己はこんなにも憎しみに溢れているのに彼等はこの先平穏だ。


 憎むべき絶対悪は倒され、召喚を行った神は何処かへ幽閉され、彼女はただひとり己の内側に潜んでいた感情をぶつける相手のいないまま取り残された。


 希望に満ち動き出すまわりにぽつりと動けない己だけが。


 妬ましい。帰る場所があるこの世界の人々が。憎らしい。己という礎に平穏を歩むこの世界の人々が。


 何よりも、この感情に苛まれる己が厭わしい!


 御子は何度も何度も繰り返しこの感情を殺そうとした。寄る村々で必死に生きる人々を助け、豊かな自然の景色を眺めこの世界を、人々を愛そうと必死だった。


 けれども、ふと思い出すのだ。夜独りで眠る時、恐ろしい獣と戦う時、誰かと未来について話す時、故郷の風景や友人の顔、持っていた夢や家族の顔を。不便を感じなかった故郷、命をかける怖さなど知らなかった故郷、口論や喧嘩をしてもけして己を見捨てない父と母を。忘れる事など出来る筈がなかった。


 それはこの世界にすべて奪われたものなのだから。



「わたしは、聖人君子になんてなれない」



 呟いた御子の頬を、彼女の腕に抱かれた小さな獣達がペロリと舐める。大きな獣達は彼女にすり寄り、ごわごわとした毛皮で彼女の肌を撫でた。


 その場にいた誰もが、言葉もなく立ち尽くす。


 アバロンの王は、やるせない悲しみと憐憫、罪悪感に苛まれながらも決断せねばならない立場であった。彼は国民全員を守る義務のある王で、今現時点において御子の身柄を預かる保護者であったが、世界の人々を守る決断をせねばならなかった。


 王とは。彼は今まで行ってきた無慈悲な判断を後悔しなかっと言えば嘘になる。


 王とは……多数の為に時に少数を切り捨てる責任をおわねばならない。


 より多くを助けるために。



「御子よ、ひとまずは王城に戻り、怪我の手当てを受けよ。そなたが来なければその獣どもはここで討伐せねばならぬ。放置すればいずれ強大な災厄となろう。しかしそなたが獣を御せるならば、王城にともに入る事を許そう」


「王よ……!」



 騎士団長は王の言葉に強く抗議の声を上げたが、王はそれを不敬と咎める事はしなかった。彼女には絶対的な味方が多く必要なのだ。この世界を呪い厭い、この先彼女が本当に世界と敵対してしまったとしても彼女を愛し許すものが。彼女をこの世界へと繋ぐものが。


 御子は王を憎しみのこもる目で睨みつけたが、大人しく立ち上がった。御子の脚を気遣い兵のひとりが手を出したが、御子は一言「触るな」と告げ、己の脚でしかりと歩き出した。


 戸惑う兵団を抜け、騎士団長に目もくれず王を強く、強く憎悪のこもる眼差しで睨む。



「この獣に手を出すならば、私は如何なる方法を用いても必ずやこの世界へ邪神を呼び寄せるぞ、アバロンの王」



 そう吐き捨て御子は獣どもを引き連れ王城へ向かい歩き出す。誰をも拒絶した背中は、この場にいる誰よりも華奢で小さかったが、気高く、孤高の儚さすら踏みつける強い気配を放っていた。





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