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朱羽ドリーミン  作者: 枕木悠
プロローグ
5/14

 大工事で道幅の広がった御堂筋を通って、船場の適塾までは自転車に乗って約十分かかった。資生堂の看板を目印に大通りを右に折れる。するとすぐに適塾が見えた。大柄の警備員が一人、門の前に立っていた。警棒で肩を叩きながら、欠伸をして、とても退屈そうにしている。齢は四十代半ばくらいだろうか。軍隊で指揮を飛ばしていたような精悍な顔つきだ。その向かいに適塾と同じような門構えの邸宅が見えた。その前で自転車を止める。大橋が門を押した。閂はされていなかった。鳴滝は警備員の威圧的な視線を感じた。

「どうも、警察です、」大橋が頭だけ出して、歯切れのいい声で言った。「……返事がないな、……入ろうか?」

 大橋は鳴滝が頷くのを待たずに足を踏み入れた。鳴滝は躊躇いながらも大橋に続いて、門を潜る。そのとき、かまぼこ板くらいの表札を見つけた。『漏陽庵』。そう書いてあった。表札から零れるほど勢いのある文字だった。鳴滝は後ろ手で門を閉めた。

 そのおり、屋敷の中から金切り声が聞こえた。

「アンタ、邑田先生の何なの!?」

 殺人が起こるのではないか、と思う声だった。大橋は振り返って鳴滝を見て、苦笑した。鳴滝は無言で頷く。スーツのポケットからいつでも警察手帳を出せるように準備して走る。

「警察です!」大橋はがなって玄関の戸を開けた。鳴滝も続く。靴を乱暴に脱いで、廊下を走る。襖を片っ端から開けていく。

「外人は日本から出て行け!」

 とてもラディカルで、ファナティックな罵声。それは先ほどの声とは別人だった。「落ち着いて!」という宥める声と「にゃにゃにゃにゃにゃーん」という調子はずれな歌も聞こえた。他にも誰かいるようだ。騒がしい。その空間はもっと奥の方だ。屋敷は横に長かった。

「殺してやる!」悍ましい声が聞こえた時、鳴滝はやっと正解の襖を開いた。

 時間が止まったかと思えるほどに、正解の襖の奥にいた、四人の女性は動きを止めた。

「おおう、ここだったか、」大橋が鳴滝の後ろから部屋を覗き込む。そしてわざとらしく息を吐く。「ふぅ、よかった、いやあ、冷や汗を掻いたよ、どうやら殺人はまだ起こっていないようだ、本当によかった」

 互いに罵り合い、かつ首を絞め合っていたのは、金髪の外国人の女性と白髪に近い髪の色をしているまだ十四くらいの少女だった。その二人を引きはがそうと群青色の長い髪の少女が間に割って入っていた。その奥の縁側に座るのは日本人形のような長い黒髪の少女。その部屋は南に面していて陽射しが直接入ってくる。その奥には庭があって小さな池がある。鳴滝の専門ではないので庭の評価は避けるが、線香花火にはちょうどいい庭だと思った。

「警察です、」鳴滝は言った。「手を挙げて頭の後ろに、ああ、いえ、その必要は、ないようですが……」

大橋は鳴滝の横を通って部屋の畳を踏んで言う。「取りあえずゴールドの君とホワイトの君は手を離したまえ、いいね、同時にだ、どっちが先でも、後でも駄目だよ、さあ、せえの」

大橋に言われて、二人は首から同時に手を離した。しかしまだ睨み合っている。

「はあ、」群青色の少女は胸に手を当てて息を吐いた。「本当にありがとうございました、もうどうなることかと、遅かったらもうこの屋敷がどうなっていたか分かりません、いいえ、この屋敷だけじゃなくてこの辺り一帯が大変なことになっていたでしょう、ああ、本当によかった」

「?」訳の分からないことを言っているが、鳴滝は彼女のユーモアだと思って苦笑しながら答えた。「そうですか、いえ、でも偶然なんですよ、僕たちが来たのは」

「本当に警察?」金髪の女性は鋭い目で言う。目の色はとても鮮やかなブルー。

 その質問は今までもこれからも何回もある。鳴滝は警察手帳を見せた。

金髪が言う。「ふうん、……この街の警察は動きが早いのね」

「いえ、偶然なんですよ、」警察を舐めている口ぶりにいら立ちながらも鳴滝は微笑みを絶やさずに聞く。「ところで、あの、白鳥ヒナさんは、どなたでしょうか?」

白髪の少女は手を顔の横に持ち上げ、控えめに言う。「私です」

彼女は鳴滝と目が合わないように、鳴滝をチラチラと観察している。

「そうですか、」別に聞くまでもないことだった。仕様人の格好をしていたのは彼女だけで、他の三人は各々豪奢な着物姿だったからだ。金髪は黒、黒髪は桃色、群青色は紫の着物を身に付けていた。心斎橋界隈の少女も派手な着物を着るが、彼女たちの着物はそれと趣向を異にしている。南蛮系と言ったらいいのだろうか。馴染みのない、日本的でない模様が描かれている。「とにかく、僕たちは白鳥さんの電話を貰ってここにお伺いさせていただいたんです、そしたら、そうです、とても怖い声が聞こえて、喧嘩ですよね、……喧嘩、ですよね?」

 鳴滝は一応事件性が皆無であることを確認しておく。

 金髪は目を逸らし、白髪は下唇を噛んで、「ええ、そうです、喧嘩です、少し熱くなっちゃったんですよねぇ、ねぇ、二人ともぉ?」と群青色が手の平を合わせて微笑んでから、金髪と白髪はゆっくりと頷いた。黒髪は縁側に座ったまま三味線を弾き始めた。ブルース。即興で弾いているようだ。隣にはいつの間にか大橋が座っていた。この喧嘩の処理を鳴滝に任せる気らしい。鳴滝は何も思わない。ただシガレロが吸いたいと痛烈に思うだけだ。「……分かりました、じゃあ、ひとまず二人には、仲直りの握手でもしてもらって、」

「私と先生はもう十年以上のながーい付き合いなの」

 聞いてもいないのに金髪は鳴滝に一歩近づいていきなり言い始めた。鳴滝は思わず目を閉じた。面倒なことになりそうだと思ったのだ。邑田教授失踪も虚言かと疑い始めていた。それにしても金髪は外国人の顔をしているのに日本語がとても上手だった。日本人なのかもしれない。

「結婚を約束した仲と言っても過言ではないくらいの付き合い、はるばる長崎から船に乗って今日ここに来たのは、先生に結婚を決意してもらうため、先生も教授になってもう半年、今まで『まだ助手だから』『まだ助教授だから』ってはぐらかされてきた、『まだ教授』だなんて言わせないわ、私ももう二十三、貰ってくれなきゃ困っちゃう、困っちゃうの、それなのに訳の分からない小娘が未来の主人になるこの私が先生の居場所を聞いても、『知らない』の一点張り、きっと嘘を付いてるんだわ」

「わ、私、本当に知らない、本当に知りません、」白鳥は震える声で、しかし、ハッキリと鳴滝に向かって言う。「先生は三日間帰って来ていないんです、本当です、刑事さん、信じて下さい、三日前普通に私の作った朝ごはんを食べて、『おいしい、将来ヒナはいいお嫁さんになるな』なんて言ってくれて、それから普通に大学に行ってから、それから帰って来ていないんです、連絡もありません、それと刑事さん、先生が外人と結婚するなんて私全然聞いてませんでした、う、嘘を言っているのは外人です、先生をどこかに隠してお金を取ろうとしているんです」

「バカなこと言わないで!」金髪は怒鳴った。「仕様人に結婚の話なんてしないでしょ、それに変な話ね、先生、女の子に向かって『いいお嫁さんになるな』なんて言わない、先生は気の効いたこと一つ言えない無粋な男よ、アンタ、本当に仕様人なの、怪しいわね? それに私は外人じゃない!」

「わ、私には言ってくれたもん!」白鳥が大きく声を出す。「先生、私に優しいもん!」

「別に羨ましいなんて思ってないんだから!」金髪は羨ましいのだろう。「結婚したらきっと、毎日毎日、素敵なはずなんだから!」

 再び火が点いたようで、金髪と白鳥は互いの服を掴みながら罵り始めた。群青色が先ほどの光景と同じように「二人ともぉ」と間に入る。三味線のリズムが加速していた。鳴滝は溜息を吐いた。「……あのぉ、ちょっとぉ、ねぇ、整理したいんですけどぉ、」鳴滝は盛大に舌打ちした。「……話を聞けっての、もぉ!」

 三味線の音が急に止まった。

 ゴールドとホワイトの争いも停止した。

 鳴滝は大橋と黒髪の少女の方を見る。

 大橋は膝を叩いて立ち上がった。そして鳴滝に近づいて肩を抱いて言った。「鳴滝ちゃん、コレは大事件」

大橋の声のトーンは真剣だった。鳴滝の表情も思わずこわばる。「……え、大事件?」

「やもしれない」

「やも?」鳴滝はさらに眉を潜めた。

「さ、いくぞ」大橋は鳴滝の肩を叩いて座敷から出る。

「……え、大橋さん?」鳴滝は振り返って四人の女を見ながらすでに靴を履いて玄関を出ていた大橋に追い付く。「もう、いいんですか、何も聞いてませんよ?」

「女のヒステリィに付き合ってられるかよ、」大橋は吐き出すように言った。「おっと勘違いするなよ、マイコさんのヒステリィはとても魅力的だ、あいつらはまだガキだ、しょんべんくせぇ、ああ、とにかく事情はなんとなく分かったよ、黒沢ちゃんが教えてくれたよ」

鳴滝は革靴の踵を踏んで玄関を出た。「黒沢ちゃんって、黒髪のあの子ですか? それにしても大橋さん、仕事してたんですね」

 門を出ると警備員が鳴滝に向かって会釈をした。鳴滝は反射的に頭を下げた。警備員の目はとても優しかった。しかし、会釈の理由はよく分からない。警察に対する敬意だろうか?

「ああ、彼女、黒沢っていうんだ、芸名はウタマル、うたうたいだって、素敵なブルースだったろ?」

「ええ、とにかく、洗いざらい、僕に説明してくださいよ、それに、大事件やもって」

急かす鳴滝を無視して大橋は顎に手を当てて呟く。「そういえば新田がまた、煩い装置を開発したらしいな」

 大橋と鳴滝は自転車に跨って南警察署に戻った。



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