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朱羽ドリーミン  作者: 枕木悠
プロローグ
4/14

 鳴滝が運び込まれたのは狭い取調室だった。中央に机と椅子があるシンプルな部屋。鳴滝は椅子に座らされ、大橋に手錠を外され、自由になったが、今更逃げ出そうとする魂はなかった。

「逃げられるとでも思ったのかよ、」大橋はクスクスと笑いながら問う。「マイコさんの声に従わないのは、君と阿倍野ちゃんくらいだ」

「腹が減っていたんです!」鳴滝は自棄になって言った。「そばとおにぎりが食べたい」

「鳴滝さん、お待たせですぅ」葭谷が鉄の扉を開けて取調室に入ってきた。バインダの上には丼ぶりが乗っている。

湯気が立っている。香る出汁の匂いに鳴滝の腹が鳴った。「まさか、そばですか?」

「え、うどんですけど?」葭谷はうどんを鳴滝の前に置いて、対面に座った。

鳴滝は落胆した。「そばが大好きな鳴滝で有名でしょう?」

「そんなの知りませんよ、なんですか、いらないんですか?」葭谷は不機嫌になった。「じゃあ、私が食べます、ダイエット中ですけど、もったいないから、ダイエット中ですけど、もったいないから、じゃあ、遠慮なく、いただきまーす!」

「いえ、その、すいません、食べますよ、」鳴滝は慌てて丼ぶりを引き寄せて、箸を手にした。麺を啜る。「はい、上手いっす、なんていうか、涙がこぼれそうです」

葭谷は鳴滝をじっーと観察していた。きっとお腹が空いているのだと思う。「ねぇ、鳴滝さん」

「……なんすか?」

「……少しだけ」葭谷は手の平を合わせた。

「……はい、じゃあ、どうぞ、」丼ぶりを葭谷の方に移動させた。「少しだけっすよ」

葭谷は満面の笑みになる。「わーい、ありがとうございます」

予想していたことだが、葭谷に残りは全て平らげられてしまった。さらに大橋にスープも全て飲み干されてしまった。鳴滝はやるせない気分になったが、大橋のシガレロを思い出してポケットから取り出して、マッチに火を点けた。

「あ、私、シガレロの匂い、駄目なんですぅ」葭谷は言った。

鳴滝は壁際で腕を組んで立っている大橋を見た。大橋が吸っていないことを確かめたのだ。しぶしぶ鳴滝は火を吹き消して、シガレロをポケットにしまった。同時に口の中で舌打ちする。

それが聞こえたのか、葭谷は咳払いをした。「仕事の話をしましょう? 目が合いましたもんね、鳴滝さんと私」

鳴滝は冷や汗を掻いて、椅子に座り直した。「……ああ、はい、ええ、目が合いました、その時からもう、半ば諦めていましたよ、ええ、始めましょう、始めましょう」

「じゃあ、説明しますね」葭谷は伏せられたバインダを表にした。挟まれた用紙にはビッシリとメモが書かれている。葭谷が犯罪件数の多い南警察署の刑事課で電話番をしているのは高度な速記の技術を持っているからである。決してその容姿と声のため、だけということではないのだ。

「はい、お願いします」鳴滝は手帳の白紙の部分を開いた。大橋は目を瞑っている。

「コレは失踪事件です、」葭谷は眼鏡の位置を直した。「失踪したのは大坂帝国大学教授の邑田ヨウスケ、電話をかけてきたのは邑田教授の家の仕様人の白鳥ヒナ、三日前の四月八日、大坂帝国大学に出勤、それから帰宅していないとのことです、以上」

「……それだけですか?」鳴滝の手帳にはまだ二人の名前しか記録されていない。「そのビッシリと書かれたメモは?」

「コレは会話の記録です、」葭谷はその紙を丸めて取調室の隅のゴミ箱に投げ入れた。「白鳥さん、気が動転していたし、仕様人になったのもここ一カ月の話だというし、はたして本当に事件なのかも分かりません」

「大学に連絡は?」鳴滝は聞く。

「しましたよ、でも今日は邑田教授の講義がないようなので、どこにいるかは分からないとのことです、研究室にはいないかと聞いても、分からない、思わず調べろよって言ってしまいました、そしたら『だから分かりませんからっ』と電話を切られました、警察が電話しているのにとても失礼な女、ああ、どうして大学の事務の女って嫌な奴ばっかりなんでしょうね?」

「伊勢丹のエレベータガールにも同じようなこと言ってなかった?」大橋が愉快そうに言う。

「あら、そうでした?」葭谷はククッと微笑んだ。「とにかく鳴滝さん、行って下さい、教授の自宅に」

「え?」鳴滝は引き気味に答えた。

「ほら、船場に適塾ってあるじゃないですか? 幕末の塾です、今は文化遺産になってますけど、向かいだそうですよ、ロウヨウアンっていうらしいです、小さな表札があるらしいです」

「よし、行こう、」大橋は大きな目を開いて言った。「大事件の匂いがする」

「ただの学者の気まぐれのような気がしますけど、僕が学生のときは教授が研究室から出て来ないで講義をすっぽかすっていうのが何回もありましたよ、教授なんていうのはね、道楽ですよね、いいなぁ、僕、実は歴史学者になりたかったんですよ、」言いながら鳴滝はしぶしぶ立ち上がった。鳴滝と大橋はコンビを組まされている。同じものを追っていかなければならない関係だ。大橋が行くなら行かねばならない。お人好しだと誰か笑うか。「……ええ、行きましょう、なんでした、ようろうかん?」

「ロウヨウアンです、」葭谷はバインダを胸に抱いてニッコリと答えた。首が絶妙な角度で傾いていて、それが計算でないものだとしたら葭谷はずるいと思う。「一刻も早い大事件の解決を」

 葭谷の柔らかい敬礼に、瞬間的な敬礼を返して大橋と鳴滝は取調室から出た。



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