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朱羽ドリーミン  作者: 枕木悠
第二章 ネイキッド・サン
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 鳴滝セイイチが自転車に乗って適塾前の木造平屋建ての漏陽庵に付いたのは午前十時を少し回った頃合いだった。適塾前に今日もいた警備員に会釈をして、今日も閂の掛かっていない門を潜る。すると四人の女性だけしかいないはずなのに、老若男女の話し声が聞こえていた。庭に回ると、縁側に向かって人の列が出来ている。なんだろうと思って座敷の中を確認しようとすると、最後尾に並んでいた男に袖を掴まれた。

「おい、兄ちゃん、順番は守らねぇと」

「順番って、なんの列です?」

「先生に診てもらうんじゃねぇか、今日は月一の開業の日だよ、先生に診てもらえば何でも治るんだよ、俺は腰が悪くてな、でも先生に針を打ってもらうと、凄いんだ、一発で何もかもよくなる」

「へぇ、そうなんですか、教授はそんなこともしてたんですねぇ、偉い人は違うなぁ、僕も見てもらおうかなぁ、最近膝に来てるんですよねぇ、……え、邑田教授、帰ってるんですか!?」鳴滝は男の手を振り払って、靴を脱ぎ捨てて、縁側に上がった。「教授、いるんですか!?」

 後ろから乱暴な声が聞こえたが、そんなもの構わなかった。座敷にはまだ患者の列があって廊下へ続いていた。鳴滝は患者の合間をぬって廊下へ大股で歩いていく。

 そこに廊下から群青色の髪の少女が現れた。今日は艶やかな着物姿ではなく使用人のような割烹着姿。とても似合っていた。大和撫子という形容詞がピッタリとはまる。彼女は丸いお盆の上に湯呑を乗せていた。患者に配って回っているのだろう。彼女の名前は亀戸マワリ。大橋から聞いていた。

「あら、刑事さん、」亀戸は鳴滝を見ると女優のように驚きの表情を作った。「一体どうなさったんです、まさか私に会いに来たんですか、ふふふっ」

「いや、そんな、まさか、ありえないです」鳴滝は世のほとんどの女性に興味がない。興味があるのは七歳下の妹だけである。

「なんですって?」亀戸はむっとした表情を作った。

「亀戸さん、そんなことより、教授がいるって」鳴滝は聞く。

亀戸は目を丸くした。「え、教授が見つかったんですか?」

「え、いや、だから、ここにいるんでしょう?」

「んー?」亀戸は口を閉じて首を傾げた。「ウタマルが朝、教授を探しに出かけましたけど」

鳴滝はその反応に肩を落とした。「ああ、そうですか、どうやら僕の早とちりみたいですね、……しかし、教授がいなかったら、誰が診てるんですか、こんなに大勢の患者さんたちを」

「ヨネです、長崎では医者をしてたんですよ、名医と呼ばれていたんですよ」

「ああ、なるほど、教授の弟子、ですもんね、」鳴滝は頷きながら言った。「そうそう、今日は椎本さんに話を伺おうと思って来たんですよ、でも、この様子じゃ無理そうですね、また遅い時間に伺いますよ」

 鳴滝は患者の列を見ながら言って踵を返そうとした。

「待って下さいよ、刑事さん、」亀戸は鳴滝を引き留めた。「せっかく来ていただいたんだから」

「ああ、そうですか」鳴滝は笑顔で振り向く。

「手伝っていって下さい」亀戸はニッコリと微笑んだ。

「……え?」

 鳴滝は亀戸に腕を取られてそのまま診察室に連れて行かれた。屋敷の一番奥の書斎のような部屋だった。部屋の両側にベッドが二台あり、そのうちの一台に男の患者が額に手を当てて仰向けに寝転んでいた。右脚が真っ赤に染まっている。手術をしているようだ。血の気が引いた。

「あら、刑事さん、」奥の机に向かって肘掛椅子に座ってレントゲン写真を睨んでいる白衣姿の椎本ヨネはまるで天使のようだったが、鳴滝を見つけた時の表情は亀戸の微笑みと一緒だった。「いいところに来てくれたわね、薬とか、包帯とか、いろんなものが足りないの、リストを作るから調達してくれないかしら、それと、マワリ、綺麗な水を頂戴」

「はい、ただいま」亀戸は頷いて桶を持った。桶はたちまち水で満たされた。

「や、やっぱり、無理ですよぉ、」震える悲鳴の方を見ると、短く細い針を持った白鳥ヒナが涙目になっていた。「出来ませんよ、私、中学も卒業してないのに、人の脚を針で縫うなんてぇ」

「手術に学歴は関係ないよ、」そう叱咤したのは隣に立つ栗毛の短い髪の女性だった。見覚えがあると思ったら、大坂帝国大学の東門の前の喫茶店で話を聞いた女性である。確か船見カヨという名前だった。「ヒナちゃん、お裁縫得意でしょ」

「お裁縫と全然違うよぉ」白鳥は主張する。

「先生と結婚したいんだったらコレくらい出来なきゃ務まらないよ、ほら、患者さんだって、せっかく練習に付き合ってくれてるんだから」

「……いいから早くしてくれ」患者の呻き声が聞こえた。

「なに吹き込んでんのよ、カヨ、」椎本は物凄い速度で万年筆を髪の上で走らせながら苛立たしげに叫んだ。「先生と結婚するのは、この私なんだからっ!」

「せっかく花嫁候補がいきなり二人も現れたんだもん、先生の結婚は私の夢の中の一つだった、絶対に無理だと思ってた、だから私に選ばせてよ、どっちが先生にふさわしいか」

「なんでカヨが決めるのよ」椎本は不満の声を出す。

「分かりました、」白鳥は神妙に頷いた。覚悟を決めたようだ。真剣な目をする。「私、先生と結婚したいから、」そして深呼吸。「い、いきましゅ」

 患者の悲鳴を背中に、鳴滝は椎本が書いたリストを持って診察室から出た。長い一日になりそうだと思った。



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