五
大坂市長の娘のユメが大坂の街にやって来てからもうすぐ一年が経つ。ユメは東京の産まれだが、東京に住んでいた記憶はほとんどない。物心ついた時には父は群馬の副知事で、小学校のときは仙台市長で、中学に上がる頃には長崎市長補佐だった。ユメは長崎の中学に二年通った。通ったといっても机に座って勉強したのは数えるほどだった。友達がいなかった。ユメはほとんどの時間を長崎の街で拾った黒猫と過ごしていた。ユメは魔女になりたかった。しかしなれなかったから黒猫を抱いて誤魔化していた。黒猫はユメの友達だった。母親はユメを出産してすぐに死んでいた。父親はユメに無頓着だった。屋敷には使用人が何人かいたが、彼女たちはただ料理を作り、洗濯と掃除をするだけだった。ユメは研究と称し、部屋で魔法に関する書物を読んでいた。隣には黒猫がいる。まるで本当の魔女のような生活。魔女が空を飛んでいるのを見ると、ユメは泣きたい気持ちになった。どうして私は飛べないんだろうと黒猫に言った。黒猫はユメの頬を舐めた。
父が大坂市長に当選したのと同時に、黒猫は死んだ。ユメは大坂の立派な屋敷に引っ越してから、部屋で手首を切った。しかし大坂には最先端の医療技術と優秀な魔女が集まっている。しかもユメの身分は市長の娘だから、死ぬことは許されなかった。父はスキャンダルを恐れた。父は国政進出を虎視眈々と狙っている。ユメは部屋に軟禁された。夢と現実が分からなくなった。目が醒めているのか。それすらどうでもよかった。
でも、今日はハッキリと目が醒めた。
ユメはお手洗いに行くと部屋の前で見張っている使用人に言って、そのまま屋敷から出て、裏門を潜った。朝だと思っていたのに赤銅の夕日が見えた。体内時計は狂いまくっていた。どうして逃げようと思ったのかは、ユメ自身にも分からなかった。ユメは久しぶりに外気に触れ、興奮した。興奮して、神経が冴え、死にたくなった。ユメは死に場所を探した。街を歩き回っていると、黒襦袢に、黒袴、黒帯の男女入り混じった十人前後の奇妙な集団に遭遇した。ユメがぼーっとその集団を眺めていると、そのうちの女の一人がユメに近づいてきて言った。女の髪は紅かった。
「なぁ、君も私たちと一緒にけぇへん?」
ユメは訳が分からなかったが、その集団の名前を知ってついて行こうと思った。彼らの名前は『死のう団』。ユメの顔には死相が出ていたらしい。ユメはコレで死ぬことが出来ると安心した。
八幡宮の裏山が死のう団の集会の場所だった。裏山にはユメを含めて三十人が集まった。頂上に近い、空への視界が開けた場所で黒い人たちはそれぞれ楽しそうに雑談していた。コレから死ぬというのに賑やかだなとユメは思った。死ぬためにはエネルギィが必要なのかもしれないと思った。声を掛けてきた女はどうやらこの集団のリーダのようだった。樹木の幹を背にして黙っているユメの隣にいる。「日が落ちてから始めるから、遺言状は書いた?」
「そんなの、いらない」
日が落ちると、短時間で組まれた櫓のようなものに火がつけられた。それを黒い人々が囲んで、目を閉じた。夢も同じように目を閉じた。火は瞼を閉じても分かるほどの強烈な光を放っていた。そして焼けるように熱い。
そしてユメの隣の女が怒鳴った。
「死のう!」
それに呼応して。
「死のう!」
「死のう!」
と繰り返される。経のようなリズムで、終わらない叫びだ。
ユメも声を張り上げて言う。
「死のう!」
目を瞑っている間に、目の前の炎の中に誰かが飛び込んでいるのだろう、とユメは想像していた。巨大な炎に包まれれば、命はないだろう。この場所なら、最先端の医療技術も優秀な魔女もすぐには来ることは出来ないだろう。ユメは息を呑んだ。
クロちゃん、もうすぐ、あなたのところに行けるよ。
時間が経った。
そろそろ行こうかな。
ユメは薄目を開けた。
不思議だった。
数が減ってない。
誰も炎の中に飛び込んでない。
不思議だった。
死ぬんじゃないの?
一気に不安になる、ユメ。
「……ねぇ」
「死のう!」
「死のう!」
と繰り返される中、ユメはヒステリックに叫び声を上げた。「ねぇ、どうして誰も死なないの!」
その叫びに反応したのは隣の女。女は皆を静止する。静寂が来た。とても静かに炎がそびえている。「なんや、急に?」
「どうして誰も炎に飛び込まないの?」
「何か勘違いしてるんちゃうか?」女の顔には影が出来ていた。「私たちは来るべき時のため、死を賭してやう大義のために集まったんや、火に飛び込んで、そんな風に簡単に死にゃあせん、私たちは親も捨て、兄弟も捨てた、愛する人も忘れた、死を賭してやる大義のために、今はまだ待つとき、炎を見て叫ぶときや」
言われてもユメには訳が分からなかった。死を賭してやる大義? 莫迦みたいだ。
「本当は皆、死ぬ気なんてないんだ、死ぬのが怖いんだ、大義なんて言って、死ぬのをただ先延ばしているだけなんだ」
「怖い? そんなこと考えたこともないな、それに、死ぬのを躊躇うやつなんて、この中にはいないよ」
「じゃあ、誰か死んで見せてよ!」ユメは狂ったように叫んだ。
「それは無理や、まだ実行の時じゃない、命の無駄」
「ほら、そうやって、逃げるんだ、莫迦みたい、」ユメは口を大きく開けて叫んだ。「私は死にたいのに!」
「いい表情や、」女は優しく微笑む。「そこまでいうんやったら、炎に飛び込んで見せて、心配いらへん、私が編んだ灼熱の炎や、骨まで解ける、楽にあの世へ行けるで、名前は?」
「ユメ」
「ユメはん、それじゃあ、達者でな、」女は大きく息を吸ってがなる。「死のう!」
「死のう!」
「死のう!」
夢のような舞台だ。ユメは頬を抓ってみた。現実だ。死ねる。瞳孔は開いていた。ユメはゆっくりと炎に向かって前進した。近づくと、感じたことのない熱に、死の匂いを感じた。ユメは嬉しくなって声を出して笑った。
しかし、突然火が消えた。
後ろを振り返ると、一発の銃声。
「警察だ!」という歯切れのいい怒鳴り声。「動くな!」
警察は『死のう団』を包囲していた。炎は消えたが、警察の照明が周囲を照らし出している。人数はざっと四十人くらいだった。鉄の盾で体を守っている。
「大人しく、手は頭の後ろへ!」
ユメは驚くよりも、落胆していた。また死ねなかった。そのことが悔しい。警察に捕まってしまったら、死ねない。
「邪魔が入ったな、」女は笑いながら手を挙げてユメに囁いた。「君は先に逃げろ、警察目的はきっと私たちやからな」
ユメは女の顔を見上げた。死相とは正反対の、活力にあふれた顔をしていた。女の輪郭は一瞬紅く光った。「エンドレスバーレイ」
それは炎の魔女の魔法だ。
あらゆる銃口が一つの標的に向かって半永久的に火炎弾を射出する魔法だ。
ユメは周囲を見回した。『死のう団』のメンバはピストルを警察の方へ向けている。手を挙げているのは、炎の魔女の女だけだった。
「何者だ、お前たちは!」警察が叫んだ。
「死のう!」女ががなる。
『死のう!』と皆が唱和する。
合計二十八の銃口から、警察に向かって一斉に火炎弾が射出された。
乱れ飛ぶ閃光。
警察は悲鳴を上げ、奥に引いた。応援を呼ぶ声。「おいっ、魔女を呼べよ!」
「ほら、今のうちや、向こうに真っ直ぐ走れば道に出る」女はユメの背中を押した。
ユメは言われるがままに山の中を走った。




