「姉なんだから我慢して」そう言われ続けた令嬢は、家を捨てて隣国で本当の愛を見つけました
「お姉様、お願い。今回だけ助けてくれない?」
妹のリリアが、いつものように泣きそうな顔で私を見上げていた。
私はそんな妹を見ながらため息をつく。
今回だけ、といいながらこれで何度目のお願いだろう。
「何を?」
「お母様のお気に入りのドレスを、私が汚してしまったの」
私は目を閉じた。
またか。
なんでこの妹は何かをやらかさないと気が済まないのだろう。
「……どうして私が?」
「だって、お姉様なら怒られなれているでしょう?
だから問題ないだろうと思いまして!」
「――ッ」
その言葉に一瞬で怒りが爆発しそうになる。
だが、どうせここで怒っても、後で両親に告げ口されるだけだ。
いっときの感情で何時間も怒鳴られるのはもう勘弁願いたい。
そう考えると頭が少し落ち着く。
そして今の妹の戯言について考える。
私なら問題ない?
何を言っているのだ。
どうせ私があなたの代わりに何度も怒られているから、怒られ慣れていると思ったのでしょう。
子供の頃から何度も何度も。
妹には人の懐に上手く入り込む天性の才能があった。
この性質に両親はもちろん、友達や先生達もやられてしまった。
最初は私の味方をしてくれていても、いつのまにか私を妹と共に責め立てる。
私が何をしても、結局は私が悪者になるだけだ。
無駄だと思いながらも。
妹のためだと言い聞かせて、重い口を開く。
「リリアが自分で謝ればいいでしょう?」
「お姉様、なんでそんなこと言うんですか!
ひどいです!
私はお姉様のように怒られたくないのです!
それに、私はそろそろノルン様達とのお茶会の時間で――」
ぎゃあぎゃあ喚き立てられる。
私は更に深いため息をついて、いまだに何事かを喋っている妹を差し置いて自室へと戻るのだった。
どうせ、明日は怒られるんだろうな、と思いながら。
案の定、翌日に母から叱られた。
「妹に優しくしてあげなさい」
「……昨日の件ですか。ドレスは私が汚した訳では――」
「何度も言っているでしょう?
言い訳はやめて。素直に謝りなさい」
私の言い分をぴしゃりと止めて、怒られる。
これもいつものこと。
言い訳しようとしても、必ず聞き入れてもらえない。
そして、次に言う言葉も決まっているのだ。
「お姉様でしょう?」
「……」
「黙ってないでなんとかいったらどうです」
言える訳がない。
言ったらお勉強の時間をまた増やされるだけだ。
ただでさえ自由時間が殆どないのに。
父も同じだった。
以前、妹が父の書斎に勝手に入って、閉じ込められたことがある。
その時も、いつのまにか私が鍵を掛けたことになっていた。
「妹を困らせて何が楽しいんだ」
「姉の自覚がないのか」
その時から父のことを全く信用しなくなった。
友人たちも同じだった。
最初は仲よく遊ぶ。
だが、妹が勝手にそこに入ってから、何故か私が悪者になりリリアが悲劇のヒロインになるのだ。
「リリアって本当に可哀想」
「お姉様なんだから、少しくらい我慢したら?」
その言葉を何度聞いただろう。
次第にかつての友人とは距離を取るようになった。
私はいつも我慢した。
妹が約束を忘れれば、私が謝った。
そうしないと私が怒られるから。
妹が失敗すれば、私が頭を下げた。
そうしないと私が失敗させたことになるから。
妹が欲しがれば、私は譲った。
そうしないとまた姉のくせに、と言われるから。
それでも最後には、私が冷たい姉だと言われた。
そして。
――最後に残っていたものまで、妹は奪った。
「申し訳ない、クラリス」
婚約者のアーネストは、苦しそうな顔をしていた。
「僕は、リリアを愛してしまった」
隣には妹がいた。
目を潤ませ、私を見つめている。
こうなると思ったから、できるだけリリアに合わせないようにしていたのに。
妹がお茶会やお勉強などで、彼と会わない時間帯にだけ家に来てもらっていたはずなのに。
どうやら私の知らないうちに、勝手にリリアと会い、愛を育んでいたようだ。
「お姉様、ごめんなさい……」
リリアの微塵もそう思っていないであろう、その言葉を聞いた瞬間。
何かが、ぷつりと切れた。
「……そう」
私は笑った。
「なら、どうぞ」
「クラリス?」
「もう全部、あなたにあげるわ」
家も。
家族も。
友人も。
婚約者も。
「私は全部いらない」
そう言って部屋に引き篭もった。
親が何度も怒鳴ってきたが、今回は全て無視した。
ゴタゴタ言っていたが、全て聞き流した。
その日の夜。
私は小さな鞄だけを持って屋敷を出た。
誰も追ってこなかった。
それが、今は都合が良かった。
国境を越えれば、誰も私を知らない。
そう思って、私は夜中歩き続けた。
あんまり運動が得意ではないけれど、意地と気合いでなんとか歩き続けた。
けれど、隣国へ入ったところで足が動かなくなった。
「……もう、無理」
疲れ果て、路肩に座り込んだ私に声をかけてきたのは、二人の男だった。
「お嬢さん。一人かい?」
「……はい」
「だったら、俺たちと来なよ」
嫌な予感がした。
動かない体に鞭打って、必死に逃げようとした私の腕を、男が掴む。
「離してください!」
「騒ぐな」
そのまま路地へ引きずり込まれた。
怖かった。
家を飛び出したことを後悔しそうになった。
乱暴に衣服を剥がされていく。
抵抗するが、疲れ果てた女と荒事になれている男達では当然力が全然違う。
服がどんどん破かれていき、とうとう下着が見えそうになってくる。
男達の目が迸り、どんどん力が強くなっていく。
もう無理なのかな。
ここで私の人生は終わるんだ。
そんな思考が脳を占める。
そのときだった。
「その手を離せ」
低い声が響いた。
振り返ると、一人の青年が立っていた。
整った顔立ち。
けれど、それ以上に目を引いたのは、怒りを隠さないその表情だった。
「関係ないだろ」
「関係ある」
青年は私と男たちの間に入った。
「嫌がっている女性を無理やり乱暴するのを見過ごすほど、僕は薄情じゃない」
短いやり取りの後、青年が1人の男の腹に拳を入れる。
その男は、白目をむいて崩れ落ちた。
その様子を見たもう片方の男が激昂して青年に襲いかかる。
暫く揉み合っていると。
男は、気絶した男を連れて急いで逃げていった。
「大丈夫?」
「……はい」
「怪我は?」
「……大丈夫、です」
そのとき初めて気づいた。
青年の腕から血が流れている。
揉み合っている時に負ったものだろう。
「あなたが怪我をしています!」
「これくらい平気だよ」
「平気じゃありません」
私は鞄から布を取り出し、傷口を押さえた。
「君も怪我している」
「これは擦り傷です。この程度は怪我に含みません」
「じゃあ、お互い様だね」
彼は少し笑った。
そんな様子を見て私も少し笑った。
宿で傷を洗いながら、私たちは互いのことを話した。
彼の名前はエリオット。
隣国でも有名な商会の一人息子だった。
「商会の息子さんが、どうしてあんなところに?」
「父に頼まれて、仕入れ先を回っていたんだ」
そして私は、自分の家で起きたことを話した。
家族のこと。
妹のこと。
婚約者のこと。
そして、もう帰る場所がないこと。
話しているうちに涙が出てきた。
「……ごめんなさい」
「どうして謝るの?」
「こんな話をして」
「謝ることじゃないよ」
エリオットは静かに言った。
「君が悪いことをしたわけじゃないんだから」
その言葉を聞いた瞬間。
私は泣いた。
誰かにそんなふうに言ってもらったのは、初めてだった。
そんな様子を見て。
「うちに来る?」
彼がそんな提案をしてくる。
「……え?」
「家族もたぶん受け入れてくれる」
「でも、ご迷惑では」
「部屋も余っているし、きっと大丈夫」
そして彼は困ったように笑ってから、続けた。
「それに、僕は君を一人にしたくない」
その言葉に、胸が大きく鳴った。
「……じゃあお言葉に甘えて」
その言葉は考えるより先に出てきていた。
「まあ!」
出迎えてくれた彼の母は、私を見るなり驚いた。
「あなたがエリオットを助けてくれたお嬢さん?」
「いいえ、わたしが助けられた側です――」
「彼女に手当もしてもらったんだ」
「まあまあ! 怪我まで手当てしてくれたの?」
「大したことでは――」
「大したことよ」
あれよあれよと言う間に話しが進んでいく。
いつのまにか私が彼を助けたことになっていた。
玄関前で問答していると、彼の父親が現れた。
「息子が誰かを連れて帰ってくるなんて珍しい。歓迎するよ」
「――父さん!」
「はっはっは」
そんな様子につい私にも笑顔が溢れる。
これが、普通の家族なのかな。
その日の夕食。
私は彼の家族と共に晩御飯を頂いていた。
「これ、美味しいですよ」
「ありがとうございます」
「もっと食べなさい」
料理を勧められ。
いつもの倍以上の量のご飯を食べた。
夕食の時間がこんなに楽しいものだと思わなかった。
いつもは妹の自慢話と、私への悪口大会になるはずなのに。
私の分のご飯だけ皆の半分以下だったのに。
そんなことを言ったら、皆に泣かれてしまった。
そして怒ってくれた。
それが、私には1番うれしかった。
翌朝には、
「お茶、一緒に飲まない?」
と誘われ。
数日後には、
「クラリス、買い物に行きましょう」
と母に連れ出された。
気づけば私は、笑っていた。
誰かの顔色をうかがうことなく。
失敗を恐れることなく。
自分の好きなものを、自分の好きなだけ選んで。
そんな日々を過ごすうちに、エリオットとの距離も少しずつ近くなった。
「クラリス」
「はい?」
「この町に来てから、よく笑うようになったんじゃない?」
「……そうかもしれません」
「うん」
彼は嬉しそうに笑った。
「僕は、その顔が好きだよ」
頬が熱くなる。
「……私も」
「え?」
「あなたといるのが、好きです」
今度はエリオットが黙った。
そして、耳まで赤くして笑った。
「それなら、これからも一緒にいよう」
「はい」
その日は嬉しくて、夜眠れなかった。
それからしばらくして。
故郷から一通の知らせが届いた。
リリアとアーネストが出席した夜会で、二人が王族に対して無礼な振る舞いをしたらしい。
よりにもよってそこでそんなことをしてしまったのか。
今度は罪を被せる相手が見つからず、とうとう悪事がバレたらしい。
それも国のトップに。
具体的に何をやったのかは手紙には書かれていなかったけれど。
父の家にも責任が及び、爵位を失うことになったという。
昔の私なら、少しだけ喜んだかもしれない。
けれど今は、何も感じなかった。
同じく手紙を読んだエリオットが私に尋ねる。
「クラリス、どうする?」
それに対し私はこたえる。
「どうもしません」
私は手元のカップを見る。
「前と違って、もう私には帰りたい場所がありますから。
仕返しをしてその場所を失うのも馬鹿らしいですからね」
「……ここのことかい?」
「はい」
エリオットが笑う。
「それならよかった」
窓の外では、夕暮れの町に明かりが灯り始めていた。
夕食の準備をする彼の母。
鼻歌を歌いながら仕事をする彼の父。
そして、隣で私に笑いかけるエリオット。
血の繋がった家族ではない。
昔からの友人でもない。
それでも。
私が私のままでいられる場所だった。
「クラリス、明日はどこへ行こうか」
「市場に行きたいです」
「じゃあ、一緒に行こう」
「はい」
私は笑った。
かつて、家族に捨てられたと思った。
婚約者を奪われ、居場所を失ったと思った。
けれど違った。
失ったのは、私を大切にしてくれなかった人たちだけ。
その代わりに私は。
本当に私を見てくれる人たちと出会った。
そして今。
私の隣には、私の笑顔を好きだと言ってくれる人がいる。
「エリオット」
「ん?」
「今日も幸せです」
「僕もだよ」
二人で笑う。
そんな何気ない毎日が、私にとって何より大切な宝物になっていた。




