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第9話 母と息子…

それぞれの思いに沈む弟子達を横目に見ながら、ガルウィンは再び妖精の長老に歩み寄った。頭を深々と下げ、低い声で言った。


「ティルセルダー様。儂は水晶谷の使者という栄誉をいただきながら、怯懦のため、皇帝の無謀を諫めることも叶わず、無能ゆえに聖なる森への軍兵の侵入を許してしまいました。いかなる責も負う所存です。どうか、なんなりと罰をお申し付けください」


「何を申すか……」


ティルセルダーは優しく笑い、言葉を継いだ。


「私は覚えている。剣一本と燃える義勇だけを携え、この森を旅立っていった若者の姿を。

そなたは、大貴族達の内紛で分裂しかけたアルマーを繕い直し、闇の獣達の侵攻を退け、帝国を大陸第一の強国に育て上げた。

そなたのおかげで、我らは危機に備えることができたし、汎人族も苦難から素早く立ち直れるだろう」


妖精の長老はそっと手を伸ばし、その手応えの無さに顔をしかめながら、ガルウィンを助け起こした。かつて自ら育てた子の老い衰えた姿に、胸の奥でひそやかに嘆息した。


ああ、この子達は、なんと早く、軽く、そして脆くなってしまうのだろう――。


「そなたの功績は計り知れぬほど多い。それに……」


ティルセルダーはちらりと弟子達に目をやった。


「跡継ぎ達も十分に育った。もう役目を肩から下ろし、郷に帰っても良い頃だ。そなたの家も持ち物も、すべて昔のままに残してある」


「郷に……帰る……」


ガルウィンは嗄れた声で呟いた。

長いあいだ心の奥深く沈めていた想いが、真冬の暖炉の熱のように、じわりと胸の内に広がっていく。


幼いころ両親と家を戦火で失ったガルウィンに、人の間で育った記憶はなかった。

彼が知る唯一の故郷は、ティルセルダーが治める妖精郷ーー水晶谷だけだった。


ああ、水晶谷――。


その名を思うだけで、老いた心臓を鋭い短剣のように刺し、目に見えぬ血が流れる。

水は澄みわたり、獣は美しく、緑の葉は宝石のように輝く。

人間界の騒乱や汚濁とは無縁の、常若の民が住む秘境――。


だがガルウィンは、首を横に振った。

故郷は両手を広げて彼の帰りを待っている。

しかし、彼はその胸に飛び込むことができなかった。


あれは――。

初めて命乞いする敵兵の首を刎ねた時だろうか。

あるいは、女子供のいる砦に飢え殺しを仕掛けた時か。

しくしくと痛みに哭く膝を抱えて、鏡の中に、枯れて萎びた自分の顔を見つめたあの夜か――。


遠い昔に、老将軍は悟っていた。

自分には、もう故郷に帰る資格はないのだと。


それに、ガルウィンは見てしまった。

妖精達が、かつて自分が心血を注いで鍛え上げた帝国軍を、無惨に屠る光景を。


何もかもが変わってしまった。

同じものなど何一つ、残ってはいない。


固く閉じられた老人の瞼から、一筋の涙が溢れ落ち、深い皺の段差を伝って白い髭の奥へと消えていった。


「いいえ……母様。お申し出は、ありがたき限り。しかし私は、あまりにも長く人間の世で生きすぎました。この上は、老い先短い命のすべてを、我が過ちのせいで苦しむ民を救うために使いとうございます」


「……そうか」


ティルセルダーは伏し目がちに答え、それ以上、引き留めようとはしなかった。

短く漏らした吐息には、同じ別れを幾度も繰り返してきた者だけが纏う、透明な悲しみと深い諦めが滲んでいた。


妖精は、壊れやすい硝子に触れるかのように、そっと白く染まった養い子の髪を撫で、別離の祈りを捧げた。


「そなたのような気高き子を持てたことを、心から誇りに思う。願わくば――風よ、導きたまえ。水よ、護りたまえ。火よ、力を与えたまえ……」


そして、大地よ。支えたまえ……

その言葉を最後に、乳のように白い霧が、再びティルセルダーの姿を包み隠した。


四十年ぶりに再会を果たした義母と息子は、こうして永久の別れを告げたのであった。



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