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第3話 秘術、炎神降華


地響きと土煙を立てながら行進していた遠征軍が、森の手前五百歩ほどの地点で足を止めた。

一糸乱れぬ隊列は、疲弊していてもなお、彼らが帝国の精強な軍兵レギオンであることを雄弁に物語っていた。


「ここで陣を構え、結界を張り、兵を休ませるのが定石だが……」

「森に辿り着けば木材も水も確保できる。狩りも可能だ。だが、エルフがどう動くか――それが問題だ。」


「おい、森の方を見ろ!」

兄弟子達が議論を交わす傍ら、ガロンが叫んだ。

「なんだ、あれは! 霧か?」


「霧」というのは、目の前で起きている現象に対してあまりに控えめな言葉だった。

大樹の梢をはるかに越え、乳白色の靄の壁がすべてを呑み込みながら押し寄せてくる。

まるで陸の上を走る白い津波。


遠征軍に動揺が走ったが、兵達はよく踏みとどまり、陣形を崩さなかった。

そのとき、最前列の槍歩兵が一斉に短い悲鳴を上げ、何十人もが地面に倒れ伏した。


「これが名高い妖精の弓兵か!」

「なんという射程と威力だ!」


帝国の重弩の射程は二百歩。だが、遠征軍と森の間は五百歩以上離れている。単純計算で二倍半を超える射程差だ。

しかも、妖精の矢は魔法じみた鋭さで鎧を貫き、急所を正確に撃ち抜く。


「あり得ん……こんな精密射撃……この目で見なければ、到底信じられなかった」


武器の製作と運用に長けたバルドが、感嘆とも絶望ともつかぬ声を上げた。


「しかも、あの霧越しによくも当てる……噂に聞く、妖精族のオーラ視と言うやつか」


高い魔法適性を持つエルフ達は、生物の霊気や魔力を直接視ることができる。

一片の光すらない闇の中でも支障なく動き回れるという。


視覚に頼るしかない人間達は、最初の一射で早くも射撃戦での劣勢を強いられた。


帝国歩兵隊は大盾を掲げ、長弓や重弩の射程までなんとか間合いを詰めようとした。

しかし霧の壁と密集する樹林に阻まれ、味方の矢はまるで効果を上げられない。

その間も、妖精の狙撃は絶え間なく続き、太腿や膝を撃ち抜かれて、百を超える兵士が転がった。


「……この霧と森は、城塞と見るべきだな」

ガロンは地平線の彼方まで続く太古の樹林を仰ぎ、深いため息をついた。

「だが……こんな馬鹿でっかい城を、いったいどうやって攻めろと言うんだ!」


その問いに答えるように、将軍プリムスが軍笏を振りかざす。

その背後で音楽隊が戦鼓を打ち鳴らし、近衛隊が巨大な旗を振って指示を伝達する。


『魔術師団前へ!!』


早くも切り札を投入するつもりだ。

遠征軍の隊列が生き物のように形を変え、赤いローブの火炎術師を中心に魔術師団八百名が、大盾の壁に守られながら、前線に進み出た。


紅蓮の大導師、ヴィルギリウスが朱塗りの槍を大地に打ち据える。師団の左右に控えていた結界担当の術師達が、身の丈ほどもある錫杖を立てた。

折り畳み式の先端が開き、神秘文字を書き込んだ旗が飛び出す。


整列した魔術師達が、低く唸るような声を出すと、文字達は布地から飛び出して、赤い火線を引いて、三階建ての塔に匹敵する、立体魔方陣を構築した。


アルマー帝国軍の魔術師団は、ただの術師の寄り合いではない。

練り抜かれた彼らの術式は、あたかも精密無比な破壊機械。

その整然たる呪文詠唱は、殺戮の大合唱である!


ガルウィンが、組み上がっていく魔方陣を見て、顔色を変えた。

魔術にも深い造詣を持つ老賢者は、それが何を意味するか即座に悟った。

両手を振り乱し、慌てて弟子達に呼びかける。


「目を閉じろ! 森の方を見るな!」


弟子達は師の言葉に従い、即座に目を塞いだ。

その瞬間、朱い槍を森へ向けて突き出したヴィルギリウスが、鋭く叫ぶ。


隔離アトゥ── 喚起アルゥ── 解放ヴルム── 降華ヴァザーク!!』


刹那、白色の灼熱が太古の森の奥で爆ぜた。

四百歩四方の樹木が、一瞬で焼け崩れ、灰となって吹き散る。

遥か離れていても、火炎術の閃光は空を飛ぶ鳥を落とし、熱風がガルウィン達の顔を激しく叩いた。


想像を絶する火炎術の威力。

灼熱の閃光が消えた後も、深紅の火柱が天を突き、立ち上る黒煙は太陽をも覆い隠すかのようだった。


ガルウィンはゆっくりと瞼を開け、目の前に広がる、圧倒的な破壊の跡を凝視した。

老将軍は拳をきつく握りしめ、炎の照り返しに赤く染まる顔で、憤りを吐き出す。


「おのれ、ヴィルギリウス! 聖地で、何たる外法を……!」


ガルウィンは震える指先で、なお燃えさかる森を指した。


「あれはただの攻撃呪法ではない!

召喚術の邪悪な亜種よ。本来なら長い儀式と犠牲を必要とする高位の精霊を、簡略化した術式で無理やり物質界に引きずり下ろし、その憤怒と復讐を敵に押しつける……おお……また来るぞ!」


老将軍の視線の先で、赤い血の雫のような人影が再び、魔槍を振りかざす。


『──降華ヴァザーク!!』


白熱の炎が、森の一角をごっそりと喰らい尽くした。

黒々とした、茸のような雲が天に屹立し、邪神像のような不気味さであたりを圧した。

翼を生やした獣達が、悲鳴を上げながら、燃え盛る森から飛び立っていく。


「とんでもない術だ。迷惑度で言えば、禁呪の戦術核爆ベルム・タクティクと変わらん……」

ガロンが体に降りかかる灰を払いつつ、低く唸った。

「使えば使うほど、精霊界の大物達の間に鬱憤が溜まる。奴らは人間の国境も階級もわからない。この代償を払わされるのは、結局は帝国の民だ。ヴィルギリウス、後先も考えぬ愚か者が……プリムスの馬鹿と話が合うわけだ」


遠征軍の兵士達は、壮絶な破壊の閃光に言葉を失っていた。

その前で、赤衣の大導師が楽団の指揮者のごとく両腕を振り回す。

魔術師達の詠唱のトーンが変わり、蒼天を焦がしていた業火が、大地へと吸い込まれるようにして消えていった。


腐っても、ヴィルギリウスは帝国最高位の術師。

極まったその腕前は、煉獄の炎を灯すも、消すも、まるで自在であった。


朱色の火の帳が消え去り、そこに現れたのは、無惨な虫食い穴のように空いた神秘の森の傷跡。

焼かれ、溶かされた大地の上には、無数の人形のような炭の骸が横たわり、

うっすらと立ちのぼる灰と煙の向こうには、よろめきながら逃げていく影があった。

悲鳴が尾を引きながら、遠ざかっていく。


女のすすり泣くようなその声に、呆然としていた帝国軍が、はっと我に返った。

次の瞬間、雷鳴のような喝采が全軍を揺るがした。


ここに至るまで、相手の姿すら捉えられず、一方的に弄ばれてきた屈辱と怒り。

それがたった一瞬で、勝利の快感へと裏返ったのだ。

兵士達の興奮と士気は、魔術の業火にも劣らぬほど熱く燃え上がった。


ガロンが鼻の穴を膨らませ、森の方から流れてくる温かな空気を吸い込んだ。


「むぅ……腹の虫をくすぐる匂いだのう」

「お前……この期に及んで、そんな不気味なことを言うか!!」


バルドが信じられないという顔で、弟弟子を睨みつけた。


「腹が空くのだ。仕方あるまい。しかし――」

大男は気まずそうに頭をかき、眉をひそめた。

「……これは人の肉の焼ける匂いではないな? 嗅いだことのない、妙な香りだのう」


「サソイダケだ」

ガルウィンが弟子の疑問に応えた。

「獲物の姿に化け、魔力を帯びた声と匂いで誘い込み、弱らせたところで胞子を植え付ける、菌糸の魔物だ。動植物を操る魔法は、妖精族の十八番よ」


「催眠術を操る魔物ですって!」

エイリスが青ざめた顔で、喜びに沸く遠征軍の方を見やった。

「それはまずい! まずいぞ!」


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