第12話 青葉と刃の環は廻る
結局──あの日、草原で別れた師弟の道が、再び交わることはなかった。
エイリスは独立の夢を追い、万の書を読み、名もなき国々を渡り歩いた。
だが、古書の片隅にも、世界の果てにも、彼の求める答えは見つからなかった。
その代わりに、至るところで古代種の影を見た。
短命種の歴史の裏では、さまざまな存在が蠢いていた。
エルフの他にも、暗黒妖精、吸血鬼、妖魔、不死者……
竜と巨人と魔神が小さき者らの上にそびえ立ち、世界の裏では神々が静かに策を巡らしている。
果てしない探求の末、すべての理想家の敵が彼の前に立ちはだかった。
肉体の老いと精神の疲弊は、木喰い虫のように彼を蝕み、空洞となった魂の内に、ついに狂気が巣を作った。
そして、彼は妄執にとらわれた。
人が古代種の支配を超えるには、すべての人間が不死者ーーアンデッドに成らねばならぬ、と。
外法に手を染め、ついに死者の王リッチとなった彼は、妖精の乙女より聖剣を託された勇者に討たれた。
そして今では、子供たちを怯えさせるお伽噺の中でだけ、その名が語り継がれている。
バルドは師より託された助言と秘薬のおかげで、混乱が本格化する直前、ぎりぎり帝都へたどり着くことができた。
ガルウィンから預かった資金で開拓に必要な物資を買い揃えると、敗戦の使者が門を叩くのとほぼ同時に、彼はドワーフ達と共に帝都を飛び出した。
氏族の危機を救ったとはいえ――
当初、小人達は、この謎めいた汎人族の戦士が、自分たちにとって貴重な王女であるゲルダと親しくするのを快く思わなかった。
だがバルドは、何度も実力と誠実な人柄を示し、実績を積み重ねることで、徐々にドワーフたちの信頼を勝ち取っていった。
新しい鉱山の開拓を阻む、山の主たる大妖虫ラバーワームを討ち倒し、地底湖の底から伝説の神世の斧ラブリスを引き上げ、さらには神斧の力で失われた古代ドワーフの首都を蘇らせた。
その数々の偉業に心を打たれ、ついに頑固なドワーフたちも、バルドと姫君と結ばれることを認めたのである。
二人の結婚式は、仲が悪いことで有名だった白銀山の王すら参列するほど盛大なものとなった。
バルドはゲルダ姫と手を携え、数十年にわたり黒鋼山のドワーフ達を統治した。
だが老年を迎える頃、鉱山の毒がじわじわと彼の体を侵し始めた。
ゲルダは夫の療養のため、山の麓に離宮を築いた。
そこへは、バルドを慕うドワーフやノームたち、さらに彼によって帝国の鉱山から解放された半妖精などの元奴隷たちが集まって街を作り……。
やがて戦乱から立ち直りつつあった人間の国々との間で交易が始まった。
それが後の大交易都市――鉄骨街バルドクロスの誕生である。
バルド夫妻は子宝にも恵まれた。
だが、エルフとの戦争の爪痕がなお深く残る汎人族の世界で、彼らの子供たちは歓迎されることは少なかった。
対照的に、ドワーフたちは混血の王子たちを喜んで受け入れ、やがて彼らは慈悲深き統治者、勇敢な戦士、天才的な技師として、小人族の歴史に名を刻むことになる。
しかし――世代交代の早い人間たちは、やがてバルドのことも、彼が誰であったかさえ忘れていった。
そして今、鉄骨街の創設者『背高王バルド』は、一部の学者や鉱夫を除けば、伝説のドワーフの英雄としてのみ、人間たちに語り継がれている。
ーーさて、時を遡り、視点を再びアルマーへ戻そう。
帝国はまるで、旅人が先人の轍をなぞるように、ガルウィンが予見した破滅の道を突き進んでいた。
琥珀の森遠征の失敗を知った皇帝ガイウス三世は激昂した。
だが、その怒りが本格的に燃え上がったのは、敗残兵たちが出頭を拒み、反乱軍となった時だった。
皇帝は親衛隊を率いて自ら討伐に乗り出した。
しかしその進軍は、突如広まり始めた奇妙な疫病によって頓挫する。
援軍を命じられた地方の諸侯たちは、バルドの予想通り、命令を鼻で笑い、黙殺した。力なき勅命は、やはり紙屑に等しかった。
失墜した威信と自尊心を守るため、ガイウスは現実から目を逸らし、宮殿に籠もった。
酒と女に溺れ、支離滅裂な命令を繰り返し、やがてうんざりした将軍達の手で玉座の上にて暗殺される。
抑えを失った諸侯たちは、領土と権力を求めて争い始めた。
こうして帝国は、群雄割拠の戦国時代という混沌へと沈んだのである。
その頃ーー。
元帝国元帥・ガルウィンは、旧主の死を悼む暇もなく、激務に追われていた。
戦乱に備え、農地を拡大し、兵糧を確保。領土の要塞化を進め、兵士の訓練と装備の整備にあたる。
やらねばならぬことは山ほどあり、それをすべて、自らの息があるうちに終えねばならなかった。
耳にこびりついたのは、あの日、妖精の森で散った部下たちの断末魔。
そして、瓦解する帝国の下で押し潰されてゆく民の悲鳴だった。
自らの身を鉋で削り、老いた血肉を新たな国家の礎と化すために、
老将軍はただ、黙々と働いて、働いてーー。
そして、ある冬の日。
ガルウィンの執事は、執務室の暖炉に火を入れようとして、机に座ったまま、まるで眠っているかのように事切れた主を見つけた。
将軍ガルウィンの静かな最期は、しばしば皇帝ガイウスの無様な死と並べられ、後の歴史家たちの好んで語るところとなったという。
巨漢の魔術師・ガロンは、義父にして師であった男のすべてを継いだ。
ガルウィンの夢に己の野望を重ね、新たなる帝国掌握の事業を推し進めた。
エルフから受け取った薬草と魔法の作物を、業病と飢えに苦しむ周辺諸侯に売りつけ、莫大な財力を得た。
その富をもとに、戦乱に焼け出された難民、遠征に破れて行き場を失った敗残兵や火炎術師たちを受け入れ、兵力へと転じた。
さらには、ガロンは戦災孤児を積極的に養い、見込みある者には丹念な教育を施した。
ちょうど、かつての師ガルウィンが、己にしてくれたように。
そうして集められた人材の中には、後に“魔人エイリス”を打ち破った勇者もいたと伝えられている。
戦乱は帝国全土に吹き荒れていたが、旧ガルウィン領の中だけは、台風の目のように静かだった。
その豊かさに目をつけ、略奪に走る者も現れた。だが、老将軍の築いた砦と、その手で鍛え上げた兵たちが、それを難なく退けた。
おかげでガロンは己の縄張りの内で、ただ内政と外交に力を注ぐことができた。
ーーそして、ガルウィンの死から十年後。
臥竜はついに殻を破り、翼を広げる。
ガロンは大軍を率い、帝国統一の遠征に乗り出した。
無益な争いに明け暮れ、疲弊しきった諸侯には、もはや巨人の歩みを止める力など残されていなかった。
最大勢力を誇ったデクスター大公を一度の野戦で打ち破り、敗残兵の王を名乗ったダライオスを城ごと焼き尽くすと……。
ガロンは、将軍たちの内戦で廃墟と化した帝都に足を踏み入れ、なおも先代皇帝の血に濡れた玉座に腰を下ろした。
ここに、新たなる皇帝ガロン一世が誕し、そして、後の世に「黄金王朝」と謳われるアットゥール朝が、その産声を上げたのである。
人は生まれ、やがて死ぬ。
国は滅び、また新たな国が興る。
長命の妖精たちはその興亡を静かに見守り、
短命の人間たちは、命を燃やし尽くすように、歴史の荒波へと身を投じていく。
時に出会い、時に戦い、別れてはまた手を取り合う。
輪を描くように、踊り続ける。
この青葉と刃の円環の中でーー。
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