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第11話 虚無の器

茫洋たる草の海の中を、ガルウィンはただ一人残った弟子とともに旅を続けていた。

ガロンは、すっかり軽くなってしまった荷物をぶらぶらと肩に担ぎ、やがて思い出したように口を開いた。


「……しかし、馬でも借りれば良かったでしょうに。この長旅は、お身体に堪えるでしょう?」

「儂は歩きたかったのだ」

草を踏み分けながら、老人は答えた。

「この最後の旅を……お前達三人と一緒にな……」


大男はやれやれ、といった様子で首を振り、師の背中を追いかけた。


「そんなに名残惜しいなら、引き留めればよかったじゃありませんか。エイリスもバルドも、あなたが強く言えば逆らえなかったはずだ。あの二人だって、帝国再興には貴重な人材だったのでしょう?」


その言葉に、ガルウィンがぴたりと足を止めた。

次の瞬間、草を払う勢いで振り返り、大男を鋭く睨みつけた。


「白々しいことを抜かすな!」


その瞳は怒りに燃え、老人の声はいつになく激しかった。


「エイリスに秘文庫や海外の話を吹き込んだのはお前だろう!バルドとドワーフの姫の仲を取り持ったのも、儂が気づかぬとでも思ったか?ずっと疑問に思っておったわ。あの暴漢どもは一体何者だったのか! 誰が奴らを雇ったのか!」

「……ですが、あなたにはそれを調べる術はない」大男は平然と言った。

「お前が奴らを皆殺しにしたからな!!」


ガルウィンの声が草原に鋭く響き渡った。

ガロンは肩をすくめると、大股で師に歩み寄った。


「仕方がなかったのですよ。奴らは毒を塗った刃を持っていた。二人を守るためには……いや、やめておきましょう。」


くくく、と喉を鳴らし、ガロンは足を止めた。


「確かに俺は裏で動いていました。ですが、師匠もいろいろと気づいていながら、何もおっしゃらなかったじゃありませんか?貴方もあの二人を試していたのでしょう?自分が求める『器』にふさわしいかどうかを。」


ガルウィンは答えなかった。

草原を渡る風が、老人の白い髭を静かに波立たせる。


「エイリスは、頭の良い馬鹿でした。自尊心が大きすぎて、それが目を塞ぎ、進むべき道を見失っていた。もし本当にエルフ族に並びたいと思うなら、真っ先にやるべきことは、妖精郷へ赴き、教えを請うことだった。

超えるべき壁の高さを知らずして、どうやって牢獄の外へ出られます?

ティルセルダー殿だって、孫弟子を喜んで迎えたでしょうに。」


ガロンは目を細め、兄弟子が去っていった方角をじっと見つめた。


「それが出来なかったのは、エイリスの人類愛も愛国心も、結局は自己愛の裏返しだったからです。

要するにあいつは、相手がデカすぎる喧嘩から目をそらし、秘文庫だの異国の知識だのという、あやふやな夢に逃げたんですよ……」


ひと息ついて、ガロンは再び口を開いた。


「バルドは、有能で正直な奴でした。けれど、あまりに善良すぎた。

これから訪れる乱世の嵐は、あいつのような人間には生きづらい時代になるでしょう。

だから似たように真面目で、武骨なドワーフ達のもとで、雨宿りさせようと思ったのですが……まさか、その姫君の心まで射止めるとはな!」


実に愉快そうに溜め息をついて、空をあおぐ。


「……あいつは諸神に愛されている。いずれ名を成し、英雄と呼ばれることになるでしょう」

「では、お前はどうだ?ラトゥールのガロンよ。何ゆえ、自分こそ儂の求める『器』だと思うのだ?」

「俺に器の資格があるか、ですって?」


ガロンは口元を僅かに歪め、鋭い光を瞳に宿した。


「もちろん、大有りですとも!貴方は戦勝の条件として、『地の利』『魔の力』、そして『天の運』を挙げましたな。だが、来る戦国時代を勝ち抜くには、それだけでは足りない。俺はそこに『王の虚無』を加えましょう。万人の上に立つ者は、己を限りなく虚しくする術を知るべきです。美味い料理を食うために、まず胃を空っぽにするように……」


ガロンは再び歩き出した。


「その点、エイリスとバルドは失格でした。どれほど優秀でも、奴らの器はすでに満ちていた。見栄やこだわり、義侠心といったものでな。だが俺は違う」


一歩、また一歩と老師に近づいていく。


「……我が器にあるのは、天下を一呑みにして、人生の全て味わい尽くさんとする野心のみ。理想や情に足を取られること無く、貴方の望みも含め、自分の欲望を叶えるためだけに働くことが出来る」


巨漢がガルウィンの傍らに立つ。太陽を背後にそびえ立つ黒い影の中で白い歯が輝き、その奥で赤黒い虚無が笑っていた。

ガルウィンは弟子の成長を痛感した。

かつて腕に抱いた、怯えた大きな目をし、骨のように痩せた幼子の面影はもはやどこにもない。


「一転の迷いもない覇者の言葉だ。だが――儂はお前達三人に、王道をこそ歩んでほしかった……」

「それが平和な世なら、それもよかったでしょう。ほどほどに無能な皇帝の下で、昼行灯の振りをしつつ、面倒事をエイリスとバルドに押し付けて怠惰に生きるのも悪くない。だが今は非常の時です。瓦解した帝国の建て直しには多大な時間と労力がかかる。船頭は二人も要らない。貴方の後継者は……俺一人で十分だ」


ガロンは歩みを再開した。師と肩を並べ、やがて追い越し、さらに遠くへと進んでいく。

ガルウィンは離れていく弟子の大きな背中を見送り、やがて目を伏せた。足元の草を撫でる風に目を落とし、遠くに輝く琥珀の森を振り返り、最後に澄み切った空を見上げた。


あの日――初めて故郷の木陰から旅立った時、自分の前途には果てしない希望と未来があった。天に浮かぶ雲さえ、いつか手が届く気がした。


だが、四十余年の歳月が巡り、夢は破れ、弟子に追い越され、老い衰えた身には、もはやわずかな時しか残されていない。

それでも空は、若き日と変わらず、痛いほどの青さで広がっている。その青の中を、雲のような白い鳥達が舞っていた。

ガルウィンは雪色の翼に向かって、やせ細った腕を差しのべた。


「ガロンよ……天を舞う鳥達は、地を這い、泥にまみれる儂らを笑っているのだろうか?あのように空を飛べれば、浮世の苦しみや汚れから自由になれると思うか?」


超然と歩いていた巨漢が、険しい表情で振り返った。


「師匠ともあろう者が、何を馬鹿なことを……!」


どこか焦りをにじませた足取りで戻り、ガルウィンの肩に手をかける。


「鳥どもが気にするのは、腹を満たすことだけです。そして今日、奴らは宴の支度に忙しいでしょうよ。肉がいくらでもあるんだからな。連中の宴会料理に加わる前に、さっさと次の宿場町まで行きますよ」


今度は、師の足取りに合わせて歩いていく。うねる緑の草の海の中、師弟は二人きりで進んでいく。

彼らが残した足跡を、やがて風と小動物達が跡形もなくかき消していった。


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