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第10話 師弟の別れ

師弟の帰路は、驚くほど順調だった。

妖精の加護か、あるいは逃げ惑う大軍を恐れてのことか。道中、魔物も野盗も影を潜め、空は一片の雲もなく、澄み渡っていた。


だが、最初の分かれ道に差しかかったとき、ガルウィンは気づいた。二人の弟子が、自分の背後にいないことに。


「どうした? そちらは帰り道ではないぞ」


すでに答えを予想しながら、老将軍は問いかけた。


「……ここへ来るまでに、話し合いました」

「これまで大変お世話になりましたが、俺達はここで、師匠と袂を分かちたいと思います」

「なぜ、そう思った?」


ガルウィンが白い眉を上げて問うた。

すると、一番弟子のエイリスが一歩前へ出た。

苦悩を滲ませながらも、変わらぬ鋭い眼差しで、まっすぐに師を見つめる。


「ずっと考えていました……あなたの言葉、あの妖精の言葉を。

たとえ、あれがすべて善意に基づく行動だったとしても――俺は、奴らのやり方をどうしても許せない!」


若者は吐き捨てるように言った。


「歴史の裏で糸を引き、国家の興亡を操り、気に入らなければ疫病で間引く。これでは人間は、妖精達の家畜も同然だ! 私には、そんな屈辱に耐えることはできません!」

「……ならば、どうするつもりだ?」

「私は、人間を妖精から独立させたい。

あなたは文明の基礎がエルフから伝わったと言った。でも、叡智は彼らだけのものじゃない。私は古の聖賢の教えを掘り起こし、異国の知識を集めて、新しい道を探します。そしてそれを次の世代に受け継がせる。たとえこの命をすべて費やすことになっても――

人類を、古代種と肩を並べる存在へと引き上げてみせます!」


「わかった。ならば、好きにするがいい」


エイリスは、老将軍のあまりに呆気ない承諾に戸惑った。

師の反応に備え、彼は様々な覚悟をしていた。

怒りの叱責、冷たい批判、理を尽くした説得、あるいは情に訴える引き留め――

だが、この凪いだ海のような平静さは予想の範囲を超えていた。


ガルウィンは翡翠でできた護符を懐から取り出し、そっとエイリスに差し出した。


「これを持って行け。お前が以前から興味を示していた、サンシャーの秘文庫へ通じる鍵だ。あそこには古今の魔道書から歴史書、料理本に至るまで、あらゆる文献が揃っている。存分に読み、お前の研究の糧とするがよい……」


そして、老将軍は言葉を継いだ。


「もし海外へ渡りたいのなら、青珠の港へ行け。バットゥータという船主にこの護符を見せるのだ。旅に必要なものは全て用立ててくれる。お前を香辛料香るガーギッシュから、古代帝国のあったヌビア、東の果ての絹の国まで連れて行ってくれよう。

だが、生水には気をつけろ。儂は昔、それで酷い目に遭ったことがある」

「先生……!」


エイリスは言葉を詰まらせた。

ガルウィンは分かっているかのように微笑み、若者の肩にそっと手を置き、そして二番目の弟子の方へ向き直った。


「さて、バルドよ。お前はどうする?」

「俺はエイリスのような大志はありません。エルフについての考えも、ほとんど師匠と同じです。ただ……」


小柄ながら引き締まった体をさらに強張らせ、バルドは言った。


「ただ一つの大樹に全てを預けるのは、危ういと思います」

「ほう……」


ガルウィンが白い眉を上げた。


「今まで五千年続いてきたものが、この先五千年続くとは限りません。俺達は、ほかの長命種とも繋がりを持つべきだと思うのです。ドワーフはエルフに次ぐ有力な種族です。実は俺、運よく……その、彼らの王族と知り合いになりまして……」

「おおっ! あのドワーフの娘っ子か!」


ガロンが両手を打ち合わせ、バルドがギクリと肩を震わせた。


「師匠は知らないかもしれませんが、俺とこいつ、居酒屋の帰りに暴漢に襲われていたドワーフの娘を助けたんですよ。やたらと身なりのいい子だとは思ったが、よもや王族だったとはな。堅物だとばかり思ってたがバルド、お前も隅に置けん! 王女を助けて玉の輿とは、おとぎ話のようじゃ……あたっ、あたたた!」

「や、やかましい! ゲルダ殿下は素晴らしい方だが、俺達はまだそんな関係じゃない!」

「……まだ?」

「下衆な詮索をするな!!」


ガルウィンは苦笑しながら、真っ赤になって拳を振るうバルドをガロンから引き離した。


「ゲルダ殿下か……確か、ストーンシャイン家の姫君だったな。

あそこは仲の悪い従兄弟が玉座に奪い、形見の狭い故国を離れて、新しい鉱山を探していたはず……」

「はい。開拓に必要な機材を求めて帝国に来たものの、陛下のエルフへの宣戦布告で異種族への迫害が激しくなり、物資も調達できずに行き詰まっているそうです」


「ふむ……それは急がねばなるまい。遠征軍の残兵が戻れば、食糧も物価も高騰し、街道は乱れて旅も叶わなくなる。南西の駅場街へ向かえ。そこで魔獣屋を訪ねるのだ。隼と豹のグリフィンを買え。あれが一番速い。……それから、これも持って行け!」


ガルウィンは荷物の中から、素焼きの小さな壺を取り出し、バルドの装備帯へ押し込んだ。


「師匠! これは大事な万能治療薬エリクサーではありませんか!」

「言っただろう、一刻を争うのだ。お前は、どうしても敗戦の知らせより先に帝都へ辿り着かねばならん!」

「し、しかし! 師匠が途中で怪我や病気にでもなったら……!」

「ティルセルダー様が、最初の目的地までの安全を保証してくださった。儂らにとって、これはただの荷物だ。だが、お前にとっては命綱だ。治療薬は疲労も回復させる。疲れを覚えたらすぐ飲め。お前の健脚なら、あの草原を三日で駆け抜けられるはずだ!」

「そういうことなら、私の分も持って行け」


エイリスが自分の薬を差し出そうとするのを、ガルウィンが制した。


「その心意気は立派だが、秘文庫までの道もまた長い。お前にも必ず必要になる。……おい、ガロン! どこへ行く!」


こっそり立ち去ろうとしていた大男は、師の呼び声に飛び上がった。


「さあ、お前の分も出せ。高等魔術師ともあろうものが、治療薬ごときで惜しむな!」

「ご、ご勘弁を! これは葡萄酒を混ぜた、世界でただ一つの特製品なんです! 水のように飲むなんて冗談じゃない!」

「贅沢をぬかすな! バルドの恋路と人生がかかっておるのだ! ついでに食糧も出せ! 薬だけでは腹は膨れぬ!」

「し、師匠ーー!!」


ガルウィンは思いつく限りの物を弟子達に持たせると、妖精銀でできた割符をバルドに手渡した。

帝国商会で使われる特別な手形で、木や紙に刻む通常の割符とは異なり、輝く銀に金額が刻まれていた。

その数字に、バルドは目を飛び出させた。


「……こ、こんな大金を!」

「クラッスス商会に言えば、ゲルダ殿下の探索に必要な物資をすべて揃えてくれるだろう」

「とてもいただけません!師匠の生涯の蓄えではありませんか!」

「先帝からの俸禄の一部に過ぎん」


ガルウィンは笑い、割符を返す弟子の手を押し返した


「荘園の収入と、商人への貸付の利子がある。儂には十分だ。」


さらに老将軍は続けた。


「商会の貸金庫に、使わなくなった武具も預けてある。気に入ったものがあれば持っていけ。残りは金に換えてもいい。儂にはもう無用の長物だ」


そして、老将軍は弟子達の手を取り、その顔を見上げて言った。


「我らの道はここで分かれるが、師弟の縁は切れん。迷い、悩むことがあれば、遠慮せず連絡しろ。傷つき、行き場を失った時は、いつでも帰ってこい。我が家の扉は、いつでもお前達のために開いている。」


エイリスとバルドは、小さくなった師の手を握り返した。

涙に霞む視界に映る老将軍の微笑みは、いつもよりもずっと温かく、そして何故か遠く感じられた。


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