神殺しの邪悪な騎士様の褒賞になりました。
国を脅かしていた黒竜。
それははるか昔より、このアルビオ王国を守護してきた神にも等しい存在であった。
黒竜は神といっても魔獣のたぐいだ。魔獣はもとより理性を持たない。
ただ竜となると話は変わってくる。普通の魔獣と違って元になった獣が存在しない神聖な竜は、人間と時たま好意的な契約を交わすことがある。
その契約を守っていれば国に安寧をもたらすことを約束し、アルビオの王族は代々契約を受け継ぐ血族だった。
しかし、王族は契約を違えた。
そして黒竜は理性を失い国を呪い、力の限り暴れまわる魔獣と化した。
そんな黒竜を討伐したということで、今のアルビオ王国はお祝いムードでどんちゃん騒ぎだ。
竜を倒した英雄は、黒竜の管理を生業にしていたエレディア辺境伯家のレオンシオという騎士だそう。
けれども、その祝いの祭りを眺めながらセレスティナは、馬車の中でぼんやりと思った。
……今まで、この国を守って神だとあがめられていたのに、契約を反故にされて殺されて、守っていた人間がこんなに喜んでいるなんてどんな気持ちなんでしょうか……。
少なくとも良い気分ではないだろうし、空の上の幸せな世界で悲しんではいないだろうか。
そんなことを考えながらセレスティナの乗った馬車は王城に入っていく。
そういえば黒竜を倒したレオンシオには莫大な褒賞が与えられるらしい、そんな噂が流れていることをふと思い出したのだった。
「今日、お前を呼び出したのは、ほかでもない俺とお前の結婚の話だ」
そんな言葉から王城での面談は始まり、セレスティナは小さく首を傾げた。
婚約者のアドルフォが言っていることは不可解だ、結婚の話なんてとうにまとまっている。
こんな場で改めて話をすることでもないだろうし、何よりアドルフォの隣にいる女性に気を取られてまともに話し合いを出来る気がしない。
彼女はこのアルビオ王国の第一王女であるディアナ王女殿下だ。彼女の髪は清楚な黒髪が上品にカールしていてとてもお淑やかに見える。
王城に呼び出された際、彼女の名前であったため不思議であったが、彼女だけでなくアドルフォもいてさらには、結婚の話。
まるで関連性がつかめない。
ディアナ王女殿下がセレスティナを呼び出した理由を説明するなり、彼がディアナ王女殿下とともに並んでソファーに腰かけていることを説明するなりあるだろう。
そう思うのに、アドルフォはセレスティナの混乱など素知らぬ顔で続けた。
「お前との婚約、今日この日をもって破棄すると告げよう」
「?」
「私は、ディアナを嫁に貰うことになった」
「??」
「であるからには、お前には竜殺しの英雄であるレオンシオ殿の元に褒賞として向かうことが急務になる」
「???」
「婚約者として、愛したお前をよそにやるのは私だって心苦しい、しかしこれもあの横暴なる男を満足させるため。あの男にはこれからもこの国を守り支えていってもらわねばならない」
重苦しい声でアドルフォはつづける。
「だからこそ、約束した褒章は必ず与える必要がある。わかったな、セレスティナ。お前の両親も親類も私の両親も全員がその決断に納得している。褒賞になれるのはお前しかいないんだ。ここはアルビオ王国の為にどうか堪えてほしい」
彼はとても神妙な顔をしてそういい放ち、目をまん丸にして驚くセレスティナを無視して手を差し伸べた。
「今まで本当にありがとう。お前には私も支えられてきたように思う。新しい男の元で幸せになることを祈っている」
そんなふうに言って握手を求めてくる彼に、セレスティナはその手を見て、アドルフォを見て、それからディアナ王女殿下を見て、またその手を見た。
「っ」
すると、突然、ディアナ王女殿下は、口元を抑えて目を細める。彼女はくすりと笑っていた。それほどまでに自分は間抜けな顔をしていたのだろう。
「ごめんなさい。私の事は気にせず、続けて……」
「おい、ディアナ。そう笑ってやるな。流石に不憫だろう。幼いお前を襲ったことのあるような男の元に行くんだ。優しくしてやらないと」
「あらっ、だってっふふっ、やだ。こんなちんちくりんが素っ頓狂な顔をしていたら誰だって」
「たしかに、セレスティナは下品な金髪に、緊張感のない顔をしているが……気を悪くしないでくれ、ディアナに悪気はないんだ。セレスティナ」
彼女がおもしろ可笑しくセレスティナの容姿をいじると、味方であるはずのアドルフォまでなぜかセレスティナの容姿を馬鹿にしたような発言をする。
……それはもちろん、王族の美しい黒髪には負けるのは当たり前……だけど。
そんなふうに言われる筋合いなどない。
それにしてもこの二人はセレスティナに配慮せずに話を進めて、勝手に終わりにしようとしているのではないだろうか。
父も母も了解したところで、セレスティナ自身はその婚約破棄に、了承などしていなければさらには褒賞なんて話も到底納得できない。
……ディアナ王女殿下がこの場にいて、そう言ってくるということは王族すら了解の決定事項、この場で逆らうことは賢い選択とは言えない。
……でも。
「お言葉ですが、ディアナ王女殿下、アドルフォ、私はその申し渡し、納得することができません。
婚約破棄をアドルフォと二人で話し合って決めるならいざ知らず、話を勝手に決められ一方的に宣言するなど勝手ではありませんか。
それに褒賞というお話でしたがそれは具体的にどういった内容でしょうか。
そのお話はまだ、公にされていない事実のはず。納得できるだけの説明を要求します。
また説明をされたとしても、納得してあなたがたの望むように動くかどうかは、約束できません」
セレスティナはきっぱりと言い切り、視線を向けた。
ここは、簡単に引いてはいけないところだ。
膝の上で組んでいた手をきゅっと握って背筋を伸ばす。
あまり主張の強い方ではないセレスティナだが、理不尽をまったく文句を言わずに受け入れるほど気弱な性格をしていない。
国一番の美少女と呼ばれるディアナ王女殿下になじられようとも、アドルフォに嫌われようとも、自分の人生を決める選択には真摯でありたいと思うのだった。
詳しく話を聞いたところ、事情はおおむね理解できた。
黒竜の討伐隊を結成し派遣する際に、国の命運を左右する事態であったため鼓舞するために、国王陛下は討伐の褒賞を約束した。
どんな高価な魔法道具でも、英雄として銅像を建てるでも金銭でもなんでもいい、一つだけ願いを聞き届けようと。
そして戻ったレオンシオは、こう要求したという。
『黒竜を討伐した際に、俺はこの体に黒魔法の呪いを受けた。これは一生消えることのない竜の呪いだ。
であるからして、その呪いを相殺できるほどの白魔法を持った女性を将来の伴侶として娶り、伴侶とともに黒魔法に汚された故郷の土地、エレディア辺境伯邸での安定した生活を褒章として要求する』
黒竜を倒したのだからその呪いを受けることは、納得のいく事象だ。
そしてまたその呪いは黒魔法の系統だ。
だからこそ、白魔法を使える女性に献身的に支えてもらい貴族として安泰の生活を送る。
それはとても理にかなった選択だ。
これならば黒竜の暴走によって立場の弱くなった実家にも、生活の保障の為に何らかの補填がされるだろう。
しかし、問題はその白魔法を持った女性だ。
今の世代に、白魔法を持ったある程度の魔力のある未婚の女性は、二人しかいない。
もともと稀有な魔法であり、神聖視されることも多い。そしてセレスティナはその魔法を買われて公爵家の跡取りであるアドルフォと婚約することになった。
もう一人というのは言わずもがな、ディアナ王女殿下だ。
彼女にもこれまた色々と事情がある。本来であれば他国の王族へと嫁ぐことが一般的な彼女だが、数年前、不祥事を起こし外へと嫁ぐことが出来なくなった。
なのでディアナ王女殿下とセレスティナ、二人のうちどちらかが褒賞になるしかない。
そして選ばれたのは……。
「いい加減に諦めなさいよ。往生際が悪いわね」
ディアナ王女殿下はセレスティナに、じっとりとした嫌な声でそういった。
昼一番に王城に到着して話し合いを始めたというのに、すでに夕暮れ時。事情を知った後でもセレスティナは、いろいろな理由をつけて、この事態がつくがえらないかと理屈をこねていた。
しかしどう考えても今の状況は不利すぎる。
ここから打開できる道筋は思い浮かばないし、アドルフォは二時間ほど経ったあたりで呆れて外の空気を吸いに行ってしまった。
あとは残された彼女にちくちくと責められているだけで、状況の進展は見られない。
「それは……その通りかもしれません。しかし……」
「なによ。どうせ誰かに娶られるって事には変わりないでしょ? それなのに男が変わったぐらいでがたがた言って……それってまるで……ああ、もしかして」
彼女はイラついた様子で髪を指先にくるくると巻きつけながら言って、それから思い立ったとばかりに少し表情を明るくした。
「あなたもしかして、アドルフォが好きなの?」
不意に、そういわれて、セレスティナはうつむいた。
いろいろこの話には問題があるし、もっとたくさんの事情が絡んでいる。しかしそういう気持ちがなかったのかと言われると否とは言えないのが事実だ。
「やっぱりそうなのね。そういう話なら、あなたさっさと認めるべきよ。だってこんなに美しい私とあなたじゃ、比べ物にならないでしょう?」
そんなことは理解している。
彼女とセレスティナでは天と地ほどの差があって、不祥事があってもなお彼女は大切にされるお姫さまだ。
「美しい私が教えてあげるわ。さっさと諦めて、大人しく褒賞になるのが一番いい。あなたはおとなしく、呪いを受けた邪悪なあの男の元で結婚生活を送るのがお似合いよ」
「……」
「言い返してこないということは納得したということでいいのね。じゃあ、今までお疲れ様、セレスティナ、アドルフォの事は私がちゃんと幸せにするからね」
そういって彼女はソファーを立って出ていく。
ここまでどうにか奮闘していたけれど所詮は力のない子供の戯言だ。駄々をこねても話は覆らない。
分かっていたけれど苦々しい気持ちになって、セレスティナは切り替えるように大きなため息をついたのだった。
セレスティナはとても辛気臭い顔をしていたと思う。
あれからすぐさまセレスティアはエレディア辺境伯領に送られることになった。
とても新しい旦那様と会って楽しく結婚生活を送れる気持ちではなかったが彼は白魔法を必要としている。
一刻も早くレオンシオの元へと向かわなければならない、馬車での旅をへて辺境伯邸に到着した。
セレスティナがすぐに心の整理をつけられなかったのにはほかにも理由がある。
レオンシオは公に処罰はされなかったものの、ディアナ王女殿下の不祥事の当事者だ。
詳しく事情を調べることができなかったがレオンシオは昔、ディアナ王女殿下の護衛騎士だった。しかし二人は許されない関係になり、その話が隣国まで届いたせいで、隣国に嫁ぐ話はなくなった。
その後すぐに、レオンシオは護衛騎士を外されて、黒竜の討伐隊に入れられた。
当時は、黒竜の討伐は不可能ではないかと言われていた。つまりは、死地へと向かわされたのだ。
そしてそれを受け入れた彼は、誰からどう見ても年下のディアナ王女殿下に関係を迫り処罰された悪者に映った。
そしてディアナ王女殿下は悲運の王女として、この国では誰もその失態をなじったりせず、レオンシオが英雄だといっても彼の事を本当の意味で称賛したりはしない。
そんな男の元に、向かう事をセレスティナの身内は了解し、アドルフォには彼女を選んだと直接言われ、すぐに結婚生活は幕を開けようとしている。
辛気臭い顔にもなるだろう。
……でも辛気臭い顔をしていても許してくれるならまだ……ああでも、魔法にだけ興味があって私になんて興味もないのかもしれません。
考えれば考えるほど悲しい想像が浮かんで、気分が落ち込んだ。
しかし屋敷へと馬車が到着し、少しは頭を切り替える。
与えられた部屋に向かって身支度を整え彼に挨拶する。今やることはそれだけだ、今後の事は考えすぎない。
重たい体を引きずるように馬車のステップを踏んで外に出た。
けれども想定とは違って、彼は屋敷の玄関扉の前に立っていた。
その騎士らしい風貌、腰に携えた大きな剣に鋭い瞳。整った顔つきはとても威圧感がある。
「……ディアナじゃないのか」
レオンシオはぽつりとつぶやくように言う。
その一言に、彼がここにいることすら驚いていたセレスティナはぴしっと表情が硬くなってしまって、足元がぐらつくような感覚に襲われた。
「も、申し訳ありません」
咄嗟に謝罪をすると、彼はしまったとばかりに口に手を当てて、それからバツが悪そうに弁明した。
「ああいや、謝らないでほしい。アルビオ王国の白魔法使いというと王家という印象が強いだろう。だからつい言ってしまった。急いで来てもらってこちらこそ申し訳ない。そのせいで君という人間について俺はあまり知らない。中に入って色々と教えてくれると助かる」
「……はい」
彼はそうしてフォローしてくれたが、セレスティナはジワリと瞳に涙がにじんでいた。
あんな褒賞を要求したレオンシオは、考えてみればディアナ王女殿下を嫁に貰いたいと思っていたから白魔法使いを派遣してほしい、ではなく伴侶となれる白魔法使いが欲しいといったのだ。
……私は、結局、あの方の代役なんですね、これから一生。
ずっと大切におもわれることなどないと思い知って、それでも婚約破棄を言い渡されたあの時に、悲しみつくした。ぐっとこらえて前を向く。
彼の後ろをついていき、彼の私室の方へと案内されて、セレスティナは侍女たちが用意している二組の椅子の方へと目をやった。
向かい合う形で用意されていて、その様子にすぐにでも白魔法を使う必要があるのだと理解した。
「もちろん、疑っているわけではないが、想像していたよりも呪いの進行が早い。さっそくで悪いが君の力を見せてほしい」
振り返りつつもレオンシオはそういって、ジャケットを脱いで適当に侍女へと手渡す。
白魔法の癒しは直接肌に触れた方が簡単に発動する。
今日であったばかりの男性の肌を見るのは少々憚られるものだが、それも白魔法使いであるセレスティナにとっては慣れっこだ。
「はい、構いません。ああでも、その前に私のトランクの中に入っている魔法道具をいくつか用意させてください」
「……君は白魔法を持っているんだろう。必要あるのか?」
「そうですね、一応……」
「わかったそのようにしよう」
この部屋の中は丁度良く温められているが、外は冷えていてセレスティナの体は冷えている。
いつもの診療の際にも気を付けている事なので、白魔法を使うとなったら軽くでもやっておいた方がいいと思うことがいくつかある。
彼は呪いをかけられた患部を露出するために上裸になり、セレスティナは、簡易的な魔法道具を椅子の隣にワゴンに乗せてもらって準備した。
「ああ、そうだった。名乗る必要がありましたね。私はセレスティナ。カンデラリア伯爵家令嬢です。白魔法は家系由来のものではなく発現したものなので由緒ある力ではないけど、魔法使いの称号は貰っているから安心してください」
「……」
魔法教会からの紹介で仕事をするときと同じようなことを言って、ドレスの胸元につけているバッチを見せた。
それから、小さな水の魔法道具を使って手を清める。フワフワとした水の塊がセレスティナの手を包んでいる。
「セレスティナこれからよろしく頼む。知っていると思うが俺はレオンシオだ。……ところでそれは何を?」
次に、炎の魔法道具を使ってきっちり手を温める。少し時間がかかるところが難点だが、それでもあるのとないのとでは違うと思う。
「呪いを受けた個所や、傷に触れることになるから、清潔にして温めているだけです。急に冷え切った手に触れられたら誰だって不快でしょう?」
「……ああ、そうか。……王族は魔法使いの称号がいらないからか……」
手を温め終わって彼に向き合う。
レオンシオのその言葉で、彼が誰と比べてセレスティナの行動に疑問を持っていたのかわかって、一応訂正しておく。
「いえ、これはディアナ王女殿下がやっていなかったのは魔法学園に通っていなかったからではありません。これは単純に、私の自己判断ですので」
「そうか。君は細部にまでよく気が回る人なんだな」
「そんなことありません。相手の事を思えば自然と、同じようなことをする人が多いともいますよ」
そう言って至近距離にいるレオンシオに向き合って、呪いを受けた患部にゆっくりと触れた。
胸の上に黒い痣を作って蛇がとぐろを巻くように命をからめとって苦しめている。
魔力を込めるとその黒い痣はさらりと砂のように崩れて少しずつ空中に溶けて消えていく。
「…………すごい力だ。結局、どれほど強くとも呪いには敵わないのだから、君のような人間がいてくれてとても助かる」
「でも、私には竜を倒すことなんてできないから、お互い様です」
レオンシオはとても強く実感したようにそう言って、セレスティナも思いついた言葉をすぐに返す。
そして心の中でそれに、と続ける。
……それに、私は美しくもなんともない。あなたが望んでいた相手ではないただの白魔法使いです。
「そう言ってくれる君が来てくれてよかった。正直……何というか、情けだったんだがな」
また気分が少し落ち込みそうになった時、レオンシオは癒しの魔法を受けながら少し気を抜いていった。
その言葉に首をかしげてみると、彼はセレスティナを見下ろして少し目を細めた。
「昔のよしみで、使いつぶされるようなことになる前に救い出してやろうかと思ったんだ。あの人は俺をはめたどうしようもない人だが、国中の呪いを背負って生きるなど不憫だろう」
「……あのあまり話が読めないんですが」
「すまない、公表していない事だったな。……黒竜の呪いは討伐の際に体に受けた。ただ、それが黒竜が残したすべてだなんて言っていないだろう」
彼はなんてこともない思い出のように言う。
「あの人が俺に少しでも負い目を感じているのならば、潔く嫁に来ると思ったがそうでもないようだし、人間というのは変わらないものだな」
「……」
「それに、俺だって、君のような優しい人とそばにいたい。何はともあれ自業自得だ。それを数ヶ月後、このアルビオ王国の全員が実感することになるだろう」
レオンシオが言った言葉は、なんだかとんでもないものな気がしたけれど小さな誉め言葉がうれしくてセレスティナは適当に頷いた。
「そうですか。……お加減はいかがですか」
「大分いい、体が軽くなるような心地だ」
「よかったです」
笑みを浮かべるレオンシオに、自分の価値を示せたことはとてもうれしく、エレディア辺境伯邸での一日は悪くないスタートを切れたのではないかと思えるのだった。
しばらくの間、セレスティナはエレディア辺境伯邸でゆったりとした時間を過ごしていた。
よく考えると今までの王都での生活は、白魔法を多くの人の為に使う事が義務付けられていたし望まれていた。
公爵跡取りとの結婚も決まって、公爵夫人として仕事をこなすための教育から魔法学園での勉強、そういったことが自分の人生にぎっちりと詰め込まれていた。
しかしこの場所に癒さなければならない人は一人しかいないし、続々と送られてくる実家からの家具や荷物を整理するのが今の一番の仕事だ。
辺境伯領の事を学ぶことも重要だと思い、レオンシオに提案してみたのだが、あまり根を詰める必要もないから若干暇だと思える結婚生活をおくっている。
そんな日々の中、ある昼の事、レオンシオに呼び出されて彼の執務室へと向かった。
「来たか。こっちに来てくれ」
彼は出会ったばかりのころに比べて表情が豊かになっている。
笑みも屈託もなくて、なんだか少しだけ子供っぽくてセレスティナは彼のそういう部分が好きだ。
「はい。何か面白いものですか?」
なんだか楽しそうだったのでそう聞きつつ、大きな執務机の横に用意されている椅子に座る。
すると彼は、ハッとして自分の顔に触れてそれから少しばかり考えた。
「そうといえばそうなのだが、こんなことを嬉しく思って君に報告するのは底意地が悪いような気がしてきた」
「どういうたぐいのものなんです?」
聞きながら彼の持っている手紙を覗き込む。それは王族からの手紙だ。
「君の分はこっちだ。ほら、ディアナに色々と言われて、婚約者まで取られたと言っていただろう。これで少しはその気持ちが晴れると思ってな」
手紙を渡されて、セレスティナは軽く目で追った。
そこには王都の方まで浸食した呪いが土地を枯らし魔獣を生み、国は大変なことになっているという内容だった。
そして白魔法を使える王族はてんてこ舞い。若く潤沢に使える魔力を持った白魔法使いはディアナしかいない。
次から次に依頼が来て結婚生活どころではなく、魔力失調の症状まで出ている。
だからディアナを助けると思って王都に戻ってきてほしい、自分の意志で戻ってくるのならば褒賞だとしても許されるはずだ。
見捨てないでくれ。
そんな情けない手紙だった。
「……これは……たしかに、ちょっとスカッとします」
「だろう? そもそも、王族が黒竜との契約をたがえたから暴走したのに、その咎を背負わずに俺のような騎士に任せて討伐してもらおうなんて虫が良すぎるんだ。自分たちの失態は自分たちで受け止めるといい」
レオンシオは、楽しそうにそう言って自分に来た方の手紙も見せてくれる。
そこにかかれているのは、助けてほしいという懇願で、ほかにいくらでも美女たちを嫁がせるから、セレスティナを王都に戻し、少しでも王族が楽になるように努めてほしいというものだった。
「他にも、ディアナからの手紙なら沢山あるぞ。君に対して不快な言葉を使っている物もあるから目を通すのはあまりお勧めしないが」
レオンシオは引き出しを開けてそういう。見ればその中にはアドルフォのものも含まれていて、それは今度時間があるときにでも読めたらなと思う。
しかし、ディアナの手紙に関してはあまり読みたいとは思えない。きっと読んだって不快な気持ちにしかならないだろう。
そう考えて手紙を見ていると、ディアナからレオンシオに対しての手紙がいくつかあることに気が付く。
「私はあまり精神的に強い方ではないので遠慮しておきます。……それより、ディアナ様からの手紙はレオンシオ様のところにも届いているんですね」
指摘すると、彼は手に取って「見てみるか?」と聞いてきた。
……見てみるか? って見ていいのですか?
だってそこにはディアナからのレオンシオへの言葉がつづられているのだろう。それに……。
「自分の事が好きだったのだろうとか、今からでも褒賞として俺の元に向かうつもりがあるなんて書いてあるが、今更過ぎて面白くなってくるほどだ」
……やっぱり、そういう話。
「でも、そう変わり身の早い彼女でも、あなたは迎え入れたいと思っているのでは? もともと好きで彼女が今の状況にならないように褒賞を要求したのですし……」
不安になってつい口にすると、彼は少し意外そうな顔をして、それからセレスティナの手を取る。
軽く握られて、まっすぐに見つめられた。
「俺は出会った時そんな言い方をしてしまっていたか? では君は不快に思っていただろう。……正しく言うならば、謝罪と償いが欲しかっただけなんだ」
「謝罪と、償い……ですか」
「ああ、そうだ。もとより外国に嫁ぐのを嫌がっているのは知っていたんだ。
ただまさか、忠誠を誓った騎士をあんな方法で貶めて、わがままを言えるアルビオ王国に残ろうとするなんてその時は受け入れられなかった。
だからこそ、気持ちの整理をつけたかった。それだけなんだ。
今はもう、そんな気持ちとも吹っ切れた、俺には尽くしてくれる君がいるのだから君に対して真摯に向き合って理不尽な思いはさせたくないと思う」
そう言って、彼女の手紙を宙に放る。するとぼうっと端から火がついて、キラキラとした魔法の炎が手紙を包んだ。
魔法の炎で燃やされると灰にすらならずに消えるだけだ。
「君だからこそ望んで来てもらったわけではない、けれども君だからこうしてそばにいてもらえてうれしいと思う。これからは君だけを見る約束する、セレスティナ」
「……」
まっすぐな宣言に、セレスティナは驚いてしまって言葉を返せなかった。
しかし婚約破棄されて感じた悲しい気持ちが、こうして新しく出会った相手に大切に思われることで少しは報われたような気がする。
すごく嬉しい、そして嬉しすぎて泣き出してしまいそうで、涙がこぼれる前に指先で拭って返事をした。
「はい……嬉しいですっ」
するとレオンシオは急に泣き出したことに驚いてどうにか慰める。
そんなふうにして二人の距離は少しずつ近づいていくのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。