チキチキオーバードーズチキンレース
『青バケツ様。厳正なる審査の結果、貴君の参加を認める運びとなりました。つきましては以下の注意事項を確認の上、指定通りにお集まりください』
そんな手紙がポストに入っていた。青バケツというのは先日、集団自殺志願サイトに登録した名前だ。となれば、差出人はそのサイトの運営者であり、集団自殺の参加に関する手紙だと考えるのが妥当だろう。しかしどうにもおかしい。サイトに登録したのはニックネームと性別、そして志願理由のみである。住所など書いてはいないのだ。
手紙の入っていた黒い封筒には宛名も差出人の名前もない。郵便局を通さず直接ポストに入れたのだろうか。サイト運営者以外で考えられるとすれば俺のことを知っている人物による悪戯という可能性。しかしそれはないと断言できる。何故なら俺は天涯孤独であり交友関係もなく、なんなら先週まで刑務所に入っていたからである。そんな人間だから当然誰にもサイトのことを話してはいないし、そもそも警察以外に俺の住所を知っているのは大家くらいだ。
疑問は尽きないが、死ねるというのなら悪戯でも構わない。俺は手紙の注意事項に目を通し、その日が来るのを待った。
「ようこそ青バケツ様。希望と希望に満ち溢れたキック・オア・ダイへ」
当日、指定された場所は近所の公園だったが、その後黒スーツの男たちに目隠しをされて、どこかの倉庫に連れられた。暗い部屋にはボクシングやレスリングを彷彿させるリングが設置され、それを眩い照明が照らしている。
「おい、なんだここは。俺に誰かと殴り合えってのか?」
「ある意味ではそうであり、ある意味ではそうではありません」
そう答えるた奴の格好は着ぐるみだった。太ったネズミのような着ぐるみの首にはこれまた太いロープがマフラーのように結ばれている。くぐもった声からわかったのは、その正体が女性であるということ。
「青バケツ様にはこれよりゲームに参加していただきます」
「ゲームだぁ? ふざけてんのか? 俺は死ににきたんだぞ」
そう言って懐から手紙を取り出し投げつける。ネズミはそれを一瞥した後、鼻で笑った。その様子にドキリと呼吸が止まる。何かを見透かされたような焦りが生まれ、必死に隠すように悪態をついた。
「なんだ、何かおかしいか?」
「いえいえ。不快にさせたなら申し訳ありません。……ただ、死ぬ気もないのにそんなことを仰るので可笑しくて」
「……は? なに、言って……」
図星だ。戸惑いが大きくて言葉が出てこない。
「ですから、今日まで時間がありましたのにご自分で死のうとしていらっしゃらないので」
「それは……」
「集団自殺志願サイトに登録される方の大半は一人で死ぬのが怖い方々。青バケツ様は見たところそうは思えません」
ネズミは筋肉質な体を苦痛を乗り越えた実績と評価して、強盗を犯せる人間が死ぬのが怖いなんてことはないと言った。どうして俺が強盗犯だと知っているのか。いや、住所もわかっているのだ。名前もわかれば過去もわかるだろう。
「次点で止めてもらうのを期待する方々。貴方様はこちらに類するのでは?」
「俺が死ぬのを止めて欲しいと……?」
「ええ、まあ少し違うようですが」
……。
「私たちはそう言った方々を審査し、生存権を得るチャンスを与えるのです」
その切符がその手紙だとネズミは指をさす。それ幸いと指を追って呟いた。
「生存権?」
弁護士が法律の話をしていたことがある。たわいもない雑談の中ででてきた言葉だったが、馬鹿馬鹿しくて記憶に残っていた。
生存権。国民には最低限度の生活を送る権利があるとかなんとか。いやいや、最低限度ってなんだよ。今日を生きれる明日を生きれる、ギリギリ死ぬことはない。そんなの飼い殺しじゃないか。だいたい生きる権利があるからなんだというんだ。お前らだって好き勝手に人の命を奪うくせに。意味がないだろと弁護士に言ってやれば笑うばかりで反論もしなかった。あんな馬鹿に弁護されたが減軽になった。この国はダメかもしれない。
「ええ。生存権。例えば借金で首が回らなくなった方には一生遊べるほどの金を。労働苦、失業した方には個人の適性にあったやりがいのある職場を。いじめや孤立している方には裏切らない奴隷を提供します」
「それが最低限度っていうなら貰いすぎだな」
ネズミはその言葉にあからさまに驚いた様子を見せる。学がないとでも思ったのだろうか。
「失礼。私たちの考える生存権とは法律とは無関係なのです。生存権とは生きたいと思うこと。私たちはそれを提供するのです」
「なるほどな。そっちの方がいいわな。なら、俺には何をくれるつもりで?」
金は無いが借金も無い。日銭を稼ぐが不満はない。天涯孤独だが寂しくもない。そんな俺にこいつらは何をくれるというのか。ネズミは淡々と答えた。
「愛を」
「……はっ」
あまりにも馬鹿な答えについ笑ってしまう。しかし的外れな答えじゃない。考えてみれば俺が一番欲しいものはそれなのだろう。それが俺の生きる希望になるのだろう。
「だけど生存権の金はどっから出てくる? 少額で解決できるなら法律はもっとマシだぜ」
「そのためのゲームですよ」
ネズミはリングの奥にあるカメラに手を振った。暗くてわからなかったが、テレビとかで中継するような大きなカメラが確かにあった。
「これより青バケツ様にはもう一方の自殺志願者とゲームをしてもらいます。その様子を全国に配信してこの事業は成り立っているのです」
「なるほど……勝てば、その生存権を得られるってことだな。じゃあ、負けたらどうなる?」
当然湧く疑問にネズミは首にかかったロープを引っ張り上げて言った。
「自殺してもらいます」
それから少しして、倉庫のシャッターが開くと目隠しをされたヒョロガリの男が連れてこられた。
「ようこそシュガーレス様。希望と希望に満ち溢れたキック・オア・ダイへ」
その後ネズミは俺にした説明と同じことを説明し、最後に俺たちに問うた。
「ゲームに参加されますか?」
「ああ」
「……ええ、参加します。あの、それで、何か顔を隠せるようなものはありませんか?」
シュガーレスと呼ばれた男はそう言った。死ぬことを考えていたくせに生存権が得られるとなれば自分の身元を隠したくなるものなのか。
ネズミは黒スーツたちに目配せをしたが、これしかないと渡されたのは目と口の開いた覆面である。それを被った男はまるで強盗犯だ。
倉庫中央のリングに机とパイプ椅子が二脚向かうように並べられる。随分と低予算だ。配信するならここも凝ってもらいたい。俺たちは二人向かい合って座る。元強盗犯と偽強盗犯。その構図が可笑しくてニヤけたのをシュガーレスは睨んでくる。
「おっと、すまねぇ。そのマスク似合ってるぜ」
「……どうも」
その後、スケッチブックとペンが二つずつとカプセル剤が山盛りに入った平らな器が置かれる。よく見る普通の薬だ。ゲームに使うのだろうか。
「それでは皆様、お待たせしました。希望と希望に満ち溢れたキック・オア・ダイのお時間です! 司会はいつも通りこのイシュタムが務めさせて頂きます」
どこかのスピーカーから陽気な音楽が流れ出すと、カメラの前に立ったネズミ、イシュタムがそんな挨拶を始めた。
「今回のチャレンジャーはこの二人! 屈強な大男! 青バケツ様! 対するは本人の希望から顔出しNG! シュガーレス様!」
手でも振って見せようか。死がかかっているというのにどうにも緊張感が湧かない。目の前の男に負けるわけがないと思っているからか。
「それでは早速、ゲームを始めましょうか。今回ご用意したのは……ジャジャジャジャカジャカジャン! 第一回チキチキオーバードーズチキンレース!」
それともイシュタムがテレビのバラエティのような司会を行うからか。
「ルール説明へと参りましょう。このゲームは相手より薬を多く獲得した方の勝ちとなります。まずお二方には医者役と患者役に分かれてもらいます」
デモンストレーションでも行うのか、どちらかを選べと言われて俺は患者を選択する。医者という柄ではないからだが、覆面の医者もなかなかに怪しい。
「医者は20までの数字を、患者は300までの数字をスケッチブックにお書きください」
「300? それはまた随分と多いな」
「はい。300は卓上の薬の最大数となっております」
イシュタムはこれは薬を取り合うゲームと言っていた。ならばここは300と書いておく。シュガーレスも書き終えたようで机にスケッチブックを伏せた。
「書き終えましたか? それでは一斉ににお見せください。ほうほう、シュガーレス様『8』青バケツ様……『300』……ば、思い切りましたねぇ」
「バカって言おうとした?」
「さて、医者側の数字は医者が患者に処方する薬の数を表します。この場合『8』が患者に処方された薬となります。そして患者が書くのは服用する数。もしこの時、患者が8を書いていれば医者を信用した患者となりそのまま薬を獲得することができます」
俺もシュガーレスも黙ってルールを聞いている。シュガーレスとは時折目が合って、その度に逸らされる。怯えてるのか、観察してるのか、彼の視線は色々なところを向く。
「ただし、それ以下、1〜7では薬嫌いの患者となり薬を獲得することはできません。加えて、医者は処方した数から患者が服用しようとした数を引いた分の薬を獲得できます。処方8に服用1なら医者は7個の薬を獲得します。それでは何故患者は医者の指定以上の数を書けるのか。答えは簡単。患者は処方された以上の薬を獲得することもできるためです!」
情報の波に呑まれないようイシュタムの説明を真剣に聞いているが少し怪しい。あとで整理しておこう。
「しかし、処方以上の数字を書いた場合、医者を信用しない患者となり、その場で書いた分の薬を飲んでいただきます。今回の場合『300』錠、青バケツ様には飲んでいただくことになるのですが、これはただのルール説明、今回は飲まなくて結構です」
そりゃそうだ。ここで飲んでしまったら本番の薬がなくなってしまう。
「それぞれ医者と患者を三回ずつ繰り返し、全六セットでより多く薬を獲得した方を勝者とみなします」
「……なあ質問。それだと医者は不利じゃないか? 一セット目で今と同じように患者が300って書けばゲームにならないだろ」
「ご安心を。このゲーム、患者が大きい数字を書けない仕組みとなっております」
待ってましたと言わんばかりにイシュタムは質問に答える。
「何故ならこの300個のカプセル、中身はちゃんと薬となっており、つまり、医者の言うことを聞かず多く飲もうとすれば確実に死に至るのです。ちなみに、この薬、我々の作った特別なもので市販のものとはわけが違います。そしてその致死量は……もちろん秘密。もしかしたら一粒であの世逝きなんてことも! 自殺してしまわないよう、ご自愛ください」
なるほど。だからオーバードーズチキンレース。致死量がわからないのなら、多く書くのはリスクが伴うが、少なければ勝つことはできない。それに一発アウトの危険性もあるなら、なかなか思い切ったことはできないだろう。
「では、私からも質問を。薬の獲得量が最終的に同数となった場合はどうなりますか?」
「その場合は引き分けとなります」
「ああ、なんだ。引き分けって概念があるのか意外だな」
「引き分けの際は御二方に自殺していただきます」
「意外じゃなかった」
「そう、ですか」
男は何か思い詰めたように息を吐いた。そして鋭い眼光をこちらに向ける。どうやら覚悟が決まったらしい。
ここでルールを整理しておく。
・プレイヤーは医者と患者に分かれる。
・医者は患者に処方する20までの薬の数を、患者は服用する300までの薬の数を書く。
・患者が服用する薬の数が処方されたものより少なければ、薬嫌いの患者となりそのセットでの薬の獲得は無し。また、医者は医者と患者が書いた数字の差の分の薬を獲得する。
・服用する数が処方されたものと同じならば、信用した患者となりその分の薬を獲得することができる。
・服用する数が処方されたものより多かった場合、信用しない患者となりその分の薬を飲まなければならない。(薬は獲得したものとみなされる)
・ただし薬には致死量があり、一発アウトの可能性もある。
・ゲームは六セット行う。
・最終的に獲得した薬の数が双方同じ場合、二人とも自殺する。
「細かなルールはこちら!」
・1セットごとの制限時間は10分
・処方数、服用数はスケッチブックを伏せた面で確定する
・書き直しはスケッチブックを伏せるまでいくらでも認める
・白紙は棄権と見做す
・ゲームが終わるまでいかなる理由があっても席を立ってはならず、破った場合は自殺を選ぶ
・ゲーム中、プレイヤーが自死した場合、その時点でゲーム終了となる
・勝者には生の権利が与えられ、敗者は自殺を選ぶ
・著しくゲームの進行を妨害する行為を行なった者はゲームの敗者と見做す
「もう質問はございませんか? それでは早速ゲームを始めましょう。まずは医者と患者を決めてください」
「……さて、長引かせるのもアレなんで、ルール説明と同じ配役で行きませんか?」
「ああ、いいぜ」
男からの提案に素直に頷いた。医者になろうが患者になろうが薬を獲得するチャンスはある。いざとなれば151錠飲めばいいのだ。まあそれは冗談。こんな俺だって生存権が欲しい。シュガーレス、あんたもそうなんだろうと目を向ける。彼はすでにペンを走らせていた。音がヒントになるかもと思ったがイシュタムの流している音楽が邪魔だ。
諦めてペンのキャップを外した。さて、いくら書くか。
出来るだけ大きい数字を書いた方が患者は有利だ。医者に薬を取られる事もない。だからといって馬鹿みたいに大きな数字を書けば死につながる。理想とするなら医者の処方数を当てることだろう。ならば、俺が医者ならここはどうするか。
医者は患者と違って書ける数字に制限がある。20までの数字。どれを書くか。最大数の20は利点が多い。患者がチキンならその分薬も獲得できる。しかし反面当てられやすい数字でもある。下げて19なら患者が20と書けばオーバドーズも狙えるし、チキンにはやはり有利だ。では逆に1ならどうだろう。あまり利点はなさそうだが、確実にオーバードーズを狙いにきていると取れる。相手がチキンでは無いなら有効か。中間の10も悪く無い。結局患者は処方数を当てられず、超えたのなら服用数分飲まなくてはならないのだから、最低限守りのある数字は強いだろう。
これらを踏まえてペンを走らせる。
「それでは一斉にお見せください」
その合図で開かれるシュガーレスのスケッチブック。その数字は『1』。
「出ました。医者シュガーレス様『1』、患者青バケツ様『19』。残念、青バケツ様は信用しない患者となり、19錠の薬を飲んでください」
シュガーレスの真意を探るように彼を見つめながらゆっくりと薬を取り出していく。
「いいのか? 20なら俺は薬を取れなかったし、アンタは1個得れた」
「……それは結果論でしょう」
「へっ。……すまん、水とか無い?」
「あ、忘れてました」
言わなかったらどうするつもりだったのか。すぐに黒スーツたちがコップとヤカンを用意する。水は温かくも冷たくもない。その水で手のひらから少し溢れそうな19錠の薬を一挙に流し込む。
「随分と余裕ですね」
さすがに多かったと、残った薬を流すため二口目の水を口に含んだ時、シュガーレスは口を開いた。
「もしかしたら一粒で死ぬかもしれませんのに」
「んなわけねーだろ」
「……」
「こいつらは自殺をエンタメ化するような奴らだぜ? すぐに終わっちまったら視聴者が楽しめないだろ」
それに薬は300錠もある。明らかに多すぎるのだ。ならば、たかだか19錠。危険はないと考えてもいいはずだ。そう言って薬を流し込んだ。
――!
異変を感じたのは薬を飲んでから一分にも満たない間だった。心臓が大きく脈打ち、体温が向上したのを感じ取る。全身から汗が吹き出て、呼吸が荒くなる。それと同時に理解した。死というあやふやな概念が苦痛を伴っていることに。
「どうやら、あなたの見立ては外れたようですね」
「……どうだろうな」
「強がる必要はないでしょう。その様子だとあと10錠が限界。つまりは30錠ほどが致死量ということ」
「……」
おそらくシュガーレスの見解は正しい。感覚で言ってもあと10錠、それでもギリギリというくらいだ。
「さあさあ、それでは2セット目に参りましょう!」
頭が働かない。それでも考える。今回は医者だ。医者はとにかく患者に数字を当てられなければいい。なら1や20、前のセットで出した19も危険だろう。呼吸が邪魔する思考の中、導き出した数値を書き殴る。
「2セット目、医者青バケツ様『17』。そして、患者シュガーレス様……なんと、『21』! 医者の処方限度を超えた服用!」
「……21ね。30は無いにしても25くらいにしてりゃあ楽だったんじゃねぇのか?」
「薬で頭でもやられたようですね。それともはじめから馬鹿でしたか? 致死量には満たずとも昏睡状態に陥る可能性もあるでしょう」
ピンと来ていない俺をシュガーレスは小馬鹿にしたように笑う。
「ルールを読むべきですね。著しい進行は敗北ですから」
だが、そんな彼の態度も薬を飲んで変わる。死と隣り合わせのゲーム。その実感を嫌でも味わらされる。
「なるほど、これは……」
「棄権するなら今のうちだぜ」
「……貴方こそ」
「さあ、仲良くなったところで3セット目!」
仮に薬の致死量を30錠だと仮定すると、俺はあと10錠しか飲めない。だからといってここで10と書き、もしシュガーレスが20を書いていた場合、その差は12となり埋めるのが難しくなる。だからと言って20と書けば、オーバードーズで確実に死ぬ。さらにはさっきの会話。馬鹿ではない俺は気づいたが、10錠飲めるからといって10錠飲んで気絶でもすればゲームを続けられなくなる。なら服用数を下げるか? だがそうすれば差が大きくなってしまう。
明確に見えた崖端と頭を焦がす苦痛がペンを取る手を振るわせる。シュガーレスはすでに書き終えて余裕綽々といった様子だ。伏せられたスケッチブック。その数字さえわかれば悩むことはないのに。頭に熱が籠るからか、もどかしさに苛立ちを覚える。
「時間です。双方、お見せください。……医者シュガーレス様『20』、患者青バケツ様『10』。よって処方と服用の差をシュガーレス様が獲得! これにより薬の獲得数はシュガーレス様31、青バケツ様19となります!」
覆面越しにもわかるほど、シュガーレスは余裕な笑みを見せた。自分の勝利を確信したようなしてやったりとした顔に無性に腹が立つ。
「そりゃリスキーですよね。わかっていても20は書けない」
「……潰す」
「おお怖い」
「さっきまでの仲はどうしたのか。4セット目に参ります」
リスクがあるのは相手も同じ。シュガーレスは21錠飲んでいる。つまりオーバードーズが許されるのは8錠まで。安全に行くのならばシュガーレスは8以下の数字しか書けないはず。ここで20と書けば薬の獲得数の差を埋めることができる。だが、どうだ。さっきの態度と会話は俺を怒らせようとする目的があったのかもしれない。まだそれに気づけるほどには頭が動いてくれている。
「さあ、折り返し4セット目。医者青バケツ様『18』、対する患者シュガーレス様『15』。その差はわずか3、まだ逆転はできない!」
シュガーレスの数字に苦虫を噛み潰したように顔を引き攣らせた。15はあまりにも大きすぎる。違う。俺の手の内が読まれているのだ。
――――――――――――
4セット目が終わった。これで獲得数は私が31で青バケツが22。まだまだ有利な状況。だが予想外のこともある。
「少々意外ですね……」
「……何がだ」
つい溢れた独り言に青バケツは反応した。この男はゲームが始まって以来ずっと私を観察している。いや、そう見えるだけかもしれない。ここまで差ができたのもこの男が馬鹿だからだ。そう結論づける。
「いえ。馬鹿だと思っていたのですが、ここまでとは思わなかったので」
「テメェ……!」
「青バケツ様、席を立ってしまわれますと敗北と見做しますよ」
「残念。命拾いしましたね」
やはり馬鹿だろう。簡単に挑発に乗り、ルールも理解できていない。だが、頭のどこかに一抹の不安があるのも事実。18。男の書いた数字。いやに冷静だ。状況と言葉で高い数字を書くよう誘導したのは事実。だが、単細胞な人間なら焦って20を書いてもおかしくは無い。舐められっぱなしは嫌だから早めに有利になろうとするはずなのだ。それも薬で思考を乱される中。それなのに18。17でも19でもない数字。今まで出していない数字。それにどこか嫌な気配がある。
しかし問題は大してない。次は私が医者の番。相手に考える余力があるのなら奪ってしまえばいい。それが最も安全だから。
私は常に安全を求めている。酒は飲まないし、タバコもギャンブルもしない。親の敷いたレールを外れたことはない。受験はワンランク下を目指し、就職は倍率の低い地方の弱小企業。不可能には挑戦せず、確実なものだけを選び取る。そうやって生きてきた。
安全な人生は決して不幸ではなかったが、同時に満たされてもいなかった。生きている実感がなかったのだ。それを変えたのは結婚だった。娘だった。妻を愛してなどいないが、娘だけは違った。この子のために生きようと、自由を与えてやろうと、そう思えたのだ。
感染症による未曾有のパンデミックが起きたのはそう思った矢先の出来事だった。自粛、規制、不況。人手の足りない弱小企業が生き残るすべはなかった。
職を失ったことを家族にも言えず、毎朝スーツを着て夕方に帰る日々。罪悪感、焦燥感、不安。せめて、親がかけた保険金が娘の元に届けばと、私は集団自殺サイトに登録した。
だが、もう後ろめたい日々を送る必要はなくなる。このゲームに勝ちさえすれば、巨額の富を得ることができる。やり直すことができる。娘の成長を見守ることができる。そのためになら、馬鹿な男を殺す覚悟さえできている。
「5セット目。ここはなんとしても多く薬を獲得したいところ! さあ、双方お見せください。……医者シュガーレス様『1』、患者青バケツ様『8』。シュガーレス様まさかの1セット目と同じ1錠の処方。これにより信用しない患者青バケツ様オーバードーズ!」
「10とは書きませんか……」
「アンタの言う通り、気絶したくはないんでな」
それでも8錠はギリギリだったのだろう。薬を飲んでから、彼の顔からは笑みも怒りも消えてスケッチブックを持つのもやっとと見える。
…………今の彼の口振りからすると私が1を出すと読めていたように思える。20と書かれれば、逆転不可能な状況に追い込まれるはずなのに。今度はこちらが読まれたのだろうか。その可能性は高い。5セット目、彼はまだ冷静だったのだ。となれば、挑発に乗ってきていたのも演技。高い数字を書くと思わせて、私に1を出させたのだ。
「名残り惜しくも最終セットとなりました。泣いても笑っても自殺してもこれで最期。さあ、オーバードーズチキンレース6セット目に参りましょう」
危険だ。そう結論をだす間に最終セットが始まる。今度は私が患者。青バケツとの薬の差はわずか1。飲める薬の限界は8錠。この状況、言ってしまえば不利だ。それでも勝たなければならない。勝機があるとすれば彼が致死量近くの薬を飲んだこと。余裕の無い今なら言葉でつけ入る隙がある。
「なっ……!」
そう思って見た青バケツは、スケッチブックをこちらに向けて笑っていた。0。その白いキャンバスに歪んだ丸が書かれている。
「おおっと、なんということでしょうか! 医者である青バケツ様、自身の処方数を公開か!?」
「……何の真似で?」
「……ずっとアンタの書く数字を知りたいと思っていた」
はっきりと受け答えができているようには思えない。声に抑揚はなく、頭に浮かんだ言葉を話しているだけに思えた。
「でも見れないなら、俺が公開してやろうと思って」
彼はそう言ってスケッチブックを手元に戻し、その数字を見て笑う。
「0ならアンタが何を書いても薬を飲むことになる。そしたら俺の勝ちだ」
そんなわけがない。私はまだ8錠は飲める。それを突っ込むことはない。
「……確認ですが、0はルール上有りですか?」
「もちろんです。医者が処方しないこともありますから」
それを聞いて青バケツは安心したように笑った。薬で鈍って本当に勝ったと思っているのか。それとも演技なのか。判断がつかない。訝しんで見ている間に、彼はスケッチブックを伏せた。
「俺の勝ちだ」
そう言って彼は目を閉じた。
「……えぇっと、青バケツ様?」
「…………」
「これは死――」
「グゴゴッ」
イシュタムが確認しようと手を伸ばした時、地響きの如く彼のイビキが倉庫内に響いた。紛らわしいとイシュタムは悪態をついて、残り時間を知らせる司会に戻った。どうやらゲームは続行中のようだ。
――だが、もう勝負はついている。
青バケツは0と書いた。点差は1。ならば0と書けばいい。
そう考えるのは馬鹿の思考。
私は彼の卓上のあるものを見る。ペンだ。黒い百円もしないであろうペン。今まで気にも止めていなかったもの。
もしも、今のがすべて演技なら? 青バケツは薬で鈍った様子を演じて私に0を見せる。その後、そこに数字を書き足した。そうあのペンで。
思い出せ。スケッチブックが伏せられる前、ペンは卓上に無かったはずだ。つまり、伏せた後、あるいは同時にペンを置いた。それは悟らせないように慎重に。マジシャンがタネを仕込むように。そうする必要があったためだ。
その理由は単純明快。数字を書き足したからだ。
そして、数字を書き足したと思わせるためだ。
だが――。
「馬鹿を演じるにはボロを出しすぎたようで」
私は彼の滑稽な寝顔を鼻で笑ってさらに考える。
裏の裏のさらに裏。青バケツは5セット目で私の思考を読み切っていた。それは私がどういう人間なのかわかったからだ。1、21、20、15、1。1セット目はオーバードーズ狙い。2セット目は1セット目の情報から安全な処方数。3セット目は確実に書けない数字。4セット目は確実に書かないであろう数。5セット目は誘導された結果。果敢には攻めず、安全な選択を取る人間。それを見透かされたのだ。
ならば読まれているはず。私がこの場でできる最も安全な数字を。
その数字は9。仮定された致死量に達する値。そして、仮に青バケツが0に1を書き足し10と書いても負けにはならない数。
致死量は仮定だ。体調と見立てで決めた数。だから必ずしも30錠で死ぬとは限らない。9錠は本当にギリギリの数字だ。しかしその数字は、0〜10には負けにならない。唯一10のみ引き分けとなるが、彼も双方自殺の引き分けにはしたくないだろう。
そして、0に書き足し作れる残りの数字は20のみ。
故にあのスケッチブックに書かれている数字は20である。
「双方……青バケツ様のは私が開きます。それでは最終セット、運命を決めるスケッチブックをお見せください!」
ゆっくりと開かれるスケッチブック。それと同時に眠っているはずの彼が目を覚まして、笑った。
「医者青バケツ様『0』、患者シュガーレス様『20』! 圧倒的オーバードーズ!」
「……そんな、馬鹿な。なぜ0を……」
「……? アンタ、何言ってんだ?」
私の怒りに似た疑問に青バケツは困惑した様子を見せる。それはどうにも演技のようには見えない。その様子を見てはっと気がついた。
「まさか馬鹿、だと言うのか」
「……何だかわからんが、失礼じゃないか?」
この男は何も考えていなかったのではないか。本当に勝てると思って0を見せたのではないか。5セット目も誘導されたと思って、その実、いない敵に踊らされていただけだったというのか。
「ははは……」
そう思ってしまえば乾いた笑いが力無く出てくる。ずっとそうだ。慎重に、安全に、そう進もうとしていつも失敗していた。どれだけ安全な道を進んでも危険は後からやってくる。いつも見えない危険ばかりを気にして、最後の最後に本当の危険に気づかされる。
「さあ、医者を信用しなかったシュガーレス様、薬をお飲みください!」
薬の山を掴む。どうしてだろう。ゲームを始める前はあれだけ死にたがっていたのに、希望を見せられてからは死ぬのが怖くなった。
カメラの画角には写らない場所。青バケツの真後ろではスーツの男が銃を構えている。薬を飲まなければどうなるか。だがその必要はないと、震える手を握りしめる。
そして薬を飲む前に、荒い呼吸を吐く男に言ってやる。
「ルールをよく聞くことだ、バーカ」
―――――――――――
シュガーレスは最後に負け犬の遠吠えを轟かせて泡を吹て倒れた。イシュタムは彼の首筋に手を当てて生死の判断をする。致死量を大きく越したのだ助かることはないだろう。そう判断したのはイシュタムも同じでシュガーレスを放置したまま結果発表を行おうとする。
「シュガーレス様の最後の最期で痛恨のリタイア! それと同時にチキチキオーバードーズチキンレース、これにて終了!」
俺はその顔に笑みを浮かべた。イシュタムの言う生きる希望に期待している自分がいる。天涯孤独、腫れ物な俺を満たすもの。それを手にする時がきたのだ。
「というわけで最終獲得数青バケツ様30錠、シュガーレス様51錠よって、シュガーレス様の勝利となります」
「ん?」
聞き間違いだろうか。薬のせいでどうにも頭が正常に働いていないようだ。
「すまん、誰が勝ったって?」
「あー……シュガーレス様の勝利となります」
「……はぁ? はぁあああ? おかしいだろそれは!」
理解し難い結果に声を荒げる。
「コイツは死んだんだぞ。俺の勝ちだろ!」
「いいえ違います。ルール説明の時にちゃんと言いましたよ『このゲームは相手より薬を多く獲得した方の勝ちとなります』って」
「あぁ?」
そうだっただろうか。思い出せない。それでもシュガーレスが最期に言った言葉が耳に木霊する。
『ルールをよく聞くことだ、バーカ』
「そういう、ことか……」
「さて、敗者の青バケツ様には選択するチャンスがあります」
「選択……?」
イシュタムはええと答えて、カメラの前にアピールする。
「キック・オア・ダイ! キック・オア・ダイは生きる希望を与えます。ゲームに負けたら終わり? いえいえそんなことはありません。敗者は選ぶことができます。キック・オア・ダイ」
つまりと彼女は言葉を続ける。自殺ならゲームを続け、死は生きる希望無しに解放。
「さあ、どうしますか?」
ならば答えはもう出ているようなもの。俺は動かすのも億劫な表情筋を動かして精一杯笑ってみせた。
「キックだ」




