第二話 ぐるりと入れ替わり作戦、手のひらも......グロッキー
「お嬢様、一体どうされたのですか!?」
メイド服を着込み、完璧に業務をこなしていた私......
その正体に早々に気がついた老執事執事が、声を荒げて私に訊いた。
「じいや、私がメイドの姿をしていることは内緒にしてください。
誰にもこのことは言ってはいけませんよ。
破ったら解雇します。」
「は、はあ、承知いたしました......」
私はニンジャの如し徐かで疾い足運びで、父のいる部屋を覗きに向かった。
朝私が急いで書き終えておいた書類の山を、彼女は持ってやってくる。
「お嬢さま!」
彼女は私に気づき駆け寄ると......その途端、扉の前で、頭っから盛大に転んで書類をぶちまけた。
「大丈夫!?」
鼻っ面がめり込むほどの熱いキッスを地面にかました彼女に駆け寄る。
「すすすみません!すぐに片付けますっ!」
そう言うと、落とした書類を拾い上げようとする彼女の鼻から、赤いしずくがこぼれた。
そして書類に染み込んだ。
「ももも申し訳ござざざざいません...!どどどどうすれば...!
とりあえず洗ってきまっ—!」
「ちょっと待って」
私は引き留めて、彼女の鼻をハンカチーフで拭った。
「むしろこのまま行きましょう」
「ええっ!?」
書類で両手が塞がれた彼女の代わりに、私は扉をノックした。
「入れ」
父が言う。
「失礼します」
私はそう言うと扉を開け、私の格好をしたメイドが入っていく。
「本日の書類です」
「そこに置いておけ」
血塗れの書類を置いた。
「稽古の方は順調か」
「はい」
「そうか」
父はいつもこちらを見ていない。
だからすぐそこにいる相手が口を一切動かしていなかったとしても、気がつかない。
ガクガクに緊張して、機械人形のように直角的な手足の動きで歩いていたとしても、気がつかない。
「失礼いたしました」
結局、父は気がつかなかった。
でもいずれ後で、鼻血で真っ赤に染まった書類を手に取ることになる。
その時が楽しみだ......
そう思っていた矢先扉の前にいた私を爺やが通り過ぎて、扉を開けた。
「王都から遣いが来られました!旦那様とお嬢様をお呼びです、それも急ぎでと!」
「何?」
そのまま、彼女が私として向かうことになってしまった。
が、じいやは、鼻血塗れの床にモップをかけている私にこっそりと伝えた。
「使用人も全員招集と言われています。お嬢様も共に参りましょう」
.........
私は庭にやってきた。
この屋敷の全員がそこに集まっていた。
遣いは周りをきょろきょろと確認していた。
使用人を一人一人、よく見ているようだった。
「どうもわたくし王都からやって来ました、こういう者です。」
にまにまと笑む遣いは、父に名刺を渡した。
「これはご丁寧に。王都から遥々ご苦労様です、それで本日は何用でしょうか。」
父は遣いに訊いた。
「魔王が復活したことは、ご存知かと思います。」
「ええ、いくつもの街が滅んだと噂では聞いていますが、まさか事実だったとは。」
大昔人類を滅亡の危機に陥れたという魔王。
去年あたりから小さな村や街が滅んでいるという話から魔王復活の噂がぽつぽつと立ち始め、三ヶ月前に起きた『宗教都市シスタイルマーチが正体不明の勢力による襲撃を受けて一夜にして陥落した事件』によってその疑念は一気に伝承の"魔王"のそれへと符号した。
「魔王は幾度とも復活しますが、勇者は違います。」
遣いは突然語り出した。
「はるか古代、異次元の彼方よりこの世界に産み落とされ、魔王を撃ち倒したという勇者。
その後勇者は仲間たちとの間に、何人もの子供を設けたと言われています。
その勇者の子らはその能力を継ぎ、生まれながらにして強大な力をふるった。......しかし、その血の力は世代を重ねるに連れて分散し、消えていった......。」
「今ではほぼすべての人間に、一滴というにも満たないほど限りなく薄まった勇者の血が流れていると言われているが、薄まりすぎてもはや勇者の能力が発揮される事はない。
......だからうちを訪ねた、そう言う事ですね。」
「ええ、話が早くてとても助かります!
元より勇者血率の高かった家出身同士のご両親の間に生まれた、驚異の勇者血率18.75%のご息女様!
今世界で最も勇者に近い存在である貴女に、魔王討伐のため旅に出てほしくやって来たのです!」
......魔王討伐の旅に出られれば、面倒な仕事や稽古はもうしなくて済むのではないか。
これは絶好の機会だと思った。
だけど...
私は、忌々しい私の格好をしたメイドを見た。
あたふた慌てたいのを堪え必死に口をぎゅっと閉じている彼女を、私は見た。
彼女を見ると、なんだか胸が......きゅっとなった。
寂しくてまだここに居たい?......いや、私がそんな事を思っているはずがない。
いつまでも私のふりなんかをさせている彼女を可哀想に思って、良心が痛んだだけだ。
だったら尚更、そろそろ私が私だと名乗り出よう。
遣いは小さな水晶を取り出していた。
「これは勇者血率を調べるための魔道具です。一応、検査させていただきますね。」
私が一歩踏み出そうとすると、じいやが私から預かったモップで静止した。
「じいや、どきなさい」
「お断りします。
お言葉ですが私は、お嬢様を危険な旅に出す事は望んでいません。
このまま遣いにはお帰りいただくのです。」
遣いは水晶をかざすと、眉を潜めた。
「おや?勇者血率......0.0002%......?」
「じ、実は!私は変装しているだけで!お嬢さまではないのです!
本当はメイドで......!」
メイドは自身がメイドであると言った。
「それはそれは......」
遣いはそう言うと、水晶を右手から左手に持ち移した。
そして水晶を持った左手を上に掲げて......
あまりにも自然にするから、見間違いかと思ったが。
あろうことか遣いのその手首は、ぐるりとグロッキーに一回転した。
嫌な予感が、寒気がした。




