死線を越えて
黒い翼を鴉のようにはためかせ滑空するオルフィカが、両腕を怪しく閃かせる。
「死シシ……シシシシシネッ! 《黒死壊電》!」
――ジジジジジジッ!
すると手のひらから放たれた黒い雷が乱舞し、僕達を取り囲んだ。
「くそ、《結水壁――》」
「――駄目じゃっ!」
――バチィン!
水のバリアはいともたやすく貫かれ……それを予期したネリシアの魔力の障壁も防ぎ止めるにはいたらず、僕らの体に雷が走る。
「ぁぐぅっ!」
「うぁっ……捕まれッ!」
その威力に戦慄しながらもなんとかネリシアを抱え、風圧で背中を押し距離を取ったが……後ろから破壊的な稲妻が次々と追いすがって来る……!
「壊コワコワコワ……コココワレロ、スベテ! ウッガアアアアアアアァァァ!」
感情だけではなく魔力すらコントロールできないのか、奴は狂ったように攻撃を吐き出し続け、周辺の地形が恐ろしい勢いで崩壊していく。
「こんなの……どうにかして止められないのか!?」
「無理じゃ……! ああなってしまっては、奴の力が尽きるのが速いか、先にこちらが消し炭になるかじゃぁっ! っひぇぇっ!」
間近に落ちた黒雷にネリシアが身を捻る。
相手の追いすがる速度が速すぎる。せっかく回復した魔力もこのまま逃げ回るなら無駄だ……僕は足を止めた。
「迎え撃つ!」
「馬鹿な! 逃げんのか!?」
「それじゃ保たないんだよっ! 《混沌の暴潮流》!」
合成魔法、《混沌の暴風域》に《青き翼》の魔力を混ぜ込んで作る大渦巻。
奴の放つ黒雷がそれとぶつかり、放電現象が辺り一帯を揺らす……!
「っひぃ――っ! ひゃやややや――っ!!」
発光現象に驚いたネリシアが僕の首を絞めつけるように抱きつく。
夜間だというのにまばゆい光が辺り一帯を照らし、遠くの稜線までもがうっすらと照らされる……まさしく天災のような規模。
だが、徐々に拮抗が傾きはじめ……。
(……なんて、重さッ!)
「破、ハハハハハハハハハハハハ――カイ――ッ!!」
自らの放つ雷撃に体を崩しながらも、増幅された狂気は止まらない。
オルフィカは喉から黒煙を楽し気に噴き出しながら、一切合切を灰に変えてゆく。放つ魔力が命すら燃やし尽くして肥大化し、僕の膝が圧力に耐え切れず地面へ折れる。
(力の差が、ありすぎる……!!)
「おい、しっかりせぬかっ!」
それに答える余裕も無く……掲げた魔剣が儚い音を立て始め、亀裂が刀身へと拡がりだした……。
(そんな……)
ピシ……ピキッ……!
身動きの取れない状態の中、破壊音が徐々に高く鋭くなって――。
(駄目……なのか!?)
「ふんばらんか馬鹿者!! くそ……割れ、割れてしまう! あっ!?」
諦めが気持ちの中によぎりだす中……放つ魔力で魔剣を包み崩壊を防ごうとしていたネリシアが、僕の肩越しに左手首を指さした。
「おい《継承者》ッ、光っとるぞ! 何かあるならさっさと出せ!」
――シュポン。
そこで思いもしないことが起き、僕らは面食らう。
『ずいぶんと……厄介な状況で呼んでくれましたね、風の《継承者》。絶体絶命とかいう奴では無いですか……』
「――水精王様っ!?」
左手の《精霊の祝福》から生み出された光が魔剣と繋がり、抜け出る様に姿を現したのは……竜神の祠でみたあの小竜の姿だ。
以前見た姿より小さい手のひらサイズの彼女は、ため息を吐くような声を出す。
「そんなこと……言ってる場合、じゃないんですっ! どこから出て来たんです、逃げ……ううッ!」
圧力に押され、後ろにずり下がりながら必死に抵抗する僕に、こんな状況ですら水精王様は超然とした態度をくずさない。
「逃げるも何も、この私は剣に宿りし分体……それがここにある限り離れようがありません。しかしよりによって、未覚醒の状況で暴走する《六禍》と矛を交えようとは浅はかな……。その後ろの魔人の娘を助けようとでもしたのですか? 節操無きこと極まれり、ですね……」
ちらりとオルフィカを見ただけで僕らの窮状を察した水精王様にネリシアはくってかかる。
「主は精霊王の一角の移し身か? っと……そんなことはいいんじゃ! とっととどうにかせんか!? 折、れ、るぅぅぅぅ!」
ネリシアが歯を食いしばっていると……水精王様は首を振る。
「もうやっています。手段は一つ……暴走には暴走を。その魔剣に組み込まれた精霊石を自壊させて発生させたエネルギーを直接ぶつけるしか、あやつを止めるのは無理でしょう」
水精王様の体に強い水色の光が集まり、それと共に魔剣の刀身から淡いきらめきが漏れだす。
「で、でも……! そんなことをしたら、この剣に宿るあなたは……」
『本当におバカですね、風の《継承者》よ! もしお主がここで負けることあらば、《継承者》の一角は欠け、再びそれが育つまでどれ程の時間がかかるか……。これから目覚める魔人王達との戦いにおいてそれは致命的な足枷となる。人類の危機なのですよ、わかっていますか!? 分体の私などを気にしている場合ではない!!』
「そうじゃそうじゃ! 生きるか死ぬかの時になにを細かいことをぐだぐだと! とっとと奴をブチのめしてわしを助けんかぁ~ッ!!」
「わかった、わかりましたってば!」
水精王様にヒレでシパシパ頬を叩かれ、ネリシアに首をぎゅうぎゅう絞めつけられながら僕はオルフィカの雷の波動に全力であらがう。
『それでよい……所詮この私は移し身。ラグがお主の元に戻る時、また会うことも出来るでしょう。魔人の娘、邪魔なその魔力をほどきなさい!」
「やっとか!? えぇいっ……!」
ネリシアの黒白の魔力が霧散し、水精王様の体がひときわ強く輝きながら消えてゆく。
『――では行きますよ! 《水魂解放》!』
ビキキッ…………カシィィンッ!
ついに魔剣《青の翼》の刀身の亀裂が全体に達した。
そしてその隙間から水色の光が溢れ……その刃は、ガラスの割れるような涼やかな音を出してして粉々になる。
身体の崩壊は進み、すでに四肢の半ばまで砕けたオルフィカの……全ての力を収束させた極太の黒雷が目の前では生み出され……。同時に、残された魔剣の柄から噴き出した水色の眩い光は、全て魔力となって僕へと注がれた。
『私が出来るのはここまで……あの子の修練が終わるまで、この世界をあなたが……守りなさい』
姿を消した分体の水精王様の言葉を受け……ありったけの魔力を引き出し両腕を振りかざす僕の声と、オルフィカの最後の詠唱が競い合うように響く!
「うぁぁぁぁぁぁぁ――!! 《水竜神の激吼》!!」
「カカカカキ消キキキキキキキキ――キエサレェェェェェ! 《燼雷槍・滅獄》! ショ・ウ・メ・ツゥゥゥゥゥァァァ!!」
全てを掻き消す黒い雷撃と、命を生み出す水のエネルギー。
真正面からぶつかり合った闇と光に二分された景色が、地平の遠くまでを染め上げる……――。
――――――。
勝敗が決するまで時間はかからなかった。
『ア……』
オルフィカの体が、ある時真っ二つに崩れ……黒雷の中心を切り裂いた水の魔力がオルフィカを飲み込む。
それに押し流されるようにして奴は溶け崩れるように消えていった……。
…………。
(――終わった、の?)
僕はそのまま膝を揺らし、体を後ろ側に倒す……ネリシアを下敷きにして。
「おお、お前! いきなり倒れるんじゃないわ! ど、どけ!」
僕の背中にしがみ付いていた彼女が抗議するが、全てを出し切ってしまった僕は言葉を返すのも億劫だ……。
地面との板挟みから抜け出たネリシアがどこかへと走ってゆく。
そして彼女は何かを拾い上げ、天にかざすようにして自慢げに言い放った。
「じゃんっ! 《黒壊珠》を手に入れたのじゃ! これと《白成珠》を合成すれば、《輪廻珠》が復活し、わしの力は数百倍にパワーアップ! そうすれば……」
――ガシャッ。
「うぃっひ!?」
金属音にびくついて、黒い宝珠をお手玉したネリシア。
僕はのろのろと音の方向に何とか顔を向ける。
(――――!?)
そして目を疑った……。
そこには……確かに倒したはずの黒面が立ち上がり、こちらに体を向けている。
「な、なんじゃ!? ……やるのか!? この玉手に入れたわしとか!? 一撃じゃぞ、お前位指先一つでぼ~んなんじゃぞ……!? くく、来るな……!」
オルフィカとの戦いですっかり自信を喪失してしまったのか、弱気を隠しきれないネリシアには反応せず、黒面は冷たい視線で僕を見ている。
――初めて奴の口が動いた。
「殺す……必ずな。楽しみにしていろ、フィルシュ」
「――――ッ!」
それだけ言うと黒面はそのままどこかへと歩き去って行く。
「……? ふ、ふ~……わしの貫禄に恐れをなしたか。感謝せいよ小僧……おい……?」
僕は疲労も忘れてその場で固まっていた。
そんなはずは無いと思っても、記憶がそれを否定する。
だって今聞いた声は、確かに……。
「……ゼロン、なのか?」
「あれがどうかしたのか? お~い……無視するでない!」
かすれた声を絞り出す体をネリシアがぱんぱんと叩いても、僕はその黒い背中から目が離すことができなかった……。