(回想)フィルシュの過去②
意識が覚醒した時、まず急激に感じたのは寒気だった……。
次に身体が毛布のようなものに包まれているような感覚と、薪のはぜる小さな音が耳に届く。
頭が痛み、体が動かせない僕に遠くからかけられたのは、男性の声だった。
「……目を覚ましたか、ボウズ」
(…………生き残って、しまったんだ……)
その事実にひどくがっかりして、途方に暮れる。
額に乗せられた布のせいで彼がどんな顔をしているのかも見えない……。
男の足音が床を叩き、なんとなくどこかの家屋の中だということだけは察せられた。
「ぁ……ぅ」
はれている喉から、言葉にならないうめき声が漏れる。
一体自分でも何を言おうとしたのか、良く分からない。
感謝……? それとも恨み言?
違う……問いかけだ。
「……しばらくすりゃ、良くなるだろう。運が良かったな」
僕はなんとか首を左右に動かす。
「違うのか……?」
そして懸命に声を絞りだした。
「ど……ぅ、し……て、た……すけ……?」
すがるものが欲しくて……こうして生かされている理由が知りたくて、僕は名も知らぬ男にそれを尋ねる。
だが、男は冷たく言い放った。
「フン……知るか。息があったから拾っただけだ。生きてる意味くらい自分で探せ」
酷い言いぐさだとは思った、けど……少しだけ救われた気がした。
自分で自分の価値を決めることが許されたように、思えたから。
「あんな冷たい川に浸かっても生きのびたのは、なにかがお前の中にあるからだ。なにもないのなら、まずそれを見つけてみろ。望みでも、怒りでもな……」
男は毛布を掛けなおし、部屋を出てゆ」く。
彼の言葉について深く考えようとしたけど、今は体が許してくれず……やがて強烈な睡魔が襲い、僕は再び眠りにつくのだった。
◆
「《ウィンドカッター》!」
――カンッ!
小気味いい音がして薪が半分に割れる。
それを更にもう一度、四分割して積み上げていく。
魔法の訓練も兼ねた、僕の朝の仕事だ。
「ふぅ……これで今日はここまでだな」
キリのいい所までで切り上げると、僕は汗を拭う……。
――あれから、一年と少しが経った。
少しだけ背がのび体に筋肉も体力もついてきたのは、僕を助けたあの男の厳しいしごき……いや、指導の賜物だといえる。
男は名をベリオネフ・アルエアと名乗った。
三十を過ぎた位の中々いかつい顔立ちをした浅黒い肌の男で、焦げ茶色の髪と目は、何となく猛禽類を思わせる雰囲気をしている。
そしてここはリミドア王国というエリンゲルド帝国の隣国で、僕は国境にあったテーレという川を南下し、対岸にあったこの国に流れついたようだった。
「さあ、朝ごはんを作ろっと……あ、おはようございます、師匠」
「ああ……ご苦労さん、フィルシュ」
国を追放され、名乗ることができなかった僕はこの男に新しい名前をもらった。
フィルシュ・アルエア――以後そう名乗るように言われ、男は僕を自分の弟子として育てることにしたらしい。
彼はテーブルの上でしていた作業に集中している為、顔を上げずに答え……僕は薪を持って部屋に入るとかまどで起こした火に鍋を掛ける。
こういったことも彼は全て僕に仕込んでくれ、今では生活に必要な大体のことを自分で出来るようになった。
それと共に回復してしまった僕をそのままただ飯ぐらいで置いてはおかず、数か月で体の動かし方を叩き込むと、今では自分の仕事へと同行させるようにしている。
(まさかあれから、こんな生活を送ることになるなんて思わなかった……)
僕は細かくきざんだ塩漬け肉や野菜を鍋に放り込むと調味料で味付けし、一煮立ちするまで思いふける。
《冒険者》――そんな職業があることを、王宮暮らしで世間知らずだった僕は全く知らなかった。
おおよそは誰でもできるような雑用を任されるくらいのものだが、時には帝国兵士のように勇敢に、人を襲う魔物達と戦わなければならない過酷な仕事でもある。
Aランク資格を有している優秀な冒険者であったベリオネフさんは、僕が来るまで珍しいことに単独で行動していたらしい。
僕のスキルが役立たずの風魔法だということについても、何も言わず一緒に使い道を考えてくれたが……同時に仕事に関しては一切手を抜かせない、厳しい師でもあった。
「師匠、できましたよ……ならべていいですか?」
「ああ、もう終わる……」
ベリオネフさんはそういうと スキルで具現化した罠を小型の魔石に《封印》し、それを鞄にしまった。それは砕いたり彼の魔力を注ぐことで再びその効果を取り戻し、即座に効果を発揮する武器となるのだ。
彼は《罠術》というスキルの持ち主で、一度作成した罠を魔力により具現化したりその効果を高めたりできるのだが……罠というのは基本的に相手の行動待ちなのであまり戦闘向きではない。そんな彼がA級冒険者にまでなれたのは創意工夫と、運と、一人でやって来たからこそだと言っていた。
人に頼るとどうしても迷いが出る……そんな自分の弱さを知り、己だけで戦えるやり方を追及した……。そう語った彼がどうして僕を手元に置いてくれたのかはよく分からない。
ベリオネフさんいわく……気まぐれと後は、真っさらな人間の方が、彼の流儀を浸透させやすいと思ったかららしいが、これも彼の人生における挑戦の一つなのかもしれない。
――僕はテーブルに出来上がったスープや簡単なサラダとパンを置くと、席に戻るのをしばし待った。
やがて彼は座ると、「では、いただこう」とうなずいて食事を始め、僕もそれに従う。
最近はもうないが、作り始めた直後は細々と注文を受けたりもした。
『……俺より上手くできない内は、俺に従え。それが一番早い』
自分のやり方が絶対ではないが、これ以上ができないなら教えたやり方に集中しろということらしく……最初は手斧で時間をかけてやっていた薪割りを魔法でするようにしても、時間内に終わらせれば何も言わなかった。物静かな、不思議な男である。
「食い終わったらすぐに出るぞ」
「はい」
僕は彼の言葉に短く答えると、食器をかたづけて荷物の点検をする。
……意外と、絶望というのは長く続いてくれないものだった。
彼の言ったように、体は勝手に回復し……あれだけ望んだ死を、気付けば僕はまた拒むようになっている。
僕のために命を落としたベンジャミンには申し訳なく思うけれど……死にたくなくなったら、生きていくしかない。
ベリオネフさんの指導に貧弱な僕がついていくには相当の苦しみがあった。
だけど……それに集中していればあそこでの出来事を思い出すことは無かった。思い出すたびに頭を襲うひどい頭痛も、余裕のない生活を続けていたら徐々に鳴りをひそめていった。
「今日もまた、お前に囮を任せることになるだろう。できるな?」
「はい……色々覚えましたから」
最初はそよ風をふかすこと位しかできなかった風魔法は、使い込んでゆくと意外と便利な物に思えた。まだまだ練習中だし、防御面など心もとない所もあるが、移動、遠近攻撃、広範囲化、気配の察知など……意外とできることは多い。
「巷では、俺の《罠術》と同じように風魔法というのは使いでのない脆弱なスキルだと言われている。お前もそう思うか?」
「わかりません……でも、意外と悪くないような気もしています」
それを言うと、彼はめずらしく口の端を上げて見せる。
「極めてみろ。周りの評価などどうでもいい……実績を作れば勝手にうるさい口は閉じるからな。そうして、今までできないと思ったことをお前がやってみせればいずれは……自由になれるかもしれん」
「自由に……? 自由ってなんでしょうか? ベリオネフさんみたいになることですか?」
僕からすれば、何者にも縛られないその暮らしは自由そのものに思えるけど……彼は首を縦に振らなかった。
「俺もまだ道半ばだ。なににも囚われずやりたいことをやり、生きたいように生きればそうなれるのかと思っていたが……そんな簡単なものでもないらしい」
彼はそういうと僕をともなって歩きだし、その『自由』という言葉は不思議な輝きを持って僕の心の奥にしまわれることとなった……。
――だが、そんな日々が続いたある日……彼は何も言わずにそこから姿を消してしまった。
『――ここをすぐに出ていけ。二度と戻るな』
テーブルの上に有った書置きに、僕はなにが彼の機嫌を損ねたのか分からなくて……彼が帰って来るのを何日も待ちわびた。
だが、その理由はすぐに明らかになる。
――カララン。
「――っ!?」
夜中、魔物の接近に備えて仕掛けられた呼子の罠が音を鳴らし、僕は飛び起きる。
次いで小屋に矢が射掛けられ、火の手が上がった。
魔法の効果でも加えられていたのか、火勢は強くあっという間に家屋を包み込む。
大事な物だけをつかんでそこから転がり出た僕は、遠巻きにしている男達を見て愕然とした。
黒装束で身を隠してはいたが……それがエリンゲルド帝国の手のものだというのは、細かく見ればすぐにわかった。
(帝国から、僕を……始末しに!?)
今やっとあの書置きの意味が分かった僕は、ぞっとする気配を放つ彼らから一目散に逃げだす。
「《ヘイスト》……くっ!」
新たに覚えた移動速度増加の魔法を掛けているにもかかわらず、彼らは僕に追いすがる。
今頃どうしてとか、ベリオネフさんの安否だとか……頭に浮かぶ疑問を無理やりに追いやって、全力でその場から逃げ出す。
だが、必死で走ったものの崖際へと追い付かれ……黒装束の男達が刃をこちらに向けた。
彼らは何も言わずに冷たい刃先を突き出したまま、ゆっくりと距離を詰めて来る。
(……僕はここで、死ぬ?)
やけにそれが遅くなったように感じ、時間の流れが停滞したような視界の中……ふと疑問が湧きだす。
――僕は、生きてどうしたいんだ?
自由になりたいのか? 何から? ……やりたいこと……認められたい……証明……なにを?
疾風のように駆け巡る思考の中で、頭に浮かんだ言葉を無意識につぶやくと、僕は地面を蹴る。
「《エアウォーク》……?」
初めての魔法……空を駆けるための風を体にまとい、僕はすっと空中に飛びあがる。
刃が空を切り、男達が唖然として見上げる。
(飛べた……?)
地上と切り離された、重さを感じない世界。
僕は風を胸いっぱいに吸い込むと、得も言われぬ解放感に満たされながら滑るように飛び出す。
あわてた男達が弓を射かけてくるが、もうその時には僕は届かない位置まで高く翔んでいた。
周りにはもう、何もなく……星たちだけが遠くに浮かび、夜空が取り巻く自分だけの世界。
……ただ少し、そこは僕には寂しく感じられた。
(誰かに認められたい……。僕を必要としてくれる人に、出会いたい)
鍛えてくれたベリオネフさんも、僕の事情のせいで迷惑をかけてしまった。
彼のことだ……上手く切り抜けてはいるだろうけど、もう二度と会えはしないだろう。
ここを離れよう……もっと遠く、帝国の手の届かない場所へ。
そこでまた一から始めるんだ……今度は自分の力で。
そうして……僕は月明りを道標に、夜闇の中を東へと進んでいった。
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