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『あなた』という奇跡  作者: 加賀美 紫樹
2/6

*心が乱されたくないのに揺れている*

「おはよー。昨日の課題やってきたー?」

「今日、私当てられるかもー。嫌だなー。」

「あー、課題やってくるの忘れたー。どうしようー。」

 予備校の校舎の中では、生徒達の明るく、元気な会話が飛び交っている。その中を1人暗い表情で教室へと進む。さっきの電車での出来事で沸騰しそう。思いの外、勉強の進みが悪くイライラは頂点。その上にあの出来事。もう自分でもどうすればいいのかわからなくなってきている。由真の頭の中は、パンク寸前。

「おっはよー!由真っ!」

 元気な声と共に、由真の肩にズッシリとした重み…。

「おっおはよ。重いよ、早く降りてってば…。」

「あはっ。ごめんごめん。」

 ポリポリと頬を掻きながら謝る。彼女、桜井歩美(さくらいあゆみ)は、この予備校に通い始めた頃に、最初に仲良くなった女の子。いつの間にか何でも話せる。そんな仲になっていた。こういうのって、親友っていうのかな?

「由真さー、何かあったの?この世の終わりみたいな顔で歩いてたよー。」

 そう言った、歩美の悩みがなさそうな顔を見て、由真はまた、溜め息をついた。そんな由真の態度を見て、歩美はキョトンとした顔で首を傾げる。

「んー。ちょっと勉強に行き詰まっちゃったんだ。でも、こればっかりは自分でなんとかするしかないじゃん?ねっ?だから、悩んでたの。でも、この世の終わりみたいな顔って…そんな顔してた?アタシ…。」

 素直に思ってる事を歩美にぶつけてみた。由真は、小さく深呼吸して視線を歩美に向けた。歩美は、閉じていた口を開いた。

「してたよー。すんごい暗ーい顔。あとねー、由真の悩み。勉強に行き詰まったとか言うやつね。由真、頑張り過ぎなんだよー。たまには、息抜きしなくちゃ…。ねっ!」

 歩美は、悩みなんか吹っ飛びそうな笑顔で明るく、そう言ってくれた。

「うん。…そうかも。なんか全部しゃべっちゃったから、スッキリしたよ。」

「そう?あんまり悩むと、ハゲちゃうんだよー。溜め込んだら体に悪いんだからね。」

 真剣な顔で歩美は、そう言ってくれた。救われた…。由真は、そう思った。

「ありがとう。歩美、優しいね。」

「なんか、改めて言われると照れる。恥ずかしいし…。」

 照れくさそうにしている、歩美を見て。なんだか自分まで恥ずかしくなってしまった。2人で廊下を歩いていたら、授業開始の合図、始業ベルが鳴った。

「おーい。もう授業始まるぞー。教室に入れよー。」

 廊下に講師の先生の声が響く…。今まで廊下でしゃべっていた生徒達が一斉に、教室へと消えていった…。

 教室の席に座って、少しすると…講師の先生が入って来る…んだけど。なんだか今日は、様子が違うみたい。いつもの先生より若いし…。

「えっと、今日からみんなの入試までの3ヶ月。このクラスの社会科の教科担任をする事になりました。霧嶋望(きりしまのぞむ)です。よろしく。では、授業を始めます。教科書の48Pを開いて、10行目から田中君、読んでくれるかな?」

「あ、はーい。」

 ガタッと音をたてながら、席を立つ田中君。その様子を見届け、教科書に視線を移す生徒達と新任講師。

『しかし、わっかいなー。この先生…何歳なんだろ?』

 新しく来た若い講師に、女子生徒達は興味津々だ。授業が始まった時よりもザワザワと騒がしくなってきた。それまで気にせず授業を進めていた先生だったが、さすがに気になりだしたのか…静かに注意した。

「ちょっと、うるさいぞー。授業と関係ない話は、しないように。」

 そう言って、ホワイトボードの方に向きを変えようとする。そんな冷静な先生に、1人の生徒が手を挙げて発言した。

「先生〜。私達、先生の事もっと知りたいんです!だから、この時間は授業なんかしないで…。先生がみんなの質問に答えていくっていうのは…どうですか?その方がみんなも楽しいだろうし。ねっ?」

 そう言って女子生徒は、後ろに振り返り他の生徒の同意を求めた。その瞬間、教室内の女子生徒は、一斉に声を揃えて言った。

「先生。そうしようよー。」

 生徒達のその言葉に若い先生は、深く溜め息をついた。一瞬、生徒達の表情が暗くなる。もしかしたら、先生を困らせてしまったのかもしれない…。ふと、不安がよぎる。教科書を閉じ、教壇に置くとめんどくさそうに前髪を掻き上げながら、若い先生は言った。

「しょうがないなー。ちゃんと授業しようと思って来たのに…。」

 苦笑いでポリポリと頭を掻く先生。

「オレだけ答えんの不公平だから、1人1人自己紹介でもしてもらおうかな。出席番号1番の井上君からお願いしようかな…。名前と学校名、自己アピールをどうぞ。」

 開き直ったような声で先生は、そう言った。その言葉を聞き、恥ずかしそうに立ち上がる。出席番号1番の井上君、緊張したような様子で話し出す…。

「えっと…。出席番号1番、井上貴紀(いのうえたかのり)です。学校はK高校に通ってます。自己アピール…。えっと、高校では野球部のキャプテンしてました。っと、こんな感じでいいっすか?」

 かなり早口で自己紹介文を言い切り、早々に座ろうとする井上君。そんな彼に先生は、優しく言う…

「おー。ありがとな。って事で、こんな感じでどんどんどうぞー。次ー。」

 このクラスは、由真と歩美を含めて総勢15人と、予備校内でも人数が少ないクラスで勉強に集中しやすいのが由真にとって、ありがたい環境なのだ…けど今日は、それどころじゃなくなってしまったなーっと、ちょっと残念…。

『あー。なんか今日は、ことごとく勉強できてないかも…。』

 なんて、自分の世界に入り込んで考えていた…。すると、肩をポンポンと叩かれた。何だろう?と、振り返ると歩美がボソッと…

「由真、自己紹介!由真の番だよ。」

「えっ?」

 言われた瞬間、何の事なのかわからなくて、とぼけた声を出した。キョトンとした顔で首を傾げた…途端、ポコンッと丸めた教科書で頭を軽く叩かれた。ん?何で?由真は、ゆっくりと振り返った。そこには、先生が立っていて…

「おーい。出席番号7番の如月さん。寝ぼけてないで自己紹介よろしくー。」

「あ、はい。…すみません。」

 そう言い終えると先生は、教壇の方に帰って行った。先生は、教壇に戻るとニコッと笑って…

「さっ、どうぞ。」

「はい。出席番号7番の如月由真(きさらぎゆま)です。学校は、S高校に通っています。自己アピールは…一応、高校で生徒会長と部活では、部長をしてました。こんな感じで…自己紹介終わります。」

 全部いい終わり由真は、ホッとした。ゆっくりと席に座ろうとした時、先生から質問された。

「如月さん…。部活って何やってたの?」

「えっ!部活ですか?…アーチェリー部にいました。」

 今まで黙って聞いていた先生からの急な質問に、ビックリして辿々しい言い回しで由真は、答える。

『ビックリしたー。みんなにはしてなかったのに、何でアタシの時だけ質問するかなー。こんな事なら、最初から何部か言っておけばよかった。うー、失敗した…。』

 ドキドキする胸元を握りながら由真は、自分を責めた。

「そーなんだ。実は、オレもやってたんだよアーチェリー。そっか、なんか親近感わくなー。」

 呑気に笑いながら、そう言う先生を涙目で睨んだ。そんな由真の心境になど…気付くはずもなく先生は、次の歩美に「どうぞ。」の合図を送っている。合図を受けて椅子から立ち上がる歩美…。

「はーい。出席番号8番の桜井歩美で〜す。学校は、N女子校に通ってま〜す。自己アピールは、人見知りしないこの性格かな〜。ってな感じでよろしく〜。」

 歩美は、ケラケラ笑いながら先生に向かってピースしている…。先生は、苦笑いしながら次の人に合図を送る。合図を受け、生徒が立ち上がり自己紹介をする。これを繰り返し繰り返し、次々と…

「ねー。由真?」

「何?どうしたの?」

「あの先生。カッコイイよね❤︎そう思わない?彼女とかいるのかな〜?」

「そう?アタシは、どうでもイイかな…。今、男の人に興味ないし。いてもいなくてもどっちでもよくない?どっちにしろ、あーいう顔の男は、女好きの遊び人だよ。そうに決まってるんだから。」

「由真〜。そこまで言う?まー、今の由真に男の話をしたアユが悪かったんだけど。」

 別に、男の人が嫌いな訳じゃない…。はっきり言って彼氏は欲しいし…。でも今は…まだ、男の人を信じる事が出来ない。まだ…出来ない。

「ごめん…由真。」

 歩美がシュンとした顔で謝ってきた。何で?歩美が謝る事なんかないはずなのに…。

「何で歩美が謝るかなー?あの事は、歩美のせいじゃないじゃん。歩美が謝る必要なんか全然ないんだよ?」

「でも〜。アユのせいで由真、嫌な事…思い出しちゃったでしょ?」

 ものすごく…申し訳なさそうな顔で、歩美が言う。確かに思い出した。忘れたいのに忘れられない…最悪な出来事…。でもそれは、歩美と話をする以前から由真の心を支配している出来事…。

「大丈夫っ!あの事を思い出してたとしても歩美のせいじゃないんだから、気にしちゃダーメ!わかった?」

 全然、気にしてないよって顔で由真は、そう言った。…ガタッと椅子に座る音がした。視線を音がした方に向けると、出席番号最後の若狭君が自己紹介を終えていた。

「あっ!ほら、みんなの自己紹介が終わったみたいだよ。次は、質問タイムでしょ?歩美。先生に彼女がいるか…聞きたいんでしょ?質問しなきゃ…ねっ!」

 もう…話を逸らすしか、思い浮かばなかった由真。上手くいくとは、思っていなかったけど…。

「そーだった!先生の秘密を聞き出してやる〜。」

 っと、やる気満々な歩美。そんな彼女の姿を見て由真は、ホッとした。

 最後の自己紹介が終わってすぐ、一斉に女子生徒達がざわめく…。1番最初に口火を切ったのは、さっきからやる気満々だった歩美だ…。

「先生っ!今、彼女いますか?」

 その質問に教室中の女子が息を潜め、先生の答えを待った。少し…困った顔をしながら先生は、答えた。

「んー。一応、いる…。いや、いただな。」

 そのはっきりしない答え方が、妙に由真の心に引っかかった。何故?かなんてわからない…ただ、その言い方が気になってしょうがなかった。何だかスッキリしない自分の気持ちに少しイライラしていた。

「何?ケンカでもしたんですか〜?」

「いや、ケンカにもならなかった…。じゃあ、次の質問は、何かな?」

 思いの外、悩んでたんだ…先生。大人の恋愛も大変なんだなーっと、他人事なので呑気な事を考えている由真。その間にも、次から次へと繰り出される質問を1つ1つ丁寧に答える先生の視線がチラチラと自分に向いている事なんて気付くはずもなく…時間は過ぎて行く。

「先生は、何歳なんですか?」

「今年で20歳になります。君達とそんなに変わんないだろ?」

「えっ!じゃあ今、大学生?」

「そうだよ。」

「何処の大学に行ってるんですか?」

「A大の文学部。ココの講師は、バイトなんだ。」

「うっそ…。」

 先生の通っている大学名を聞いた途端。由真は、信じられないという顔で先生の顔をマジマジと眺めた。

『信じられない…。アタシの第一志望の大学に、あんなチャラいのが通ってるなんて…。しかも、学部まで一緒だなんて…誤算だわ。』

 由真の頭の中は今後、進路を変更するべきかしないかという事だけで、いっぱいになってしまった。「うーん。」しきりに唸っている由真を見て、歩美が話しかけてきた。

「ちょっと由真。何、さっきから唸ってんの?」

「んー。そんなに大した事、考えてないから気にしなくていいよ。」

「そう?」

 歩美の言葉に「うん。」っと、頷き笑って見せ、時計にチラッと視線を移した。もうすぐ授業の終わる時間…。いつの間にか先生への質問タイムは終わっていた。少し残った数分間は、自由時間になったみたい。女子生徒達が代わる代わる先生の所まで行き、話をしている。

『あー、なんか今日は、すごく疲れたな…。明日、学校休みだし。ゆっくりしようかな〜。』

 なーんて事を、心の中で考えながら休日の予定を決めてる由真。そんな彼女の一挙手一投足が

気になり、ずっと見つめ続ける男が1人…。その人は、自分に群がる女子生徒達を気にする事なく由真を見ている。そんな視線を自分が受けているなんて夢にも思っていない由真は、呑気な考えを巡らせている…。

 その時…。授業終了の合図。終業ベルが鳴り響いた。

「じゃあ、今日は…これで終わります。明日からは、ちゃんと勉強しような。っということで、みんな…さようなら。」

 笑顔でそう言い終わると、教壇の上の教科書などを持って教室を出て行く先生。足音がだんだん小さくなっていく様子に、耳を傾けてみた…。コツンコツンと響く足音。小さくなっていくはずの音が、だんだん大きく近づいてきているように感じたかと思うと…。教室を出たはずの先生がヒョコッと顔を覗き込みながら言った。

「如月由真。」

「はっはい…。何ですか?先生…?」

「ちょっと話があるんだけど…。いいかな?社会資料室まで…。」

「あ、はい。…わかりました。」

「ごめんな。なるべく早く終わらせるから、先に行っててくれるか?資料室。」

「はい…。」

『何?話って一体、何なのよーっ!あの先生ってアタシの事、嫌いなのかなー?なんか、自己紹介の時から微妙に嫌がらせされてる気分だよ…。どうかこれ以上、イジメられませんように…。』

 ものすごく緊張した表情のまま由真は、社会資料室までの廊下をゆっくりゆっくりと進んで行く…。

 さっきまで、大勢の生徒達で溢れていたのに…。誰もいなくなった静かな廊下にコツン…コツン…と響く足音。

『こんなに静かな廊下、初めて…。何か、不思議だなー。』

 ぼんやりとそんな事を思いながら由真は、歩いていた…。ふと立ち止まり窓の外を見つめた。赤紫色の空に浮かぶ太陽が…山の向こうに沈んでいく…。だんだんと暗くなっていく空を見上げながらポツリと呟いた…。

「太陽が沈んじゃう…。今日が終わっちゃう…。あー。1日24時間なんかじゃ足りないよー。もっと1日が長ければイイのになー。」

「んー。そうだな。オレもそう思う…。」

「えっ?」

 廊下には誰もいなかったはず…なのに、由真の耳に聞こえた声…。恐る恐る声のする方に振り向いた…。そこには1人の男が立っていた。

「せっ先生って!え、何で?」

「何でって…。まさか忘れてるわけじゃないよな?」

 先生のその言葉を聞くまで…忘れていた…。

「あっ!」

「如月由真さん…。教室にいた君に、オレが言った言葉…覚えているかな?」

 先生は、溜め息をつきながら言った。由真は、少し俯きながら答えた。

「えっと、社会資料室まで来るように…と。すみませんでしたっ!遅れて…。」

 自分の誤ちを素直に謝ってみたものの…何だか納得いかなくて…

『何で、アタシが謝らなきゃなんないんだろう?納得いかないな…。あんなチャラい奴に謝るだなんて…人生の汚点だわ…。』

「いや、急に呼び出して悪かったな。とりあえず、中に入れ。」

「…はい。」

 そう答えて由真は、先生の後について、社会資料室に入った。今日、初めて会ったばかりなのに…。何の話があるんだろう?由真の心に小さな不安が生まれた。

「お茶とコーヒーどっちがいい?」

「あ、じゃあ…コーヒーを…。」

「コーヒーね。オッケー…。」

 先生は、何だか嬉しそうに答えた。カタンッとコーヒーカップが2つ机の上に並ぶ。閉め切った部屋の中に若い男女が2人っきり…。意識するなっていう方が普通は、無理なんだけれど。由真の場合…思考的に…それどころじゃ…ない。

『何なのよー。コーヒーなんてどうでもいいから、早く話を済ませてよねー。こんなチャラい奴と2人っきりだなんて…時間の無駄にしかならないじゃないっ!』

 目の前で優しげに笑う男への、嫌悪感で真っ黒な心を隠しながら由真は、作り笑いを浮かべ解放の時を待ち望んでいた。

「如月は、A大志望だったよな?」

「はい。そうですけど…。何か問題でもあるんでしょうか?」

「あー、いや…。問題というか…。」

 はっきりしない先生の言い方に、焦れた由真はきっぱりと言い切る。

「あの、アタシに何か問題があるのなら、はっきり言って下さい。中途半端な言い方は、逆に傷付きますので…。」

 先生に呼び出された時点でイイ話なんて、期待してない。それなりに心の準備だってしてたんだ。今更、泣いてなんかいられないんだから…。コーヒーを一口飲みながら、先生の言葉を待った。

「どうしてA大に行きたいと思った?」

「それは…。答えなければいけませんか?」

 何でそんな事を聞かれるのか。そして、何故それに答えなければいけないのか…。由真には、理解出来なかった。A大学に行きたい理由はちゃんとある。でも何故、かこの人に知られたくないと思った。

「いや、別に無理にとは…おもってない…。」

「先生には、お話したくありません。」

「そっそうか、わかった。悩みがあるならオレに相談しろよ?A大に関しては、先輩なんだし、いいな?」

「…はい。わかりました。」

 とりあえず、返事はしてみたものの…。

『えっ?もしかして、話ってコレ?一体、先生は何が言いたかったんだろう…。』

 わけがわからず、キョトンとしている由真。そして、少し照れているのか鼻の頭をポリポリと掻いている…先生。

「話って、それだけですか?」

 沈黙に耐えきれず、由真が聞いた。先生は、静かに答えた。

「あー、遅くまで悪かったな。ちゃんとお前と話してみたかったんだ。」

「そうだったんですか。あのー、親が心配するので、そろそろ帰ってもいいですか?先生…。」

 はっきり言ってしまうと、先生が何を言っているかなんて、今の由真には関係ない。ただ、早く帰りたい…。実は、この部屋に入ってからずっと…それしか頭になかったのだから…。無関心にも程がある。そんな由真に対しても、優しく笑いかける先生。

「あー、もうこんな時間か。家まで送る、夜道は危ないからな。」

 時計を見ると午後9時を回っていた。でも、まだ電車もあるし…帰れないわけじゃない。わざわざ送ってもらわなくても大丈夫。

『何で、送るとか言い出すのかな…。この男、どうしてもアタシの事、イジメたいのかな…。』

 そんな事をグルグルと考えている由真に、先生は…

「車、とってくるから。駐車場の出口辺りで待ってて。」

「えっ!いや…でも、アタシ…1人で大丈夫なんで…。」

「こういう時の人の好意には、あまえてもいいと思うぞ?由真ちゃん。」

「わっわかりました。お手数おかけします。」

 なんだか、先生のペースに飲み込まれてる気がする。なんだか、断り切れなかった自分に腹が立つ…。先生が何を考えているのかわからない…だから、余計に怖い。

『なんなんだろう…。あの男。しかも、何で名前…覚えてるのよっ!』

 そんな由真の心の叫びなど知るはずもなく、男は愛車の元へ急ぐ。

「何で、あんなに楽しそうなんだろ…。アタシには理解できないな…無理。」

 思わず声に出して言っていた。由真は、自分のペースを崩し去ってしまう…あの男がどんどん嫌いになっていく。そんな気持ちを止めようとは…しなかったし、思わなかった。

 …その時、由真の目の前に大きなエンジン音と共に、シルバーのスポーツカーがゆっくりと停まった。車の事なんて、さっぱりわからない由真でも1度は見たことのあるような有名な車種だ…。好奇の目で眺める由真。そっと開くくるまのウィンドガラス、中から聞き覚えのある声が…

「そんなとこでボーッとしてたら、風邪ひくぞ。隣にどうぞ。」

 ふざけた声で話しかけてくるのは、さっきまで一緒にいた…男。

『こいつ、本気で家まで送ってくれちゃうの?…実はイイ奴なのかも…。いや、でもこの車ってどう見ても高そう。学生のくせに…やっぱり信用できないな。あ、もしかして…女の人に貢がせた?あっあくどい…。』

 自分勝手な妄想の中に入り込んでいく、由真を男の声が止めた。

「おい、マジで風邪ひきたいのか?早く乗れよ。ちゃんと家まで送り届けるから…。」

 いつになく真剣な表情で言われたものだから、つられて由真も素直に返事をしてしまう…。

「はっはい。…すみません…。」

「んっ。わかればよろしい…なんてな。」

 すぐにふざける男を無視して、ガチャッと車のドアを開け、助手席に乗り込む由真。…そしてゆっくりと走り出す車の中…。何も話す事なんて、思いつくはずもなく。2人は、ただ黙っていた。

「なー、如月…。」

 先に沈黙を破ったのは、やっぱり先生。由真は俯き目を伏せたまま…

「何ですか?…先生。」

「お前さ、なんていうかオレに対してつめたくね?」

「はっ?」

 その言葉に由真は、ドキッとした。確かに、この先生に対して好意は持っていない。でも、冷たく接しているつもりはない。…つもりがないだけで、実際は…かなり冷たく接していたのだろうか…と、由真は考え込む。

「いや、オレの思い過ごしなら…いいんだけど。」

 多分、思い過ごしじゃない。でも、本当の事が言えるわけないし…。

「…先生が、気にし過ぎなだけじゃないんですか?アタシは、別に冷たく接しているつもりなんて…。全くありません。」

「そっそうだよな、悪い。変なこと聞いて…。」

 少し、嘘をついてしまった。

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