第67話「会談に参加する(2)」
「……あれが、魔王ルキエ・エヴァーガルド」
ソフィアの後ろで、戦士アイザック・ミューラたちが震えていた。
帝国の人間のほとんどは、ルキエの姿を見たことがない。
見たことがあるのは、『魔獣ガルガロッサ討伐戦』に参加した者くらいだろう。
ほとんどの者は、魔王がいるという事実と、かつて人間と魔族が争った時代の伝説しか知らない。
だから実物の魔王を目の前にして、護衛たちは怯えているようだった。
「お目にかかれてうれしく思います。魔王ルキエ・エヴァーガルドさま」
それとは対照的に、ソフィア皇女はまっすぐ、ルキエを見つめていた。
『認識阻害』の仮面とローブで姿を隠した魔王の前で、地面に膝を突こうとする。
「私、ソフィア・ドルガリアは、帝国の皇女として──」
「そのような礼は必要ない。魔王に膝をついたとなれば、帝国でのお主の立場が悪くなるであろう」
ルキエは手を挙げて、それを止めた。
「余が望むのは国境地帯の問題を解決することにある。そのためにこの会談では、対等の立場で語り合う場としたいのじゃ」
「それで……よろしいのですか?」
「余はむしろ、お主たちから学ばせてもらいたいと思っておる」
ルキエは仮面をつけたまま、にやりと笑ったようだった。
「遠慮はいらぬ。お主の言いたいことをすべて伝えてくれ。余もまた、お主に言いたいことをすべて伝えよう。帝国の姫君、ソフィア・ドルガリアよ」
「はい。魔王ルキエ・エヴァーガルドさま」
そして、本格的に会談が始まった。
「まず始めに、帝国の兵団が行っている軍事訓練についてじゃが」
「それについてはお詫びいたします。部下には中止を命じました」
「ほう。対応が早いな。ソフィア皇女」
「帝国民に迷惑をかけるような訓練を許すわけには参りません」
ソフィア皇女はルキエを見ながら、そう告げた。
「次の訓練の場所が決まり次第、書状をお送りいたします。ぜひご観覧にいらしてください」
「いっそ合同訓練にするのはどうじゃろうか」
「それもよろしいですね。部下と相談いたします」
「次の議題じゃが……魔王領は国境地域の村々との交易を望んでおる」
「国境周辺の村々との交易については、高官会議において黙認されております。奇しくも軍事訓練が妨害をする形になりましたが、今後はそれもなくなります。お続けください」
「交易対象に『ノーザの町』も含めるのは?」
「理由をうかがいましょう」
「魔王領では鉱山の開発が進んでおる。それによって得た銀を使い、交易の頻度を増やしたいのじゃ」
「町長の説得が必要ですね。そのためには、なんらかのメリットが必要かと」
「理にかなっておるな。ふふ……ソフィア皇女は、なかなかの知恵者と見える」
「こちらこそ、魔王さまとこうして話ができることをうれしく思います」
ルキエと楽しそうに笑い、ソフィアは軽く頭を下げる。
魔王領の外に出ることのない魔王と、帝都から出ることができなかった皇女。
それぞれがそれぞれの立場で、次々と意見を交わしていく。
「「……おぉ」」
アイザック・ミューラと護衛の兵士が、呆然とした声をあげた。
「……ソフィア殿下が魔王相手に、堂々と議論をされております。アイザックさま」
「……う、うむ。殿下は本当に覚醒されたようだ。勇者のように。となると小官は勇者のサポート役か……主役ではなく……むむぅ」
そして、魔王領側も──
「帝国兵が感心するのもわかりますね。ライゼンガ将軍」
「ソフィア・ドルガリア皇女……なかなかの人物のようだ」
宰相ケルヴさんとライゼンガ将軍が感心していた。
俺も結構おどろいてる。
帝国の皇女相手に、淡々と交渉をしているルキエにも。
魔王相手に、一歩も退かないソフィア皇女にも。
ルキエと会談しているソフィア皇女は、すごく活き活きしてる。
その姿が──魔王領に来たばかりの俺と、似てるように思えたんだ。
俺は帝国では、自由に錬金術スキルを使うことができなかった。
魔王領に来て仕事をもらって、やっと好きなものを作れるようになった。
同じようにソフィア皇女は、帝都では能力を活かすことができなかった。
帝国の領土運営や、魔王領との関わり方について、言いたいことや、やりたいことがあったんだろう。でも彼女には、その力がなかった。
でも、魔王領に来て、身体が元気になったことで、それができるようになった。
だからこうして、ルキエとの会談を楽しんでるのかもしれない。
「帝国側のメリットか……ふむ」
ソフィア皇女の問いに、ルキエは少し考えてから、
「『ノーザの町』のメリットならば与えられる。魔王領から多くの銀を得ることになれば、町が豊かになる。その銀で帝国の他の町と交易することもできよう」
「それなら町長の説得もかないましょう。ですが魔族や亜人の方々が何度も来るようになれば、町の者が警戒する可能性がございます」
「ならば国境と町の中間地点に交易所を作るのは?」
「恒久的な建造物を作るのは大がかりになりすぎます。帝都の許可も必要でしょう」
「一時的に天幕を張るのはどうじゃ?」
「それならばよいかと思います。ぜひ、お願いいたします」
ここまで話したところで、ルキエとソフィアは言葉を切った。
「いや、実に愉快じゃ。帝国の皇族とこのような話ができるとは思っていなかったぞ」
「私も同感です。魔王であるルキエ・エヴァーガルドさまが、これほど話しやすい方だとは、正直、おどろいております」
「その判断はまだ早いぞ。皇女どのよ」
「と、申しますと?」
「余は魔族の王じゃ。こうすることで、お主を油断させようとしているのかもしれぬぞ?」
「信じませんよ。それは、魔王さまのおそばにいらっしゃる方を見ればわかります」
そう言ってソフィアは……俺の方を見た。
「あの方は魔王領の信頼を得て、こうして会談の場に立ち会ってくださっています。あのような方を部下に持つ魔王さまが、悪い方とは思えません」
「うむ。お主との縁を繋いでくれたのも、あの者じゃ」
「感謝しております。私をこうしてこの場所へ、導いてくださったことを」
「同じような思いを抱いている者は、魔王領にはたくさんおる。お主に紹介したいくらいじゃよ」
そしてルキエも、俺の方を見た。
いや、俺はただ、アイテムを提供しただけなんだけど。
ソフィアとの間をつないでくれたのはソレーユたち羽妖精だからね。
「最後に、国境地帯にいる魔獣の調査じゃが。魔王領はこれを、お主の兵士たちと共同で行いたいと思っておる」
「問題ありません。後ほど書状をやりとりして、予定を決めましょう」
「また『魔獣ガルガロッサ』のようなものが現れては困るからな」
「民の平穏のために、協力いたしましょう……」
そう言って、ソフィア皇女は長いため息をついた。
「殿下。お身体の方は大丈夫ですか」
「……問題ありません」
戦士アイザックの問いに、ソフィアは首を横に振った。
ソフィア皇女が『フットバス』を使ってから3日経ってる。
そろそろ効果も切れる頃だ。
継続して使えればいいんだけど……『ノーザの町』も警備が厳しくなってたからな。
羽妖精たちも、ソフィア皇女に接触できなかったんだ。
「魔王領の方々と、こうしてお話ができたのです。疲れたなどと言っていられますか」
「皇女どのは、魔族や亜人に興味がおありなのか」
「はい。魔王さま」
ルキエの問いに、ソフィアは優しい笑みを浮かべて、応えた。
「幼いころより、私は勇者の伝説を読んできました。それで……ずっと考えてきたのです。自分なら、魔王との争いをどう治めるか。どのような話をするかを」
「なるほど」
「今日この日、魔王さまと、トール・カナンさまに出会えたことを光栄に思います」
ソフィア皇女が、俺の方を見た。
「帝国民であるトール・カナンさまが、こうして魔王領の方々の理解者として側にいらっしゃるから、私はこうしてお話をする勇気が持てたのです。私は、あの方を尊敬し……感謝しております」
「トールは、余の直属の部下として仕事をしてくれている」
ルキエが応えるまで、少し間があった。
「帝国と魔王領の双方を知る者として、相談にも乗ってくれているのじゃ」
「さようでございますか」
「トールのことはよい。それより、今回の会談で決まった議題についてじゃが」
「はい。帝国皇女として、私が『ノーザの町』にいる間は、必ず実行いたします」
ソフィアはスカートの裾をつまみ上げ、一礼した。
それから、横にいる鎧の戦士を見て、
「この者も、私の意見に賛同してくれる者のひとりです。そうですよね? アイザック・ミューラ」
「で、殿下?」
「この会談が成功し、『ノーザの町』が豊かになれば、それはこの者の功績です。彼が私の意図を理解し、兵をまとめて同行してくれたからこそ、魔王さまと会うことができたのです。どうか、私の部下の名前を覚えてください。アイザック・ミューラ、と」
「……参りましたな」
アイザック・ミューラと呼ばれた男性は、困ったような顔で兜を叩いた。
それから、長いため息をついて、
「……ソフィア・ドルガリア殿下をサポートする者で、アイザック・ミューラと申す。兵の指揮官をしております。殿下の代わりに、小官が書状をお送りすることもあるかと思う。よろしく頼む。魔王領の方々よ」
ルキエではなく、ケルヴさんとライゼンガ将軍に向けて告げた。
それを受けて、ケルヴさんとライゼンガ将軍もあいさつを返す。
アイザック・ミューラは、魔王ルキエにはあいさつをしていない
たぶん、護衛の兵士と、後方にいる兵士たちが見ているからだろう。
魔王と言葉を交わしたのはソフィア皇女だけで、自分はその護衛として、付き合っただけ──という形にしておきたいみたいだ。
……なかなか保身に長けた人だな。
「魔王領の皆さまに、私からひとつ提案がございます」
不意に、ソフィア皇女は言った。
「今回、この場で決まったことは、私の責任において実行するつもりです。ですが、帝国の高官たちがどう反応するかはわかりません。場合によっては、私を帝都に呼び戻す可能性もあります」
「うむ。あり得る話じゃな」
「それに、私の『ノーザの町』での任期は3年です。それ以降の保証はできません。だから──」
そう言ってから、ソフィア皇女は深呼吸して、
「私が『ノーザの町』に居続けるため、トール・カナンさまと婚約したいのです」
──まっすぐに俺の方を見て、そんなことを宣言した──って、え?
会談の場に沈黙が落ちた。
ルキエもケルヴさんも、ライゼンガ将軍も、身動きひとつしない。
アイザック・ミューラたちも、ぽかん、と口を開けてる。
ってことは、これはソフィア皇女の独断か。
「理由は……帝国の事情に詳しいトール・カナンさまなら、おわかりになるのではありませんか?」
「推測はできます……けど」
「お願いいたします」
「ソフィア殿下が、魔王領にいる俺と婚約しているのであれば、帝国の高官たちも殿下を『ノーザの町』から動かしにくくなるから、でしょうか。魔王陛下の許可を得て婚約した2人を引き離せば、それは魔王領の怒りを買う。子どもでもいた場合は、さらに話が複雑になりますし」
「正解です。さすがですね。トール・カナンさま」
そりゃわかる。
宰相ケルヴさんが似たようなことを考えて、俺とメイベルを婚約させたばかりなんだから。
ケルヴさんは、婚約者がいることを理由に、俺を帝国に渡さないようにした。
魔王の許可を得て婚約している俺たちを無理矢理引き離せば、魔王の怒りを買う。ひいては魔王領を敵に回すことになる。帝国はそのリスクを避けるはず、という判断だ。
ソフィア皇女が提案してるのは、その逆パターンだ。
魔王の許可を得て俺と婚約することで、自分自身を国境地帯につなぎとめるつもりでいるんだ。
だけど──
「それはできぬ相談じゃ。トールには、すでに婚約者がおる」
魔王ルキエは声をあげた。
「政略のために、婚約者との間を裂くわけにはいかぬ! それは魔王領のやり方ではない!」
「婚約者の方との間を裂くつもりはございません」
「なんじゃと?」
「むしろ、魔王領内にも婚約者がいらっしゃった方がいいのです。トール・カナンさまが、魔王領から動けない理由となりますので」
「なるほど。トールが魔王領を出ないのであれば、婚約者になった皇女どのも動けぬ。ノーザの町に留まり続ける理由になる……と?」
「既成事実を作るのもよいでしょう。そうすれば、帝都の高官会議も、私を呼び戻すのをあきらめるかと」
ソフィア皇女は、少しだけ頬を染めて、やさしい笑顔を見せた。
「もちろん、魔王領にいる方を正妻としてください。私は側室で構いません」
「お主は皇女であろう? それでよいのか?」
「私は皇位継承権を持たぬ身です」
知ってる。
俺も帝国にいたから、身体の弱い貴族や皇族が、どう扱われるかは知ってるんだ。
たぶん、このままだと、ソフィア皇女は──
「私はいずれ帝都に呼び戻され、他国へと出されることとなるでしょう」
ソフィア皇女はルキエや俺、それとケルヴさんたちを見回して、言った。
「けれど、皇女として生まれたからには、目の前にいる人たちのために、この命を使いたいのです。こうして会談をしている魔王領の皆さまや、国境の民のために」
「お待ち下さい殿下! ま、魔王領にいる者と婚約ですと!?」
不意に、護衛のアイザック・ミューラが叫んだ。
大きな身体が震え出し、全身の鎧がカチャカチャと音を立てる。
「そんな勝手なことをしたら……あなたは二度と帝都には戻れなくなる! 皇族の名簿から名を消される可能性もあるのだ!」
「その覚悟はあるつもりです」
「妹君に二度と会えなくなってもよいのですか!?」
「覚悟はあると申し上げましたよ。アイザック・ミューラ」
ソフィア皇女はきっぱりと言い切った。
「リアナには書状で、私の考えを伝えます。これが『ポンコツ』の皇女が出した答えであることを。私はこの身をもって、妹に皇女とは民を守るものであること、平和のために身を投げ出す者であるということを……示したいのです」
「殿下はお疲れだ!」
護衛のアイザックが叫んだ。
「会談はこれで終了とする! 最後の提案は、殿下が疲労されたゆえのうわごと。そう心得ていただこう!」
「待ってください」
俺は言った。
俺が口を挟むべきじゃないかもしれない。
でも、ここで会談が終わったらまずいような気がした。
二度とソフィア皇女には会えないような、そんな気が。
それに、別れる前に、ソフィア皇女に対してしなければいけないことがあるんだ。
「魔王陛下。俺に、ソフィア殿下と話す時間をいただけませんか?」
「……トール」
「ソフィア殿下は俺を婚約者に、とおっしゃいました。その真意を確かめたいのです。それに、ソフィア殿下がお疲れなら、天幕で少し休んでいただいた方がいいと思います」
「……そういうことか」
ルキエはうなずいた。
俺の言いたいことがわかったんだろう。
すぐに宰相ケルヴさんの方を見て、うなずく。
「護衛の方に申し上げる。ここはトール・カナンさまと、ソフィア皇女殿下とで話をしていただくべきだと考えます」
ケルヴさんは言った。
「婚約を望むソフィア皇女殿下も、その話を聞いたトール・カナンさまも、ここで別れてしまっては心残りができましょう。護衛の方が反対されるのであればなおのことです。話はここで終わらせておくべきかと」
「……むむ」
戦士アイザックが足を止めた。
彼はソフィア皇女がうなずくのを確認してから、
「ならば、どうしろとおっしゃるのだ?」
「こちらで天幕を用意いたします。そこにトール・カナンさまとソフィア殿下に入っていただき、そのまわりで魔王領と帝国領、それぞれの護衛が待機するというのはどうでしょうか。それなら、なにかあったときにすぐに対応できると思いますが」
「……確かに、そうかもしれないが」
「ソフィア皇女殿下のお気持ちも尊重できると思います」
宰相ケルヴさんはそう言って、説明を終えた。
さすが宰相ケルヴさんだ。うまく話をまとめてくれた。
帝国側としてはここで話を終わらせておきたいはず。
見張りもつくのなら、断りにくくなると思うけど……。
「わかりました。ただし、30分だけです。よろしいですかな。殿下」
しばらくして戦士アイザックは、渋々という感じで、そう言った。
ソフィア皇女がうなずく。
もちろん、俺にも異存はない。
とにかくソフィア皇女とは、一度ふたりきりで話をしておきたい。
俺もいきなり『婚約』なんて話が出てきて混乱してるし。
皇女との婚約が、魔王領のためになるならいいと思うんだけど……なんとなく、落ち着かない。
ここはしっかり話をしておこう。
長くなったので、2話に分けて更新することにしました。
第68話は、今日の午後8時ごろにアップする予定です。