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36回目の生存戦略  作者: salt
3/18

彼女の視点 3



 酷く衰弱した私は手厚く保護され、やがて体が万事回復する頃、旦那様が酷く厳しい顔で私に会いに来ると、とても苦々し気なお顔で「お前とクリストフィア殿下の婚約が決まった」と言いました。


 私はその日から、隣へと望んでくれた殿下にふさわしくなりたくて、ずっと努力をしてきました。

 王族付きの女官であるマリアンヌに、王太子妃としての教育を受け、家庭教師と共に勉学に励み、パーティーで美しく踊れるようにダンスの練習をたくさんしましたし、いずれ王妃となった時に恥ずかしくないようにと教養を身につけました。私はとても足りない娘でしたので、他の人より沢山努力しなければなりませんでしたが、勉学もマナーも教養も、ダンスの練習も辛いだけではなく、むしろ楽しいものでしかありませんでした。


 殿下はきっと、可哀想な妖精を救いたかっただけなのでしょうけれど、あの日殿下が救ってくれなければ、私はこんな幸せを知ることはなかったでしょう。


 だから、だからこそ、殿下に愛しい人ができたなら潔く身を引くと決めていました。

 たとえ、あの薄暗い物置に戻されるとしても。私に幸せを教えてくれた殿下の幸せ。それが私にとって一番の幸福なのですから。


 だから、殿下が学園を卒業して最後のパーティーを開くこの日。

 前もって生徒会室に呼び出された段階で、この結末は察知していたのです。

 それがたとえ、殿下の隣に立つのが異父妹であるディアナだったとしても、私の誓いに変わりはないのでございます。



「それにしても……」


 まさか私がディアナをいじめていると思われているとは思いませんでした。

 ディアナは母が男爵家に降嫁した後に生まれた2つ年の離れた異父妹です。

 母によく似た顔ということは、私にもよく似ているということなのですが、背が高くてまだ15歳とはとても思えないほどの美人です。

 真っすぐで黒い夜のような髪に、私や母と同じ赤い瞳が妖艶さを醸し出し、この学園に通い始めてすぐに美人であると有名になりました。


 一目見た瞬間に、私には彼女が異父妹であると分かりました。だって、公爵家の物置に隠されるようにしてあった母の肖像画に、彼女はとてもそっくりだったのですから。


 私の髪は月の姫君と同じ白金でしたが少し癖があって扱いにくかったですし、瞳の色は赤くまるでウサギのようでした。あまり伸びなかった身長も相まって、子供のように扱われておりましたので周りの貴族の方に生まれもあって陰ながら馬鹿にされておりました。マリアンヌ直伝の王太子妃の振る舞いをもって、どうにか殿下にその悪意ある噂は届かないようにすることができておりました。


 騎士のフラン様もリシェルも、マリアンヌでさえも殿下に進言したほうがいいと言っていましたが、私のことで殿下に迷惑をかけることがどうしてもできなくて、ずっと黙っていていただいたのです。今となってはどれが正解だったのか分かりません。


 あぁ、話が逸れてしまいました。


 ディアナは妖艶だと言われる容姿でありながら、天真爛漫で無邪気と言って差し支えない性格の持ち主で、殿方はそんな彼女に心惹かれたのでしょう。

 婚約者のいる殿方にまで不用意に近づく危うさに、私は一抹の不安を覚えました。


 その当時の私は殿下の婚約者で生まれはともかくとして12公爵家の令嬢という立場上、貴族の子女から体のいい代表として扱われることが多かったのですが、それと同時に口に出さずとも、私とうりふたつのディアナが妹だという事実から、私が彼女を注意しなくてはならないという雰囲気になりました。


 これ以上黙認すれば、私の立場はともかくとして、ディアナ本人の心情とは別に、他の令嬢に嫌がらせを受けるかもしれないというところまで追い込まれてしまったため、私は持てる全ての王太子妃候補として備えた力を使って彼女を注意しました。

 きっとそれが嫌がらせとして受け取られたのでしょう。


 私は立場上、そうやって注意をすることでしか彼女を守ることができなかっただけです。

 いえ、もっと賢ければそれ以外の方法があったのかもしれません。でも結局こうなってしまったのだから私の力が足りなかった自業自得というものに変わりはないでしょう。



 ディアナとはこっそりと、彼女自身にも内緒で交流をしていたので、誤解はあったとしても幸せになってほしいものです。異父妹とはいえ、彼女は唯一私と血の繋がった妹なのです。たとえ嫌われていたとしても、私にとっては可愛い妹であることに変わりはないのです。


 あぁ、それでも覚悟はしていたものの、面と向かって殿下に嫌われるのは思っていた以上に傷つきました……。誤解がなければあんな風に言われずに、円満に婚約解消できたかもしれないと思うと、やはり悲しい。それでも、パーティーの最中、他の貴族の御子息やご令嬢の前で婚約を破棄されるよりだいぶマシだったと思うしか……いやまさか、そんなね。そんな風に婚約を破棄されていたら、私は公爵家の面汚しと言われて一生幽閉されていたことでしょう。幽閉ならまだいいほうです。あの家のことですから、最悪の場合は……

 ……どうしてこんな嫌な想像を生々しくもしてしまうのでしょう?


 きっと心が苦しんでいるんだわ……なんて思っていたら頬を涙が伝いました。


「……姫!!」


 慣れ親しんだその声に、私はハッとして振りむきました。

 見れば、追いかけてきたのはずっと私を守っていてくれた近衛騎士のフラン様です。


 殿下と婚約した時に、陛下から未来の王太子妃のためにと数人の近衛騎士を与えていただきました。騎士様方はなぜこんな生まれもよく分からない娘にと、不満を持つこともありましたでしょう。それでもみなよく仕えてくださいました。


 フラン……フランシス様は特に私に良くしてくれました。数年前から私に仕えてくださったフランシス様は、年が他の騎士様に比べたら少し近いこともあってとても楽しくお話をしてくださいました。彼の家は古くから精霊様を深く信仰していたそうで、精霊姫の容姿を持つ私を守れることはこの上ない幸せだと何度も何度も仰って下さいました。私はただ、容姿に恵まれただけの人間でしたので、その言葉をいつも少し重く感じていましたが、大事にしてくださったことには変わりありません。


 そのフランシス様が何とも言えない顔をして私の後ろに立っています。今日の護衛担当はフランシス様でしたので、先ほどの一切をフランシス様は一緒に聞いておりました。

 フランシス様は私に与えられた近衛騎士ではございますが、元は王家に忠誠を誓った騎士様です。婚約破棄をされ王太子妃候補ですらなくなった私に、仕える理由はもうないはずです。


「フランシス様……」

「姫、どうかお戻りください。いくらなんでもあんな婚約破棄は許されません。殿下に抗議をすべきです」

「不敬になりますよ、フランシス様。……いいのです、もとより私は殿下に望んでいただいたから婚約者となった身です。殿下が真に想う方ができたというなら身を引くのは道理でしょう?」

「何が道理だというのでしょう! この10年、努力に努力を重ねたあなたをあんな形で無下にして何が真実の愛だというのでしょう?! こんな……こんなのは間違って」


 あぁ、それ以上はいけません。

 私ははしたなくもフランシス様に駆け寄って、その口に手を当てました。

 フランシス様の茶色の瞳が見開かれ、私をじっと見つめます。


「それ以上はいけません。フランシス様……あなたは王家に仕える騎士様です。私なんかのためにそんな事を言ってはいけません」

「……姫」

「フランシス様、私は姫ではありません。王太子妃候補でなくなった今、ただこの国に住まう公爵令嬢の1人でしかないのです」

「……リゼット様」

「あなたにお守りいただいたこの数年。私はとても幸せでした、えぇ、幸せだったんです。この思い出さえあれば、今後どんなに厳しい人生だったとしても生きていけます。だからそんな顔をしないでください……ね?」


 私よりずっと年上のフランシス様に諭すような声音でそう言えば、雨の中に捨てられる子犬のような顔をされます。出会った時から思っていましたが、フランシス様は少し犬に似ている気がします。嘘がつけなくて正直な、駆け引きは苦手だけれど高潔で真面目で素晴らしい騎士様なのに、時折見せる仕草が可愛らしくて申し訳ないと思いながら微笑ましく感じておりました……。あぁ、その日々ももう終わりなのですね……、そう思ってしまったらどうにか堪えようと思っていた涙がまたこみ上げてきました。


 想像していた以上にたくさんのものを、私は殿下に与えていただいていたのですね……。失った、いえ違います。お返しする時が来ただけなのです。いずれ来る終わりが今日だったというだけなのです。


「リゼット様、せめて公爵家迄俺に送らせてください。あなた様を1人で家にお帰ししたくない……」

「いけませんフランシス様。パーティーはこれからなのですよ。あの子を……新しい王太子妃候補様をどうか、守ってあげて下さい」

「リゼット様っ!」

「今までありがとうございましたフランシス様。さようなら」


 無理矢理そう言って、私はエントランスへと向かいました。フランシス様にもう一度名を呼ばれたような気がしましたが、振り返ってはいけないと自分に言い聞かせます。

 与えていただいたものは全て、お返ししなくてはいけません。それが、どんなに愛おしく、大切で、かけがえのないものだったとしても、これだけが最後まで私が通すべき筋というものなのです。



 エントランスホールには各貴族の使う馬車が所定の場所で待っているのが見えました。薄暗い中、自分の馬車を探せばいつもの場所にウィレッド家の家紋が入った馬車が見えます。すっと手をあげて合図を送れば慌てた様子で御者のハイムさんが馬車をこちらに向かわせました。


「っ! リゼットお嬢様……いかがされ」

「気分が悪くなってしまって、先に帰らせてもらうことにしたの。あっという間で申し訳ないけれど出してくださいますか?」

「えぇ……それは構いませんが……、まぁ大丈夫か」

「どうかしましたか?」

「いえ! なんでもないです。お嬢様、どうぞお乗りください」

「ありがとうハイムさん。……リースとクラッブもお願いね」


 ハイムさんは公爵家に古くから仕える御者頭です。リースとクラッブはそのハイムさんが手塩にかけて育てた優秀な馬車馬で学園に通う間、私の送り迎えをずっとお願いしておりました。

 私は卒業まであと2年ありましたが、こんなことになってしまってはもう通うことはできないでしょう。この2年、ハイムさんと2頭にはお世話になりました。

 どうにか労えたらいいのですが、できるかどうかは分かりません。

 ハイムさんは少しだけじっとわたしを見つめて、それから少しだけ辛そうに目を細めました。もしかしたら、泣いた酷い顔だというのがバレてしまったのかもしれません。


「お嬢さ……」

「さぁ、ハイムさん。帰りましょう……安全運転でお願いしますね」


 私はそう言って、手早く馬車に乗り込みました。ハイムさんは少し迷っていたようでしたが、やがて御者台に乗り込み馬車を出発させます。

 王太子妃候補を乗せるため旦那様が誂えてくださったその馬車は、私が乗るには上等すぎて、不快なはずの揺れが軽減されているせいかリズミカルな動きがとても心地よく感じました。


 パカラパカラという馬の足音に耳を傾けながら、私は物思いにふけります。

 いえ、何も考えてはいません。

 私の心はむしろ虚無でした。

 殿下の婚約者になってからの10年。それまでに積み重ねていた全てが無くなったのです。私を形作る全てが無くなってしまったのですから無理もありません。


 明日から一体どうしましょう。


 いえ、それよりもまずは旦那様にご報告しなくてはなりません。

 血縁上は伯父であるウィレッド公爵様の事を私は一度も伯父だと呼んだことはありません。いえ、正確には許されなかったのです。あの方にとって、私は末の妹が生んだ姪ではなく、末の妹によく似た妖精のような何かでしかないのでしょう。最近は精霊信仰に嫌悪しているようで、私のことを必要以上に視界に入れたくないようでしたから、今回のことを報告すれば烈火のごとくお怒りになるでしょう。さすがに殺しはしないと思いますが辺境の従兄弟伯爵の所に一生軟禁くらいになるかもしれません。公爵家の地下牢に監禁にならないといいのですが……。


 ようやくそう考えられるようになった頃、突然ガタンと馬車が揺れ馬の嘶きが聞こえました。

 困惑する間もなく、馬車の速度が上がり、揺れが大きくなります。


「……は、ハイムさん!? どうされたんですが!!」


 慌てて御者台に声をかけますが、ハイムさんから返事はありません。内窓のカーテンを開けて様子を伺いたいのですが、尋常ではない馬車の揺れに立ち上がることもままなりません。

 私は突然のことに恐ろしくなって、馬車に摑まって蹲りました。激しい揺れに気分が悪くなり、頭がぐるぐるとしてきます。

 馬車の外側から怒号が聞こえてきますが、何を怒鳴り合っているのかは分かりません。もしかして、この馬車は襲われているのでしょうか?

 ここは王都の外れとはいえ、貴族の子女が通う王立学院へ続く街道です。野盗が出たという話はついぞ聞いたことがありませんが、そういった類の何かでしょうか?


 あぁ、怖い。


 今日はどうしてこんなに色々起こるのでしょうか。

 婚約破棄はともかくとして、私が何をしたって言うのでしょう。

 あぁ、それでも……それでも、フランシス様に護衛を頼まなくてよかった……こんなことに、優しいあの方を巻き込まなくてよかった……。


 恐怖から頬を涙が伝います。ふと、馬車がゆっくり速度を落とし始めました。やがて完全に止まったかと思うと、外があわただしい気配に包まれます。

 コンコン、丁寧に馬車の扉を叩く音。

 ハイムさんの鳴らせ方とは少し違うので、ノックの主は彼でないでしょう。野盗が鳴らしていたのだとしたら、私はどうなってしまうのでしょう。……怖い……怖くてたまらなくて、私の喉から声が出ません。

 深呼吸するような音がしたのち、馬車の扉が外側からゆっくりと開かれました。そこに立っていた人を認めて私は息をのみます。


 夜であっても輝いて見える濃い金の髪に、サファイヤのように輝く青い瞳をした、ずっと見つめていた美しい御尊顔。


「……くりす……いえ、殿下?」


 さっき婚約を破棄されたばかりの、元婚約者。

 王太子であるクリストフィア殿下が、辛そうな……悲しそうな、それでいてほっとしたような顔で私を見つめておりました。


「……生きてる」

「え?」


 殿下はそう呟くとほろりと涙を流しました。

 殿下の涙を、私ははじめて見ました。10年間ずっとこの方だけを見つめていたのに、はじめて見るその表情に困惑して、私は思わず声をかけます。


「殿下?」


 ようやく出した声は、動揺のあまり震えていました。

 それが気に障ったのか。それともそれとは別の、何か別の感情からなのかは分かりませんが殿下はすっと私に手を伸ばされます。何を望んでいるのか分からなくて、私がびくりと肩を震わせると殿下は一度躊躇するように手を止めました。ですが躊躇いを振り払うように再度手を伸ばされたかと思うと、抵抗する間もなくぎゅっと抱きしめられました。優しく、温かく、それでいて力強く抱きしめられ、ちょっとした痛みとこみ上げる気恥ずかしさにどうしていいか分からなくなってしまいます。


 こんな風に抱きしめられたことが今まであったでしょうか? いえ、10年婚約者としてお側にいましたが今までで一度もありません。ついさっき婚約を破棄したばかりの相手を、どうしてこんなに力強く抱きしめるのでしょうか?


 私の記憶にある先ほど、婚約破棄を願った殿下は、もっと汚いものを見るように私のことを睨んでいらっしゃったのに……。


「……でんか?」

「……今だけでいい……今だけでいいから、このままでいさせてくれ……」


 懇願するようなその声に、私はどうしていいか分からず、抱きしめ返すことができない腕をそのままに、そのまま殿下の肩に顔を埋めました。

 婚約破棄をされた身でありながら、こんなことをしてしまっていいのでしょうか? などと思いつつ、最後に見る夢がこんなにも甘いものなら……ほんの少しだけ甘えてもいいのではないでしょうか。

 期待などしません。あなたの心は既にディアナにあることは疑いようのない事実です。

 ですから……ほんのちょっとだけ……殿下が仰る「今だけ」……私も殿下がここにいてくださることを感じさせてほしいのです。



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