36回目の生存戦略(終)
「と、言うわけなのです。ご理解いただけました?」
そう言ってにっこり微笑めば、リゼット嬢は困惑しながらも頷いた。充分すぎる情報はキャパオーバーだろうに、必死に頷いて理解しようとする姿は好感しかない。
自分が知ってる彼女は王太子妃候補の仮面をかぶった、人にも自分にも厳しい優雅な淑女だったのだが、今目の前にいる彼女は突然の王太子の愛をどうしていいか分からずに困惑する、口下手な少女にしか見えない。
その王太子と言えばよほど生きている彼女が嬉しいのか、この話をしている間リゼット嬢を抱きしめてその首筋に顔を埋めたまま離さない。こちらがクリスの愚かさを説明した時はうぐっと苦しそうに固まるが、それ以外は見事な迄の溺愛ぶりである。つい2時間ほど前にリゼット嬢に婚約破棄を宣言したとは誰も信じたりしないだろう。
急に気分が悪くなったからと、卒業パーティーは先に進めてもらっている。何も知らないアレックスだけ先に行かせたから、まぁなんとかなってるだろう。
ディアナ嬢はといえば、リゼット嬢の膝にしがみついてさっきまでワンワン泣いていたのだが、慰めるリゼット嬢の手が心地よかったのか、今はだいぶ大人しく……あ、いやこれ寝てるな。あのディアナ嬢の安心しきった寝顔なんてはじめて見た気がする。
「……リゼット」
「で……でんか……」
「いやだ……殿下なんて呼ばないでくれ。昔のようにクリスと……名前を……」
「む、昔ってほど昔では……」
「リゼット嬢、リゼット嬢にはそう見えても、この殿下は繰り返した36年、ただもう一度あなたに会いたくて頑張った精神年齢54歳児なんです。生きた貴女を見るのも体感36年ぶりなんですよ」
嫌がらせの意味も込めてそう言ってやれば、クリスはあからさまに不機嫌そうに頬を膨らませた。19歳の美形王子がやったら多少効果はあるかもしれないが、精神年齢54歳児だと思うと台無しである。
その実感がいまいちないリゼット様は困ったように眉根を寄せて、自分を抱きしめているクリスを見上げたかと思うと、困ったように「クリス様?」と首を傾げます。
あ、それ駄目ですね、殿下イチコロです。
一瞬呆けた顔になったクリス、今絶対に「結婚しよ」って思ったでしょう。
なんて思っていたら、どうやら自分が一度婚約破棄した現実を思い出したみたいです。だらだらと冷や汗を流しながら、殿下は彼女を膝に乗せたままその小さな手を取りました。
「り、リゼット」
「は、はい」
「そ、その、俺が君にしたことは許されるようなことではないと思っている……。許してくれとは言わない……だが……その、もう君を手放したくないんだ。必ず幸せにするから……もう一度俺と婚約して欲しい」
「ヤバイ、正直ちゃんと言えないと思ってたけど男見せたぞ殿下。さすが54歳児」
「うるさいマルス! 聞こえてるぞ!」
耳まで顔を赤く染めたクリスなんて、はじめて見る。まぁ、彼にとっては10年と36年越しの初恋なのだから無理もないだろう。チキュウの、日本にいた自分だったら、「クソ重い」などと言っていたかもしれないけれどそれはそれでこれはこれである。
考えることはまだ多い。
こう彼女が救われたからと言って、35回目の時に調査した結果を考えれば彼女はまだ命を狙われ続けるだろう。
彼女がこれから幸せに生きて、子をなし、幸せに死んでくれなければ、俺達は契約上また同じ時間を繰り返さなくてはいけなくなってしまう。
それ以上に、もう2度と、彼女の死を見るのはごめんだ。1度しか見ていない俺ですらそう思うのだから、クリスとディアナはもっとだろう。
そのためにもまず、クリスのこの懇願にぜひとも応えていただきたいのだが、無理強いするものでもないよな……。
「は? 何言ってるの役立たず。あんたみたいな役立たずにお姉様を渡すわけないでしょう」
「は?」
「お姉様、お姉様のことはこのディアナがお守りします。大丈夫です、お姉様を狙う輩は須らくちょん切るので問題ありません」
「は?????」
何を? と聞いたら藪蛇なんだろうな。っていうかちょっと待ってディアナ嬢、なんでそこでそうなるんだ???
「失礼いたします! 殿下! 捕らえた御者は王国騎士憲兵に引き渡し……って、姫に何をしているんですか! 破廉恥ですよ!!!」
「おいやめろ近衛騎士。フランシスとか言ったっけ? 今は頼むからこれ以上ややこしくしないでくれ!」
「はぁ? 宰相の御子息とはいえ無礼だぞ!」
「おいー! まだ来ないのかよ? 1回くらい顔出さないと空気が微妙なんだけど……ってなんでクリスがリゼット嬢を抱きしめてるんだ? え?ディアナのお嬢とは?? どうなったんだ??」
今タイミングで筋肉馬鹿アレックス帰還である。生徒会室は大混乱を極めて、そのど真ん中にいるリゼット嬢はもはや限界である。
「く……クリス様!」
混乱の最中、リゼット嬢は立ち上がった。
その気迫に辺りが一瞬静まり返る。
「えっと、その……わ、私と踊ってください!!」
肩まで赤くさせながらリゼット嬢が言う。その顔はいつもの仮面をかぶった顔ではなく、一生懸命勇気を出した恋する乙女の顔である。
やばいなこれ。え、殿下こんな可愛い彼女振ろうとしたの? 馬鹿じゃないの? などと思っていると、ダンスを申し込まれたクリスが顔を真っ赤にさせて立ち上がる。
「お、踊る! 踊ろう!!」
「語彙力が3歳児かよ」
「うるさいマルス!!!」
悪態をつきながら、クリスがリゼット嬢の手を取った。
手を繋いだ瞬間、花がほころぶように嬉しそうに微笑むリゼット嬢を見て、ようやく安心する。
きっとこの先、2人が添い遂げたその先に絶望は待っていない。
100年後の未来の災いも、きっと子孫が退けてくれるだろう。
だから今、この瞬間だけは目の前の平和を温かく受け取ろう。
36回目の生存戦略は、ひとまず最初の山場を越えたのだから。
お読みいただきありがとうございました。
 




