0回目の彼の後悔 1
彼女が死んだという事実が信じられなくて、現場に向かう。
昨日雨が降ったせいで増水していたその川に、彼女を乗せた馬車は突っ込んだらしい。
二頭立ての馬車で、家紋が入った特別な王太子妃候補を乗せるための美しい馬車だったはずだが、今では見る影もない。
外に投げ出された御者は、岸辺に流れ着き一命をとりとめたが馬2頭と彼女は増水した川に流され、遺体は終ぞ見つからなかった。
思い浮かぶのは、最後に見たあの耐えるような笑顔。それが彼女との別れだなどと誰が思っただろうか。
父上と母上に報告すれば、母上が号泣した。あんなに溺愛していたのだ……無理もない。生まれる前に失った実の子と彼女を重ねていたのだろうことは、父上も俺もよく理解していた。だからこそかける言葉を見つけることができなかった。
俺自身も、彼女を失ったという事実を受け止めきれないままでいた。
いや、だがもう婚約破棄をするつもりでいた女だ。
今更、彼女に焦がれているようではディアナに申し訳が立たない。
そう思いながらディアナを見れば、彼女とよく似た顔で苦し気に微笑まれる。
それが辛くて……辛くて仕方なかった。
「母上は強いですね……、あんなことがあってもこうして公務にでることができるのですから」
「そうですね……、私は王妃ですからこういった時にも毅然と振舞うようにずっと教育を受けてきました。あの子にも辛い思いを多くさせてしまった……こんなことなら、もっと優しくあれるように教えればよかった」
「……え?」
彼女が亡くなって半年が過ぎる頃、母上との茶の席で何気ない会話をした際、俺は彼女の真実を知ることになった。
彼女はもとより人を使うことに慣れていなかった。その生まれが理由で、公爵にずっと虐待されていた彼女は自己意識がとても低く、それは卑屈と言ってもいいような有様だった。
いずれ俺と結婚して王太子妃となる彼女は、そのままいけば王妃となる存在である。虐待のせいであるとはいえ、そのままではいずれ王妃となった彼女のために、非常によくないとマリアンヌと相談した母上は、表面上だけでも強くあるようにと王太子妃教育で帝王学に一番力を入れたようだ。
「リゼット、王太子妃という仮面をかぶるのです。辛くとも、王太子妃としてあなたを望んだあの子の為でもあるのです」
母上のその言葉を彼女はそのまま受け取った。
あの天真爛漫で無垢だった少女は、俺のために王太子妃候補として仮面をかぶり、心を痛めながらも俺の隣を選んでいてくれたのだ。
勝手に裏切られたのだと思っていた。
でも裏切ったのは俺の方。
妖精のように美しい彼女を王太子妃にと望んだ自分が、全ての諸悪の根源だったのだ。
彼女に会いたかった。
会って、話して、許しを請いたかった。
もう二度と望めない願いを想いながら、俺は日々を重ねた。
せめて彼女の妹であるディアナだけは守りたい。そう思って……。
エゴだと分かっていたけれど、彼女によく似たディアナを守ることで彼女にせめてもの誠意を見せたかったのかもしれない。酷く愚かで見苦しい、ろくでもない人間の悪あがきだった。
婚約式の前日に、ディアナが話してくれたことは衝撃的だった。
けれど彼女を責める気にはなれなかった。
責められるべきは自分なのだ。あの日、彼女の全ての努力に気が付かず、その手を振り払った自分のせいで、ディアナ迄苦しんでいる。
苦しませたくなくてそう言えば、ディアナは「いいえ」と首を振る。
「殿下……私は姉が死ぬ原因を作った女です。けれど、姉に願われたのです。私はせめて、姉がマリアンヌに託してくれた気持ちに応えたい……。たとえ許されなくても、それが私にできる唯一の罪滅ぼしなのです」
あぁ、ディアナ。
君は高潔で美しい、彼女の素晴らしい妹だ。
お互いの中にあったのは、もはやすでに愛ではなかった。この感情を男女の愛という言葉で片づけるには重すぎる……もっと深い、どちらかというと長い戦場をこれから駆け抜ける戦友のような誓いにも似た何かだ。
彼女を失って1年後のその日、俺とディアナはより良き王と王妃を目指して、婚約式に臨んだ。
それは許されない罪を背負った、未来の背徳の王と王妃の誕生だった。
そして、それからほどなくして
彼女の死体が、予想もしないところから見つかった。




