彼女の視点 1
「リゼット、今夜限りで貴女との婚約はなかったことにしたい。貴女となんて婚約するんじゃなかった」
あぁ、終わってしまった。
10年来の婚約者であるクリス様が苦々しくそう言って視線を逸らしたのを見て、私はついにこの日が来てしまったのだと悟りました。
いえ、そもそも私がクリス様の……いえ、もう気安くクリス様とお呼びすることはできません。クリストフィア・リブ・ランフォールド王太子殿下の婚約者に選ばれるということ自体、奇跡のような話だったのです。この10年、殿下の婚約者としていることができて幸せだった。それだけは間違いなく正しく、それ故に殿下の婚約者としての私が、私にとっての全てでした。
だから、だからこそ、終わりを迎えたこの瞬間を美しく終わらせたいというのが私に残された、霞のような矜持でございます。
私は今日のために誂えた、とっておきのドレスのスカートに手を添えました。
リシェルが「お嬢様の白金の髪にとてもお似合いの深い青、本当に素敵なドレスでございます」と褒めてくれたシフォンのドレスは、とても柔らかくて……それ故に今の私にとってはとても頼りないものです。それでも、城下町一番のブティックが私のために誂えてくれたそのドレスが、一番美しく最も優雅に見えるように広げて、私は頭を殿下に下げます。
殿下の乳母であり王宮の筆頭女官だったマリアンヌが教えてくれた淑女の礼。いつか、王太子妃となった時に、殿下の隣でこの挨拶をしてくれることを楽しみにしているとマリアンヌは言ってくれたけれど、その願いを叶えることができないのがただひたすらに申し訳ありません。
マリアンヌが褒めてくれた最高の礼をして私は顔をあげました。殿下の御尊顔を見上げれば、何故だか泣きたくなってしまうのです。
濃い金色の髪に、サファイヤと見間違えるほどの美しい青い瞳。初めてお会いした時、あまりにも美しくて天使だと思ったこの方に、私は確かに救われました。
それは殿下の気まぐれだったのは分かっています。だからこそ、いつかこの方が心から愛する人が現れた時には潔く引こうと決めておりました。
故に殿下の前で泣いたりなんていたしません。
みっともない無様を晒して、私をここまで育ててくれたマリアンヌが、こんな私に仕えてくれたリシェルが、次期王太子妃としての私を守ってくださった騎士のフラン様を後悔させることだけはしたくありません。
「……殿下。今までありがとうございました」
そう呟いた声は少しかすれていたような気がする。けれどもきっと、笑えていたことでしょう。
殿下は少しだけ驚いたように目を見開いて、私を見つめておりました。
幾度となく私を見つめてくださった、美しいサファイヤの双眸。ですが、もう二度とその目が私を映すことはないのでしょう。
「今夜は、私は暇を頂きましょう。それでは殿下……ごきげんよう」
ドレスの裾を翻し、私は……あの方が目にする私が、最後まで高貴で美しい公爵令嬢であることを祈りながら、生徒会室を後にいたしました。
こうして、私の10年に及ぶ恋は終わりを告げたのでございます。
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