美冬のおめかし準備
「おい、いつまで寝てるんだ。起きろ、仕事に行くぞ。僕は時間が無いんだ」
学校に行く時よりも早く目が覚めてしまった僕は、朝一番で病室へ勝手に入った。
個室のベッドには美冬が大きく口を開けながらよだれを垂らしていびきをかいていた。
「…………これは女性としていいのか? うん、これがブサカワというものか? 僕には理解……できない」
「ふがっ……」
素敵な返事をありがとう。
僕は美冬の肩を大きく揺すった。
「起きろ、おい、起きろ!! お金が待っているぞ!!」
「――お金……お金……う、うーん、お金!! え、ええ!? なんでここにいるの!? ていうか顔近いよ!?」
うん、顔色は昨日よりも大分良くなっているね。薬飲んで栄養ぶち込んで寝てれば治るんだよね。
僕は寝ぼけてる美冬に向かって洋服を投げつけた。
「これに着替えて、化粧は……まあどうでもいいか。五分で準備してね。すぐ出かけるよ」
朝が強いのか、もうはっきりと目が覚めている美冬が目をぱちくりさせていた。
「……訳わかんないよ。親に怒られる……よ」
「ああ、そこら辺は安心して、どうにかする。それに、どうせ学校へ行ってないでしょ? アルバイトも若すぎるから制限があるし、今日一日でいいから僕に委ねてみない?」
美冬が大きくため息を吐いた。ただ、その目は何かに期待するような気持ちを忍ばせている。
口元がもぞもぞしていてハムスターみたいな娘だね。
彼女はしばし悩んでから僕に言った。
「……わかったよ。騙されたと思ってあなたに付き合うわ。……だ、だから少しだけ離れてくれない?」
僕の顔と美冬の顔は十センチの距離しか離れていなかった。
「おっと失敬。……僕の事は俊樹でいいよ。じゃあオモテで待ってるね」
僕は病室を出ることにした。
しばらくすると、後ろから叫び声が聞こえてきた。
「ちょ、ちょ、ちょっと!? 何この服!! え、可愛いけどさ……」
「ていうか今、六時じゃん!? 窓の外が薄暗いよ!!」
「……くぅ……お腹空いた。ご飯でるのかな? アルバイトって何するんだろう? やっぱり私の身体目当て……ロリコン? でも下心的な目じゃなかったし……」
僕は扉越しで美冬の声を聞く。目を閉じながら僕は美冬を待つ。
それは悪い時間ではなかった。無駄な時間のはずなのにね……
「俊樹さんおはようございます!」
「あ、駿河君だ! おはよー!」
僕は軽く手をあげて女性の看護師さんに挨拶をする。
美冬と僕が通り過ぎると、看護師さんがキャアキャア言っている声が聞こえる。
「……ねえ、あなた……俊樹君って何者なの?」
「うーん、ただのボンボンだよ。うん、それにしてもその服似合ってるね。久しぶりに実家に帰ったかいがあったよ」
美冬は顔を真っ赤にして下を向いてしまった。
それもそうだ。これは美冬が大好きなゴスロリブランドの服だ。高くて学生にはとても手が出ない。
美冬の家庭環境ではこれを買うなんて絶対ムリであっただろう。
「う、うう……ジャージしか着てない私には似合わないよ……」
「うん、まだ似合わないね。――だけど似合うようになればいいよ」
このあとは美容室へ行って髪を整えよう。そのあとは化粧をしてもらおう。それで午前中は潰れるかな?
――くぅぅぅぅぅぅ……
美冬のお腹から可愛らしい音が聞こえてきた。
「……う、うう、そうよ、お腹空いてるのよ! 悪い!?」
「ああ、一晩食べてないもんね。……美味しい中華粥のお店があるからまずはそこから行こうか!」
「え、まだ時間が早すぎじゃない?」
「大丈夫、大丈夫……」
とりとめのないやり取りをしながら美冬と歩いていたら、寝起きで不機嫌そうな先生とばったり出会った。
「おはようございます。色々ご迷惑かけてます」
先生の後ろにいる美冬を一瞥して、頭をポリポリかいた。
「はぁ〜〜、全くだ。私の立場も考えてくれよ? ……まあ良いけどさ。で、その娘と一緒に暮らすのか?」
後ろで『ぶふぉっ!?』っていう音が聞こえたけど無視。
「ええ、当面は住み込みですから。ふふ、ちょっと面白そうな娘だったんで」
先生は白い目で僕を見たけど、その目が段々と柔らかくなる。
「――ふっ。何かあったら私にすぐに言え。飛んで行って診察してやるぞ」
「ありがとうございます」
先生は仮眠室へ向かった。
僕はその後ろ姿を見送っていたら、突然先生は振り返った。
「おい、俊樹!! そう言えば、お前の親父が喜んでいたぞ!!」
ああ、僕が色々お願いしたことね。
「え、父さん嫌がっていたけど……」
「バカ! あいつはツンデレだ!! じゃあな!」
今度こそ先生は仮眠室へと向かって行った。
美冬はポツリと呟いた。
「……かっこいい」
その言葉を聞いたら、僕は自分の事のように誇らしくなった。そうだよ、先生は強くて優しくて、カッコいいんだ。
そうして、僕らは朝の静かな街に繰り出した。