特別な日
僕と美冬はジャスコーズの二階にある服飾売り場へと向かった。
美冬は歌い様に声を弾ませている。
「ゆっかた! ゆっかた! あるかなあるかな〜?」
季節外れの時期に浴衣なんて売っているのだろうか?
でも美冬が楽しそうだから構わないか。
僕はパジャマでもいいよ?
美冬の明るい声はだんだんと沈んで行く。
「うぅ……やっぱり売ってないよ。――あっ、店員さん!!」
美冬は持ち前の行動力で店員さんに突撃をする。
僕は後ろからゆっくりと歩く。
美冬は手振り身振りを交えながら店員さんに浴衣があるか確認をする。
店員さんも困っていた。
「時期が時期だからね〜、浴衣無いわよね。う〜ん、どうしましょ? あっ、マネージャー!」
店員さんはたまたま通りかかったマネージャーさんに声をかけた。
マネージャーさんは僕らを見て、店員さんから話を聞き始めた。
話を聞き終えたマネージャーさんは『ちょっと待ちな』と言ったっきり、バックヤードにこもってしまった。
店員さんは仕事に戻り、僕は美冬に浴衣は大丈夫だよって話している時に、マネージャーさんはバックヤードから戻ってきた。
その手には二着の浴衣が抱えられていた。
「おう、去年の在庫があったのを思い出してな。ほら、持ってけ。在庫処分だから値札はねえ。千円でいいぞ」
美冬は飛び跳ねるように喜んだ。
「わーい! 俊樹君、浴衣だよ! これで、温泉旅行雰囲気を味わえるよ!」
マネージャーさんは喜んでいる美冬を見てとても優しそうな顔をしていた。
僕は千円を渡して、マネージャーさんに頭を下げる。
「ありがとうございます」
「ふん、気にすんな。お客さんが喜んでいる姿を見るのが一番俺たちの励みになるんだよ! ほれ、若い奴らは遠慮すんじゃねえ!」
僕に浴衣を押し付けてマネージャーさんは奥に消えてしまった。
美冬は嬉しそうに僕に言った。
「あとは料理と入浴剤だね!」
「あ、ああ――」
ちょっと、待って? もしかして混浴?
美冬は反応が遅れた僕の事をからかってきた。
「あっ、俊樹君、なんかエッチな想像したでしょ〜。顔がだらしないよ!」
な、なに? ぼ、僕は至って冷静だ!
「み、美冬――」
「ほら、俊樹君! 遅くならないうちに買い物済ませて帰ろ!」
もう、仕方ないな。
僕は渋々と――だけど、ほんの少しだけ胸をときめかせて美冬の後を追った。
家の着くと、美冬は僕を部屋に押し込んだ。
「ちょっと本でも読んでて!」
何やら部屋の外からガタガタを音が聞こえてくる。
気になるけど、楽しみに取っておこう。
僕は美冬が鳴らす音を聞きながら静かに本を読んで待つことにした。
「へへ、お待たせ!」
僕は衝撃を受けてしまった。
部屋の外から声をかけられて扉を開くと、そこには浴衣姿の美冬が三指を付いて待っていた。
髪をアップにさせて、薄い浴衣が妙に色気を感じる。
いつも可愛いけど、いつもよりも数段綺麗な美冬がそこにいた。
僕は声を出す事が出来なかった。
美冬は固まっている僕を見て微笑んでいた。
「ふふ、浴衣似合ってる?」
こくこくと頷く僕はどうやら壊れてしまったようだ。
今すぐ抱きしめたい。そんな感情を押さえきれず僕は美冬を抱きしめようとした。
だが、美冬は僕を躱して、僕の背後に回る。
「駄目よ。まだ――」
美冬は僕の服をゆっくりと脱がして――
浴衣に着替えさせてくれた。
こ、これはどうしようも無く恥ずかしい――
美冬は楽しそうに歌いながら僕に浴衣を着せる。
「うわぁ、俊樹君、肌すべすべ。いいな〜」
「こ、こら、勝手に触るな!?」
「ひひひっ、はい、これで大丈夫だよ!」
浴衣に着替えさせられた僕は何かを失った気分であった――
美冬に手を引かれてリビングに行くと、そこにはいつもと違った風景が広がっていた。
ソファーやテーブルは隣の部屋に追いやられてて、ローテーブルにお客さん用のクッションが置いてある。
旅館を意識したのか、テーブルの上には色とりどりの和食が用意されてあった。
「へへっ、頑張ったんだ! 温泉旅館美冬へようこそ〜」
いつものリビングとほんの少し形が違うだけ。
そう、たったそれだけなのに、僕は違う空間にいるような錯覚に陥ってしまった。
「美冬、ありがとう」
「俊樹君は座ってて! ご飯よそって来るね! あっ、今日はテレビ付けちゃ駄目だよ! 旅行気分なんだから!」
「ああ――」
浴衣姿の美冬が僕のために動いてくれる。
僕はそんな美冬が可愛らしすぎて見てられなかった――
「ふぅ、お腹一杯!」
「ごちそう様、今日は特別美味しかったよ」
「へへっ、気合入れたからね! あっ、片付けしちゃうからゆっくりしててね!」
僕も立ち上がろうとしたけど、美冬に無理やり座らされてしまった。
仕方なく僕はリビングでゆっくりすることにした。
美冬の鼻歌が僕の耳に入ってくる。
とても心地よい。眠くなってしまう――
少しだけ横になろう。
僕は絨毯に寝そべってウトウトしていると、洗い物が終わった美冬がやってきた。
何故か手をワキワキさせている。
「ふふっ、お客さん、こってる所ありませんか?」
突然僕をコロンとうつ伏せにさせて、僕の上に乗ってきた。
腰に美冬の重みが感じられる!?
全部の体重はかけていないけど、しっかりと美冬の体温を感じられる。
「温泉旅館だったらマッサージはつき物でしょ? 俊樹君力を抜いて――」
美冬の手が僕の肩をもみ始めた。
優しく、いたわるように僕の身体をマッサージする美冬。
「俊樹君って結構筋肉質だよね? う、うぅ、恥ずかしくなってきた――」
でも止めないんだね――
部屋にはマッサージに寄って衣擦れる音と、美冬のリズミカルな呼吸音が響く。
なんだか本当に眠たくなってきた。
「ふう、結構疲れるね、これ。……よし!」
少しだけ眠ろう――
僕は背中全体で美冬のぬくもりを感じながらな眠りに落ちてしまった。
目を開けると僕の横には美冬がいた。
結局僕と一緒に横になっていた様だ。
僕に抱きついている美冬の目は開いていた。
「寝ちゃったね――」
「ううん、私は寝てないよ? 俊樹君の顔をずっと見ていたの――」
「どのくらい寝ちゃった?」
「うーん、二十分くらいかな?」
良かった。せっかく美冬が僕のために色々してくれたんだ。
僕が寝ちゃったら美冬は寂しがっちゃう。
「よし、起きるよ?」
「え〜、もう少しこのままがいいな――」
「駄目、美冬が隣にいるとまた寝ちゃうから」
「むぅ、じゃあ仕方ないね。俊樹君、お風呂入って来なよ! 温泉の素入れておいたから!」
そうだね。せっかくだから――
僕は寝乱れた着物を整えて立ち上がった。
「行ってらっしゃい!」
美冬に見送られながら僕はお風呂場へと向かった。
ちゃぽんっと水が跳ねる音とともに僕は浴槽に浸かる。
僕の足が全部伸びても届かない浴槽。温泉の素の匂いが浴室全体に広がる。
本当に旅行に来た気分だよ。
「ありがとう、美冬――」
僕は一人呟いた。
だが、浴室の外から返事が返ってきた!?
「私こそありがとう。俊樹君と一緒にいられて嬉しいもん」
衣擦れの音が聞こえる。
浴室の扉が開かれた。
そこにはタオルを身体に巻いた美冬が立っていた。
「うぅ、寒い寒い。俊樹君、当温泉旅館は身体を洗ってあげるサービスが付いていますよ!」
「み、美冬!?」
僕は流石に直視出来なくて、壁に向かって喋ってしまった。
美冬は僕を浴槽から引きずり出し、椅子に座らせた。
これはなんだ? とてつも無く恥ずかしいよ!?
「だ、大丈夫!? め、目はつぶっているから――」
美冬はスポンジにボディーソープを含ませ、ぎこちなく僕の背中を洗い始めた。
流石に美冬も恥ずかしいのか、本当に目をつぶっている。
しばらく背中を洗っていると、美冬はくしゃみをした。
僕は美冬に声をかける。
「美冬寒くないか? あとは自分で洗うから、その、タオルごとでいいから湯船に浸かったらどうだ?」
美冬はしばらく考えて小さく頷いた。
「うん、そうしよっかな。へへ、今日は寒いからね――」
美冬は「えいっ!」と言いながら湯船に飛び込んだ。
「ふぅ、気持ち良い――幸せだよ〜、もっと早く一緒にお風呂入ってればよかったね!」
「こ、こら! そ、それは恥ずかしいだろ?」
「うん、恥ずかしいけど、私は俊樹君になら見られても大丈夫だよ?」
僕の胸がドキンと跳ね上がる。僕はそれを抑えるようにシャワーで身体の泡を洗い流した。
「ねえ、俊樹君も一緒に入ろ! えいっ!」
「み、美冬!?」
立ち上がった美冬に手を引かれ、僕は浴槽に静かに入る。
美冬は僕によりかかるようにして、浴槽へ入った。
「あ、あれ? お、思ってたよりも恥ずかしい――かも」
僕は美冬を少し懲らしめようと思った。
美冬の耳元で僕はささやく。
「美冬、僕のためにありがとう――」
「ひゃん!?」
美冬は大人しくなってしまった。
緩やかな時間が訪れる。
本当に特別な日。
ちょっと変えただけで、特別な日に変える事ができるんだ。
僕は美冬の濡れた髪を撫でながら呟いた。
「美冬は凄いな――」
「そ、そんな事――」
美冬が後ろを振り向いた瞬間、僕は美冬にキスをした。
キスが終わると、美冬は呟く。
「の、のぼせちゃうよ――、俊樹君、私さっき寝てる時、シャワー浴びたから、先でるね!」
美冬は逃げるように浴室から出ていく。
僕も美冬が触れた箇所が熱くなっているのを感じた。
――ぼ、僕ものぼせちゃう。
僕も遅れて浴室から出ることにした。
身体を拭いて浴衣に再び着替えた僕は、洗面所で美冬の髪を乾かした。
そして、二人で一緒に歯磨きをする。
それが当たり前でずっと昔から続けていたような錯覚に陥る。
美冬が髪を乾かしてくれるかと思ったら、自分でやって欲しいと言われて先にリビングに行ってしまった。ちょっと寂しいけど、仕方ない。
僕は自分で髪を乾かす事にした。
リビングに戻ると――なぜか布団が敷いてあった!?
な、何故? いや、確かに布団は予備であったけどさ。
僕より先にお風呂を出た理由はこれ?
ちょっと頭が追いつかない!?
二枚の布団は隙間無く並べられている。
枕はきっちり二つだ。当たり前だ。僕は何を言ってるんだ?
部屋にはお香が焚かれていた。
美冬は布団の上で正座をしている。
僕に気がつくと、立ち上がって部屋の電気を薄暗くした。
僕の所までトコトコと近づく。
「俊樹君、当館の女将が――ふえ!?」
僕は美冬を抱きしめた。
「はぁ、僕だって男だよ。美冬、勇気を出してくれてありがとう」
美冬は僕の胸の中にうずくまる。
優しく髪を撫でた。
「美冬、愛してる――」
「俊樹君――きゃっ!?」
僕は右手を懸命に動かしてみた。
大丈夫――少しだけ動いた!?
美冬の足に右手を差し込んで、左手で身体を支える。
肩の力で右手を無理やり固定する。
ひどく不格好だけどお姫様抱っこになった――
美冬は驚いていたけど、嬉しそうであった。
ほんの数歩の距離が長く感じられる。
僕は美冬をそっと布団の上に降ろし――
――いつもと同じ二人っきりの夜だけど、いつもと違う二人っきりの夜を過ごした。




