独身貴族の伊織先生
僕と美冬はゆっくりとした午前の時間を過ごした。
決していちゃいちゃしていただけではない……。
二人でゲームをしたり、掃除をしたり、映画を見たり……。ああ、もちろん僕らはベタベタひっついて過ごしていたよ。
だっていいでしょ?
――僕らは恋をしてるんだから。
僕らは午後になると、病院に向かう準備をして家を出ることにした。
病院までの道のりは歩いて二十分くらい。
散歩するには丁度良い距離であった。
どちらからとも無く僕らは手を繋ぐ。
美冬は午前中の恥ずかしさから脱却したのか、いつもよりも明るい声で僕に喋りかける。
「ねえ俊樹君、修学旅行はどうするの? 来週だよね? ――きっとクラスの友達も俊樹君が来れると思って楽しみにしてるよ」
――修学旅行か、確か京都に二泊三日だったはずだ。
「……もしも、僕が旅行先で倒れたら? ――僕は美冬に会えなくなる」
「うん……そうだよね。それに無理して悪化したら……」
――大丈夫。僕はまだ大丈夫。美冬と離れるのが寂しいだけだよ。
美冬は眉をハの字にさせて悩んでいた。
「う〜ん、私も修学旅行に行ければ……」
「美冬が行くなら僕も行く」
「え!? だ、だって私一年生だよ? しかも来週から学校休んじゃうし……。そんな事できるの?」
「大丈夫、ちゃんと夜はお家で二人で勉強する時間を取ってあるから」
「べ、勉強は嫌いじゃないからいいけど、そ、そんな特別扱いされたら私……」
「――だって美冬は特別だから。ちゃんと、正規な手段で、切り口で学校を納得させてみるよ」
「うぅ……なんか不安だな」
――美冬のためだったら僕は全力を尽くすよ?
それにしても美冬は真剣な顔の時と、ギャップが凄く激しいね。
うん、ちょっと困った顔もハムスターみたいで可愛いよ。
僕は美冬を抱き寄せた。
「わわぁ!?」
「――大丈夫、僕らだけ一日目で帰るよ。そうすればクラスメイトたちとの思い出もできる」
「俊樹君――」
「うん、その後、父さんの経営してる温泉旅館でゆっくりしてから帰るのもいいかもね」
美冬は口をわなわなとさせていた。
「お、お泊り……俊樹君と二人で……お、大人の階段!?」
「ははっ、安心して、僕は美冬の嫌がる事はしないよ」
美冬は何故か再び眉をハの字にしてしまう。
「……意気地なし」
「え、なんだって?」
「何でもないです! ほら、病院見えてきたよ! あっ、先生が入り口で待ってるよ!!」
美冬は僕から手を離して、伊織先生の元まで走り出した。
僕は一人愚痴る。
「ふぅ……だって、美冬は僕の初恋なんだから……どうしていいかわからないんだよ」
僕はじゃれ合う二人を見ながらゆっくりと歩いた。
伊織先生は相変わらずスレンダーで女優さんみたいに綺麗であった。
若干、目尻に小じわが出来てるけど見ないふりをする。
先生はまるで自分の息子を迎えるような雰囲気で僕に声をかけた。
「――俊樹君。ははっ、君は良い顔をするようになったな。先生は嬉しいよ」
僕の頭を撫でる先生は心底嬉しそうであった。
「ええ、お陰様で」
僕は先生の手を振り払う。
「なんだ、相変わらずだな? 親父さんから聞いたぞ? ――この子に惚れたってな? あれか、一目惚れか?」
美冬は恥ずかしそうにモジモジしていた。
「先生……中年親父みたいですよ。ほら、僕の事診るんでしょ? 早く行きましょう」
僕は美冬の手を取って歩き出した。
先生は慌てて僕らを追いかける。
「あっ、こら待て! 全く……若い二人を祝福してるんだから! 先生は独身で寂しいんだぞ!」
――こんなにも僕らを優しい瞳で見つめて、こんなにも僕らを包み込んでくれる包容力があり、こんなにも素敵な先生が何で独身なんだ?
世界は間違っているのだろうか?
……もしかして……。
僕は先生にいきなり話を振ってみた。
「先生、もしかして親父の事が好きだったとか?」
いつも何があっても顔色を変えない先生が、真っ赤に茹で上がってしまった。
その表情はまるで思春期の女学生のようであり、とても可愛らしかった。
「な、なんでそれを!! あ、いや、ち、違う!? あ、あいつは腐れ縁であって……」
美冬も興味心身で先生に質問をする。
「はいはい! 付き合ってたんですか? それとも片思いですか! も、もしかして……今でも……」
先生は美冬の頭を軽く小突く。全然痛く無さそうな拳は猫みたいだった。
「こら、俊樹君と付き合ったからって調子に乗るな! ……先生の事はいいだろ? 今はお前たちの事だ! なんだ、もうキッスはしたのか?」
美冬はキスという言葉に動揺してしまう。
「せ、せ、先生!? そ、そんな事は……」
「なんだ? まだなのか? うりうり〜白状しちまえよ」
――仕方ないな。
僕は先生とじゃれ合っている美冬に近づく。
そして、真っ白で柔らかそうなほっぺたに僕はキスをした。
「〜〜〜〜!?」
美冬は声を無くしてしまった。
嬉しさと……恥ずかしさで先生の後ろに隠れてしまった。
僕は先生に言い放つ。
「先生――僕らはラブラブです」
先生は一瞬呆けた顔をして、すぐに大笑いをする。
「あははっ!! ひひっ……、と、俊樹君が……まさか、そんな事言うなんて……こりゃ嵐が起こるよ」
――な、なんでだ? ぼ、僕は変な事言ったのか?
美冬も先生の後ろで笑っている。
周りからクスクスと笑い声が聞こえる。
看護師さん達が僕らを温かい目で見つめて笑い合っていた。
「ひひっ……と、俊樹君……キャラ変わりすぎ、何かもう……昔のあいつみたいだよ……」
先生は僕の肩に手を置く。
そして笑うのを止めて、真剣な顔で僕に言った。
その目は僕を通して……親父を見てるのかも知れない。
感じるのは愛情。それは深い深い愛情。
先生は軽く息を吐く。
「はぁ……。あいつよりいい男だよ、俊樹君は」
先生の腕の力が強くなる。
目が潤んでいた。
発する声は……僕の心の奥底まで響く。
「――私が絶対治す」
「……本当は絶対なんて言葉使っちゃいけないんだけどな。私に命を預けてくれ」
いつの間にか僕の隣には美冬が寄り添っていた。
美冬は先生に向かって頭を下げていた。
僕も自然と頭を下げて先生にお願いをしていた。
「――先生……、僕を、僕を!! 助けて下さい!!! どんな痛みにも耐えます。どんな苦しみでも乗り越えます!! ――美冬と、美冬と……春を、夏を、秋を乗り越えて、もう一度冬を見たいです!!!」
先生は頭を下げた僕の顔を両手で挟んで持ち上げた。
それはとてもブサイクに見えるだろう……。
「ぶはっ!? せ、先生?」
先生は僕の頭をくしゃくしゃにして、とてもカッコいい笑顔で言い放った。
「――馬鹿野郎、昔惚れた男の息子だ。――私に任せろ」
そして先生は力強く僕を抱き締めた。




