歩き始める
「それじゃ、行って来るね! あ、終わったら連絡するね!」
「ああ、ちゃんとスマホ使いこなせるか?」
「ふふ、任せて!」
嬉しそうにスマホを僕に見せびらかして、美冬は玄関を出ていった。
「ふぅ……行くか」
僕も遅れて家を出ることにした。
僕は病院の待合室でぼーっと時間を潰す。
美冬は僕が通っていた学校に面談と簡単な試験を受けている間、僕は美冬に内緒で病院へ来ていた。
……美冬には僕の病気の事は言っていない。この生活を終えるとき、僕は静かに去ろうと思っている。
果たして僕の行動は間違っているのだろうか?
間違っているだろう。これから死ぬ人間が誰かと仲良くなるなんて……。
いや、これは僕の気まぐれ。罪深い事だと理解している。
だけど、僕は……自分の感情を知りたかった。僕の自分勝手な行動で美冬を親から引き離して、借金を勝手に清算して、彼女に自由を与えた事に後悔はしていない。
僕は初めて美冬を見た時を忘れらなれない。
あの光景がいつまでも胸にこびりついていた。
……この先、美冬はカフェで就職してもいいし、学校で勉強して好きな仕事に就いてもいいし。
「……はぁ……学校か」
一人ため息を吐いていたら、後ろから肩を叩かれた。
「珍しいな、君が悩んでいるなんて。君は親父さんに似て、いつでも完璧人間だと思っていたぞ?」
振り返ると伊織先生が不敵な笑みで僕を迎えてくれた。
白衣のポッケに手を突っ込んで、父さんと同い年には見えない美貌の女医さん。
「悩んでなんかいませんよ。……今日は定期検査ですよね?」
先生は顎をさする。
しばし考え込むと、僕の手を取った。
「ふむ、とりあえず中庭に行こうか? 検査はその後にやればいい。ほら、来い」
「ちょっと、先生!? は、恥ずかしいですよ」
周りの目を気にせず僕の手を引く先生。
看護師さんや、周囲の患者さん達はそれを温かい目でみていた。
「ははっ! 君はあいつの子供だろ? という事は私の子供みたいなものだ!」
「無茶苦茶だ……」
だけど、僕はその手の力に身を任せて、先生に導かれるまま中庭へと移動した。
「ふぅ~~!! やっぱり外は気持ちいいな! ほれ、これでも飲め」
先生は僕に缶ジュースを渡してベンチに座り始めた。
「ほれ、ここに座れ。時間は有限だ、早くしろ」
僕はしぶしぶと隣に座った。
先生は満足そうにして、自分の缶コーヒーを飲み始めた。
一息ついて、僕の方を見ずにしゃべり始める。
「……美冬ちゃんだっけ? 元気にしてる?」
「ええ、元気すぎて手を焼いています」
先生は僕の顔を見て微笑を浮かべた。
「そうか……。何だか君も元気になってきたんじゃないか? なんなら手術してみる?」
「手術しても……どうせ助かりません」
「……そうだな。手術しても延命するだけだ。……けどな、君が少しでも長く生きて欲しいと思っている人間は山ほどいるんだぞ? 理解しているのか?」
そんな人はいない。
僕は友達もいない、家族からは疎まれていた。そんな僕の事を……
先生は無言の僕を見とがめた。
「美冬ちゃんは?」
その言葉が胸に突き刺さった。
ひどく胸が痛い。刺さるような痛みが身体の奥から感じる。
これは……なんだ?
苦しいのか?
「……彼女と僕はただの知り合いです……。もしも僕が居なくなっても、彼女の生活の基盤は出来ています」
先生はため息を吐いた。
「はぁ、分かってないな君は。あの子にとってどれだけ君が救いになったか? ただの気まぐれかもしれないけど、あの子の人生を救った王子様だよ? 君は」
「でも」
「それに、君はみんなから愛されている。君は現実を見てないだけだ」
「現実を見てない……」
そんな事はない。僕はいつも現実を見つめて行動している。
習い事でも、学校でも、事業でも、現実的に行動して理論と数字で結果を出した。
そこに感情が入る余地は無い。
僕はそんな事を言ってくる先生に対して、腹が立ってきた。
――腹が立つ? 僕が? 図星を突かれたから? そもそもそんな感情……
僕は戸惑いながらつぶやいていた。
「先生、よく……分かりません」
「ああ、人生そんなもんだ。ただ言えるのが、もっと周りを見てみろ? 他者が君をどう思っているか? 君は一人なんかじゃない。……残される人間の事を少しだけ考えてみろ」
――残される人間。
真っ先に思い浮かんだのは……美冬だった。
まだ出会って十日ほどしか経っていないのに?
次に家族を思い浮かべてしまった。
家族にとって、僕はただの駒だったはず……
未来の事も頭の片隅にこびりつく。
思い出す必要もない……はず。
本当にそうなのか?
……今までの人生を思い出せ。
「おし、そろそろ行くか! ほら、行くぞ」
「……はい」
立ち上がる先生の後を追うように、僕も立ち上がる。
先に行く先生の背中を見ながら考えてしまった。
僕は周りをちゃんと見ていたのか?
自分のいい様に捉えていただけだったのか?
……ふぅ、少しは大人になったと思っていたけど、実は僕はまだ子供だったのか?
――残される人。
その言葉が僕の胸にひどく重くのしかかった。
************
検診も終わり、僕は自由時間となった。
美冬はきっとまだ終わっていないはずだ。
「……僕の周り……か」
そんな事は無いと思うけど……僕は周りを見ていなかったのか?
未来の顔をちゃんと見ながら話したことあるか?
話しかけて来た同級生とちゃんと会話したか?
家族と向き合った事があるか?
僕はスマホで時間をチェックして、目を閉じた。
――あと、二十日間。
その前に死ぬかもしれない。もしかしたらもっと生きられるかも知れない。
先生が言ったように、僕は何も見ていなかったのかも知れない。
だったら、
「見るよ」
僕は目を開けて、前を向いて歩き始めた。




