あれから……
あれから十二年……
その間にも、いろいろ……本当にいろいろありました。
そして結論から申し上げますと、
『出逢って九年で彼を私の夫にする』
という当初の目標は、達成できませんでした。
というのも、彼が、
「今の僕じゃ、美嘉姉とは釣り合いが取れないよ。だから僕が美嘉姉に相応しい相手になれるまで、待って欲しい」
などと言い出したからです。
その上、大学卒業と同時に、難民支援のボランティアとして、海外に旅立つとまで……
「ねえ、大希。お願いだから思い直して。あなたまでそんな危険なことをする必要はないのよ」
彼が難民キャンプに向けて出発するという日の前日、私は、急遽、予定を繰り上げて彼の部屋を訪れて懇願したのです。
この時、私達は、結婚を前提に<お付き合い>をさせていただいていました。彼の部屋の合鍵も持っています。
けれど、彼は、私の肩にそっと手を置いて、真っ直ぐに見詰めながら言いました。
「美嘉姉が、僕が子供の頃に言ったことを実現しようと頑張ってるのに、それを言った僕が安穏とはしてられないよ。それにもう決めたことなんだ。僕の性格、美嘉姉も知ってるでしょ? だから何を言っても無駄だよ」
悪戯っぽく笑いながら……けれど彼の言葉は非常に強固な意志が込められたものでした。そう言われると、私は何も言い返せませんでした。
彼は続けます。
「それにさ、危険なのは美嘉姉だって同じだろ? 危険なところに直接出向いてまで活動してるんだから。美嘉姉だけに危ないことをさせられない。同じリスクを僕も負うべきなんだ」
彼の言うとおりでした。私も今、発展途上国などの社会インフラを整備する事業を立ち上げ、その陣頭指揮のために政情不安な国へも実際に出向くこともあります。もちろん、徹底した安全対策は図った上でですが。
先週まで訪れていた国もそういうものの一つでした。
けれど―――――
けれど、私の感情は理屈では納得してくれません。私の本質は自分勝手で我儘なのです。イチコと出逢ったばかりの頃から何も変わっていない。
人間の本質は変わらないということを思い知ります。
「でもでも、あなたはまだ二十二なんだよ!? 楽しいことだっていくらでもあるでしょ!? なのにどうして……!」
感情に任せて迸った言葉は、そこで留められてしまいました。彼に抱き締められて、唇を塞がれてしまったから……
彼の唇で……
『大希…大希……!』
重ねられた唇を、私は貪るように求めてしまいます。こんなことをされたらもう我慢ができませんでした。
昔はあんなに小さかったのに……あんなに可愛らしい男の子だったのに……ハイヒールを履けば今でも自分の方が背が高くなるのに、いつの間にかほんの少しだけど私よりも背が高くなった彼の首に腕を回して、舌で彼の舌を搦めとります。
これまでにも何度か唇は重ねたけれど、ここまで激しいのは初めてでした。それも、自分からなんて。
でももう自分が抑えられなかったのです。
『結婚してから』ということにはしていましたけど、そんなの、本当はどうでもよかった。彼が十八になったときに無理やりにでもと本心では思ってもいました。それを何とかこれまで抑えてきたのです。世間に<出来婚>だなどと言わせないために。
でも、もういい。どうでもいい。どんな結果になろうとも受け止めます……!
「大希…! 私の言うことを聞けないような悪いコは、お仕置きが必要よね……!」
彼をベッドに押し倒した私の口からは、それまで決して口にしたことのない言葉が漏れていたのでした……
「……美嘉姉が本格的に今の活動を始めたのは、二十一の時からだよね……
僕はそれより一年も遅れてる……
それでも早いって言うの? 自分は危険を冒してるのに、僕には安全なところで美嘉姉が帰ってくるのを待ってろって言うの? そういうの、僕が大人しく従うとでも思ってたの?
だったら美嘉姉は、僕のことを分かってなさ過ぎだよ……」
湧き上がる激情に身を任せた一時が過ぎ、彼のベッドで彼に抱き締められながら、私は囁くように話すその言葉に耳を傾けていました。
そんな私の目から涙が溢れます。
彼の言うことは分かります。分かりすぎるくらいに。
だけど辛かったのです。苦しかったのです。彼のやろうとしてることがどれほど危険か、私自身、実際にそういうところも見てきたからこそ分かるからこそ。
それでも私は彼の言葉を実現する為にその危険を敢えて冒してきました。
『ピカお姉ちゃんが世界を救うところを見てみたい!』
彼が、小学校の五年生、私のことをまだ『ピカちゃん』と呼んでいた頃に言った言葉……
それに応えられる自分でありたいと思えばこそ、今日まで頑張ってきました。己の持つ力を振り絞ってきました。
そして今度は、彼自身が、自らが発した言葉に責任を持ちたいと言う。
そうです。そういう彼だからこそ、自らが発した言葉に責任を持つことができる彼だからこそ、私は彼に惹かれ続けたのです。こうなることは十分に予測できた筈でした……予測できたはずなのに、私は無意識のうちにそれを考えることを避けてしまっていたのでしょう……
彼が決意を固める前に対処しなかった私の落ち度なのかもしれません……
だから……
「…分かった……もう止めない。でも、約束して…! 必ず無事で帰ってくるって……!」
私はもう、それしか言うことができませんでした。
そんな私に、彼は、初めて出逢った頃と変わらない穏やかな笑顔で……
「うん、分かった。約束するよ。無理はしない。ちゃんと最低限の安全は確認する。無謀と勇気をはき違えない」
そう言って、彼は飛び立って行ったのです。
なのに、<神>や<仏>と呼ばれるものは、どうしてあんなに残酷なのでしょう……




