虚偽の事実
『あの変態が痴漢とかしなければ怪我もしなかったんじゃん!!』
フミの言ったことも確かに道理です。ですが、それが通るのであれば、玲那さんは有罪判決を受けていないでしょう。僅か十歳で売春を強要され、何人もの人間が玲那さんを買いました。その事実がありながらも、彼女を地獄の苦しみに貶めた実の父親を包丁で刺した罪は罪として、咎められたのです。
<私刑>を認めていては、社会秩序は成り立ちません。個々人が勝手に罪状と刑罰を決めてそれを当てはめていては、何でもやりたい放題になってしまいます。そこに秩序は存在しないのです。
カナには、それが分かっているのです。だから言います。
「フミ……フミがそんな風に言ってくれるのはすごく嬉しい。私のことを想ってくれてるんだって実感するよ。
でもさ、ここで私が『自分は悪くない!』って言ったら、玲那さんはどうなるのさ? 玲那さんでも有罪判決が下るんだよ? しかも玲那さん本人がそれを受け入れたんだよ? それに比べれば私が受けるかもしれない罰なんて、それこそ屁みたいなものじゃん」
その上で、
「それにさ、フミ。冷静に考えてほしいんだ。
あの時、私は痴漢だってことをちゃんと確認してからやったんじゃないんだ。『フミが痴漢されてる』って思っちゃったから勝手に体が動いただけなんだ。
だからさ、あれがもし、本当は痴漢じゃなかったとしたら? 私が痴漢だと思い込んだだけで、別に犯罪でもなんでもなかったら? だとしたら、私にそんな誤解をさせた人は、私に飛び蹴り食らわされて頭を打って血まみれにならなきゃいけないほどのことをしたのかな?」
とも問い掛けます。カナの問い掛けに、フミはハッと顔を上げました。
「そ、それは……
…でも、でも痴漢だったじゃない! 痴漢だったんだよ! 私、体に触られたんだから!! 胸とか、お尻とか……!!」
声を荒げるフミを穏やかに見詰めながら、カナはさらに問い掛けたのです。
「だけど、フミがそう言っただけで痴漢確定だったら、本当は痴漢じゃなかった場合だって痴漢ってことにできちゃうだろ?」
「…あ……」
カナの言うとおりでした。<痴漢冤罪>が問題になるとおり、一方の主張だけで事実が確定してしまうのは大変に危険なのです。
もちろん、フミがそのような嘘を吐くとは思っていません。ですが世の中には、虚偽の事実を申告して無実の人を痴漢に仕立て上げてしまうという<犯罪>も、現に存在しているのです。
だからこそ、罪を問う時にはそれを裏付ける<証拠>が求められ、時間を掛けて、嫌疑が紛れもない事実であるかどうかを審議する必要があるのです。




