拡大解釈
その後、カナの件は結局、これといって動きもありませんでした。フミに対しては、痴漢被害に対する事情聴取はあったものの、カナについてはまったく音沙汰もありません。
油断はできないにせよ、現時点では痴漢の容疑者がカナを訴えるということもないようです。それについては、容疑者の弁護士から、私がカナにつけた弁護士に対して、非公式に接触があり、カナの暴行については告訴しない代わりに、痴漢被害についても厳罰を求めないでほしいという、ある種の<取引>が求められたとも。
正直申し上げて『なんと恥知らずな!』と思わなくもありませんが、フミの意向としては、
「カナが訴えられたりしないんなら別にそれでいいよ」
とのことでしたので、業腹ではあるものの、痴漢被害の件について後は検察の判断のみに任せることにしました。
こういうことがあると犯罪加害者に対して私刑を加えようとなさる方々の気持ちも分かるような気はしてしまうのですが、犯罪の多くはそれを肯定し拡大解釈する形で行われるのも事実ですので、自らを抑えなければと意識します。
特に<イジメ>などについては、<被害者側の行いに対する私刑>という形で発生することが多いでしょう。よく言われる、
『イジメられる側にも原因がある』
というのはまさにそれを表していると思うのです。
ですが、<私刑>は紛れもない不法行為です。犯罪です。それを、玲那さんが受けた有罪判決は物語っているのです。
どれほど『イジメられる側にも原因がある』などと詭弁を弄しても、犯罪行為については正当化されません。
今回のカナの件については、怪我をした容疑者側が告訴に踏み切らなければそれ以上は追及されないというだけで、カナの行為そのものが正当なものであると認められたわけではないのは肝に銘じなければならないでしょう。
それを、カナ自身も理解しています。
これを理解していなければ、海に行った時に、
『犯人の妹』
と揶揄された件についても正当な行為であると拡大解釈されることさえ認めなければならなくなるでしょうし。
『他人の不法行為は許さないが、自身の不法行為については許されるべき』
などというのは通らないのです。
その点、玲那さんは自身の罪を認め、潔く裁きを受けられました。それについて私は素直に敬服します。
私達が玲那さんを支えようと思うのは、彼女のしたことを正当化しているからではありません。罪は罪として認めた上で、それを悔い自らの人生を生き直そうとしていることに対して力になりたいと思っているだけなのです。




