暴言
私は今、とても幸せです。ヒロ坊くんとの関係はまだまだですが、彼は現在、小学五年生。焦る必要はまったくありません。彼が私のことを家族同然に思ってくださっているのでしたら、それでいいのです。
ですが、世の中には何故か自ら不幸になろうとするかのような人もいらっしゃいます。
『暴言を吐くのも自由だろ!』
とか言って他人を不愉快にさせ、不評を買い、結果として他人から疎まれるのです。
そういう方は、同じものを<敵>として暴言を吐いている時には共感を集めても、また別のものを前にした時には、共感を寄せてくれた方から責められたりするということもあるというのを理解してないのでしょうね。
しかも、他人には暴言を吐くにも拘らず、自分にそれが向けられると途端に被害者ぶるのです。
<批判>は仕方ありません。意見が食い違うことは当たり前にあることなので。ですが、<暴言>は違います。暴言はただの<暴力>です。暴力を<自由>という言葉で正当化しようとする方を信頼などできません。
暴力さえ自由だなどと、よくそのようなことが言えるものだとある意味では感心しますね。
その方は、かつての私から見ても非常に先鋭的な方でした。
他人を攻撃することこそが自らの存在意義であると言わんばかりに攻撃的で、あらゆる事象を他者への攻撃材料にしようと思ってらっしゃるようでした。
まさに、
『暴言を吐くのも自由!』
だと思ってらっしゃるようなのです。
その方、<館雀>さんは。
「え? なにそれ手紙? 今時、靴箱に手紙入れるのっているんだ?」
部活を終えて帰宅しようとした時、自身の靴箱に入っていたものを手に取ったイチコが不思議そうにそれを眺めていると、カナが声を上げたのです。
「ひょっとしてラブレター? 古風な」
フミも驚いた風にそう声を上げましたが、私としては、
「悪戯の可能性もありますが、どうしますか? よろしければ私の方で預かって探偵社に背景の調査を」
と申し出させていただきました。するとカナが、
「って、それはいくらなんでも大袈裟だろ!」
などとツッコんできます。ただ、確かに冗談半分ではあったものの、いろいろな事件も起こる昨今、用心にこしたことはないと思うのも事実なのです。
「いずれにせよ、中身を見てみないと」
フミの言葉にも、
「いえ、いきなり開封するのは危険です。テロの可能性もありますし」
そう返させていただきます。
私は、基本的に、不審な状況に対しては油断はしません。私達のこのあたたかい関係に水を差すような者がいればそれを見逃すつもりもないのです。しかしそんな私に、
「だから誰がなんでイチコを狙うんだって!?」
カナのツッコミは止まらなかったのでした。




