生涯勝ち続けることが
この世に対して色々と思うところはありますが、それでも私達はきっと幸せなのだと思います。なぜなら、そうなるように努力しているからです。
他人を攻撃していては、幸せにはなれないでしょう。
金銭的、物質的に豊かになるのは、攻撃的であっても可能でしょう。むしろ、他人を出し抜き、パイを奪うには攻撃的な方が適しているかもしれません。
ですが、他人を出し抜き、奪うということは、自らも出し抜かれ奪われる覚悟が必要でしょう。出し抜かれて奪われた方はその相手を恨むでしょう。憎むでしょう。そしてそれはやがて、形を変えて自らに返ってくる。
人は、永久不変ではありません。そして人が持つ<力>も、いつかは衰え、失われていくでしょう。
他人を出し抜き、パイを奪い取るのに必要な<力>も、やがては他の人が上回る時が来ます。その時、恨みを買っていたら、狙われるのではないですか?
この時とばかりに。
もちろん、生涯にわたってその力を持ち続けられる方も中にはいるでしょう。最後まで衰えることなく君臨し続けることができる方もいらっしゃるとは思います。
ですが、そのような方は、人口一万人当たり、何人いらっしゃるのでしょうか?
『自分は生涯勝ち続けることができる』
と豪語なさる方のうちの何割がそれを実現できるのでしょう?
財産を狙われ、他人を信じることもできず、そして結局は自身が手に入れてきたものを奪われたとしたら、果たしてそれは幸せな最後なのでしょうか?
それでも『幸せだ』とおっしゃる方もいらっしゃるのでしょうが、当人が幸せだと感じてらっしゃるのでしたら私がとやかく言うことではないのでしょうが、残念ながら私自身はそれを幸せと感じることはできません。
生涯、他人を出し抜き、奪い、踏みにじり続けることができる<例外>に、私はきっとなれないでしょうから。
そのような生き方をすれば、きっとどこかで敗れ、すべてを失うことになるという予感があります。
現に私は、一度、敗れているのです。
御手洗さんに。
カッターナイフを手にした彼女を前に、私はまったく成す術がありませんでした。
私が無事だったのは、ただただカナとイチコのおかげです。私の力ではありません。
僅か数百円のカッターナイフが私のすべてを破壊し、奪い去るところでした。
それが現実なのです。
私はそれを思い知ったのです。
けれど今はもう、あの時と同じ失敗はしません。
する必要がないのですから。
翌日。別荘で過ごす最後の日。私達は、精一杯満喫しました。朝から露天風呂に入り、きゃあきゃあとはしゃぐ千早やカナの楽しげな様子に、私はとても心が満たされていたのです。




