分かんないけど面白い
「うお~っ! すっげえ~っ!!」
千早の興奮した声が、リビングにまで届いてきます。
見ると、アンナが、手にした道具で独楽やヤジロベエを作ってみせていました。しかも、千早達の目の前で、ついついと手慣れた様子で。
ただのドングリだったそれが見る間に<玩具>に代わる光景に、千早だけでなく、ヒロ坊くんも、沙奈子さんも、イチコも、カナも、フミも、玲那さんさえもが驚きを隠せないという表情で見入っています。
そう。これが、当別荘のサービスの一つなのです。アンナの見事な<技>に、お子様だけでなく大人の方さえ歓声を上げることもあったのでした。
こういう、『他愛ない』と言ってしまえば確かに他愛ない素朴な遊びが喜ばれるのは事実です。きっと、今では日常的には見られなくなったことだからでしょうね。
もちろん、お子様全員が楽しんでくださるわけではなく、まるで関心を示さず、ゲームに没頭されることも多いのですが。
しかしそんな時にも、アンナは決して動揺しません。『そういうもの』として理解しているからでしょう。自身の思い通りになるのが当然だとは考えないのです。
私の父方の祖父も、豪放磊落で自由奔放な方だったそうです。
身勝手なようでいて、反面、他人が自分の思い通りにならないことを責めたりもしなかったと父は言います。
もっとも、父はその反動か、非常に生真面目な人になったとも。
それでも、私に対して声を荒げたりすることもなかったのは、祖父に倣ったのかもしれません。
そんな祖父や父を持ちながら、他人を思うままに操り、自分の望み通りにならなければ感情を昂らせてしまうような人間に私がなってしまったことは、今では本当に恥ずかしい……
ただ、こうして考えを改めることができるのも、父や祖父の影響があってのことかもしれませんが。
そうこうしているうちに、たくさんのドングリを拾い集めた千早達がリビングに戻ってきました。そしてアンナが次々と加工し、様々な形の独楽などが出来上がっていく様子を、目をキラキラと輝かせて見ています。
さらには、アンナの真似をして、千早達もドングリで独楽やヤジロベエを作り始めました。
大人である玲那さんまで夢中になって。
すると、ただ独楽を作るだけでは飽き足らなくなったのか、千早が、ドリルで穴を開けたドングリに竹ひごを差し、そこにさらに別のドングリを差すという形で、連結させ始めたのです。
「それは何ですか? 千早」
問い掛ける私に、
「分かんない! 分かんないけど面白い!」
と応える千早の手には、すでにラグビーボールのような形と大きさになった、<ドングリの集合体>があったのでした。




