『当たり前』とは
信頼さえされていれば子供に言うことを聞いてもらうのは何も難しくないことを、私は千早から教わりました。
私に対して不信感を見せている時には彼女は反発し、逆に安堵している時にはとても素直に従ってくれるのです。
安堵しているということは、私を信頼し、委ねていられるからこそでしょう。
子供に言うことを聞いてもらいたいのであれば、何よりも信頼を得ることが大事なのだと今は実感しています。
では、どうすれば信頼を得られるのでしょうか?
それも結局は、自らがどのような人物であれば信頼できるのかを考えるのが最も分かりやすいのかもしれません。
あなたは、嘘を吐く方を信頼できますか?
約束を守らない方を信頼できますか?
マナーを守れと言いながら、自らはマナーを守らない方を信頼できますか?
ルールを守れと言いながら、自らはルールを守らない方を信頼できますか?
そして、マナーやルールを守っていないことを指摘した時に逆ギレしたり言い訳を並べて自らを正当化しようとする方を信頼できますか?
いずれもが、多くの親が子供の前で、あるいは子供に対してやってしまっていることではないですか?
さりとて、人は誰しも、完璧ではいられないでしょう。何一つ嘘を吐かず、約束を一度も違えず、いついかなる時もマナーを忘れず、些細なルールでさえ破らずにいられる方が、この世のどこにいらっしゃるのでしょうか?
おそらくはいない筈です。
そんな親が尊大に、いえ、『偉そうに』していて、本当に子供から信頼を得られるとお考えでしょうか?
そういう自分が子供に対して偉そうに振る舞って、子供はどのような目を向けてきましたか?
自分の親が偉そうにしていたら、あなたはどう感じましたか?
『そんな小難しいことを考えなくても、子供が親を敬うのは当たり前だ!』
とおっしゃるかもしれませんが、それを『当たり前』とおっしゃるのなら、『当たり前のことは守られて当然』とおっしゃるのでしたら、
『他人を罵るのは礼儀に反するという当たり前』
を蔑ろにする方がこんなにたくさんいらっしゃるのは何故ですか?
気に入らない政治家を、気に入らないタレントを、気に入らない番組を、汚い言葉で罵る方がどれだけいらっしゃるか、ネットを調べてみたらいかがでしょうか?
『他人を罵るのは礼儀に反するという当たり前』を、なぜ皆さんは蔑ろにするのですか?
『当たり前』とは、なんなのですか?
そして今、このようなことを申し上げている私自身がかつて何をしたのかは、今さら申し上げるまでもないでしょう。
そう、これを申し上げている私自身が、その『当たり前』を蔑ろにしていたのです。
となれば、私が千早に『偉そうに』など、できる道理がないのです。




