大多数の意見や価値観が
映画館や劇場を<公共の場所>というから分かりにくいのであって、あくまで娯楽の為にそれを目的として集まる一部の方々が利用する場所だと考えるなら、それを楽しめない赤ん坊や小さなお子さんを連れての利用は自重することが好ましいでしょうね。
そう考えると、逆に、赤ん坊や小さなお子さんが利用することを目的に用意された場所に大人が大きな顔をして居座ることも好ましくないのも分かります。
<誰>がどのような<目的>で利用するものであるかを正しく理解すれば、利用を制限するかどうかが合理的か否かが判別できるのではないでしょうか。
それを考えると、あらゆる方々が<移動>を目的に利用する公共交通機関を、一部の方々の好き嫌いで論じることはできないことも分かると思うのです。
なにしろ、すべての方々が等しく利用できることを目的に用意されているのですから。
私が言っていることはきっと多くの人から反発をまねくでしょう。誰もが自分を一番に優先してほしいと思ってしまいがちなものなのは事実です。
日常的に頻繁に利用している自分こそが優先されるべきだと、ごくたまにしか利用しない者の優先度は低くするべきだと思いがちであることも承知しています。
頻繁に利用している者ほど優先されるべきだと考えてらっしゃる方が大多数であり、それを<世間の総意>だと考えてらっしゃる方も多いと思います。
ですが、そうではないのです。その考え方は、公共交通機関の存在意義とは必ずしも合致しないのです。
そして、ただ世間に迎合していれば幸せになれるわけではないことは、無数の前例が証明しているのではないでしょうか。
大多数の方々の思う通りにしていて常に幸せになれましたか?
もちろん幸せになれた方もいらっしゃるでしょう。しかし全員がそうだったわけではないはずです。
であるならば大多数の意見や価値観が常に正しいわけではないと考えるのが自然だと思うのです。
また、自身が常に大多数の側になれるわけではありません。自分こそが少数派になることもあるのですから。
私の考えていることは、あくまで私のこれまでの経験を世間で起こっていることと照らし合わせて合理的に筋が合う形に再構成しているだけのものに過ぎません。
しかし現時点での私の持ちうる情報を精査して得た結論であることもまた事実ではあります。
そしてそれをもたらしてくれたのはイチコ達やヒロ坊くんをはじめとした私を取り巻く方々なのです。
私は今、とても幸せです。
ですがそれと同時に様々な困難を目の当たりにしていることも忘れることもできません。