8. 刑事のノートと中山の予想
俺、中山、長山、高井、上野の五人は朝食を終えてもそのままホールに残っていた。
上野の暴走もあったためか気まずい空気が流れるのはこの面子でも同じであった。それでも井上と菅田の二人がいたときよりは幾分かましではあるが。
「ねえねえ、噂のノートを見ましょうよ。ヨシ君、悪いんだけど取ってきてくれる?」
中山が云う。
「そうですね。じゃあ、ちょっと行ってきますね」
俺はそう云って席を立った。
真っ直ぐ渋谷の部屋に向かい、目的の物を手に取る。パラパラとノート捲りざっと目を通す。菅田の言っていたとおりこのノートはコレクターアイの事件に関する記述で間違いないようであった。俺はノートを手に部屋を出ようとしたが、なんとなく黙って持っていくのは嫌だったので、動かない渋谷に、
「刑事さん、お借りします」
と、云って部屋を出た。
ホールに戻った俺は中山にノートを渡した。
「先に見ていいの?」
中山は意外そうな顔をして云う。
「いいですよ。ここに来る前にざっと見ましたし。それに僕こういうの見始めたら長いんですよ」
「そう、じゃあ遠慮なく」
中山はそう云ってノートを読み始めた。
他の者は特にすることもなくひたすらランプを見つめていた。
数分経った頃であろうか、
「ねえねえ、本当にサキちゃんが犯人なのかな?」
ランプとの睨めっこに飽きた高井が口を開く。
高井の言葉は誰に向けたものなのかははっきりしなかったが、ノートに没頭している中山に向けたものではないことは確かであった。
「信じられないけどジュンさんの推理を聞いてるかぎりその可能性は高いと思うの」
長山が云う。そして、俺の方を見てきた。言葉には出さないが俺にも意見を述べろということだろう。
「他の方法が思いつかないしな」
俺はやんわりと肯定しておく。そして、上野の方を見て発言を促した。しかし、上野は何も言わない。
「カズ君はどう思いますか?」
長山が口に出して上野の考えを聞きだそうとした。上野は少し悩んでから話し始めた。
「俺はやっぱりランプなんか関係ないと思っている。だからサキさんが犯人だとは思ってない」
上野の考えは変わっていなかった。狂人が己で決めた約束を守ることはない。しかし、菅田と上野、どちらの考えが正しいかわからない。ただ、上野の考えている通りなら俺たちを待ち受けるのは絶望だけだろう。
「じゃあ、カズ君は私かよし君が犯人って思ってることでいいね?」
長山が上野を責めるように云う。ランプが関係ないならコーヒーを入れた俺と長山を疑うのは当然のことだ。
「悪いけどそうだ」
上野はそれ以上何も言わなかった。長山もそれ以上追及しなかった。
「結局は犯人はわからないってことじゃん。どうしよう。次はわたしが狙われるかも」
高井は台詞とは裏腹に明るい口調で云う。俺たちは高井の言葉に反応しなかった。
次に狙われるのは自分かもしれない。そんなことは犯人以外の全員が思っていることだ。高井は誰かに優しい言葉をかけてもらって少しでも安心したかったのかもしれない。しかし、今、他人を気遣う余裕は誰にもない。
黙々とノートを読んでいた中山がノートをパタンと閉じ大きく伸びをする。
「残念。面白かったけど使えそうなことは書いてなかったわ」
中山はそう云ってノートを俺の方に投げた。
「そうですか。それは残念です」
俺はそう云ってノートを開いた。
「ただ予選のクイズの警察の答えがわかるから読んでて面白いわ。なんだかんだで日本の警察は有能ね。わたしが適当に答えたところにも警察はしっかりとした答えを出してるわ。それでも捕まらないコレクターアイも凄いけど。さあ、私はシャワーでも浴びてこようかな。その間、見張りよろしく」
そう云って中山は部屋を出て行った。
「先に読んでもいい?」
俺は三人の許可を取ってからノートをじっくりと読み始めた。そして俺はがっくりした。書いてあるのは犯行現場の状況やそこから推察される犯行方法などであり犯人に関する記述は全くなく、容疑者として挙がったのであろう名前は二重線で消されてばかりであった。
どうやら警察は犯人を全く絞り込めていなかったようだ。その証拠に書かれていた容疑者には性別、年齢、身体的特徴などの共通点はなく手当たり次第に調べていたようであった。何よりもがっかりしたのは「水野悠希」という名前が出てこなかったことである。これで「水野悠希」が本物のコレクターアイである可能性は大幅に下がった。
露骨に落ち込む俺に長山が話しかけてきた。
「どうしたのよし君、なんか気になることでも書かれていた?」
「その逆だよ。このノートには水野悠希っていう名前は一切出てこなかったんだ」
俺の言葉を聞いて長山は驚いた顔をした。長山も名前が出てくると予想していたのだろう。
「ミズノユウキって?」
高井が云う。
「偽ジャスティスが言ってたコレクターアイの本名だよ。最初に言ってただろ?」
「そうだっけ? よく覚えてない」
高井が興味なさ気に云う。
「そりゃそうだろ。どうせ架空の名前さ」
上野も涼しげな顔で云う。
「そうだよ。それに、もしその名前がノートに書かれていたなら刑事さんはもっと反応してたんじゃない?」
長山がもっともなことを云う。
どうやら世間で言うコレクターアイとここにいるコレクターアイが同一人物だと疑っているのは俺だけらしい。
事実、俺も昨日までは両者が同じ可能性は低いと考えていた。しかし、今は俺はここにいるコレクターアイが本物だと信じている。じゃなければ、人を殺した上に目までくり貫くという殺人鬼がこの世に二人も存在してしまうことになる。そんなことはあってはならない。
「そっか。そうだよな」
俺は長山たちの言葉に同意してその場をやり過ごした。
「他には何か書かれてなかったの?」
長山が云う。
「レイさんの言うとおり気になる点はないかな。見てみる?」
俺は長山にノートを渡す。長山は真剣な目つきでノートを読み始めた。
長山にノートが渡ってすぐに中山がホールに戻ってきた。そのままキッチンに向かいコップと麦茶を持って席に着いた。中山はは長山がノートを読んでいるのを見て、
「おっ、今はエミちゃんが読んでるのね。じゃあよし君、カズ君辺りはもう読み終えた?」
と、コップに注いだ麦茶を美味しそうに飲みながら云った。
「いえ、僕はまだです。読んどいたほうがいいですかね?」
上野が答えた。
「いや、別に必要ないとは思うけど。単純にミステリー好きにとっては面白いと思うよ。ね、よし君?」
中山はそう云って麦茶を飲み干す。
「そうですね。……レイさん、刑事さんのノートに水野の名前が出てこなかったことどう思います?」
俺が再び水野の話を切り出すと長山、上野、高井の三人は、またか、と少し苦笑いをした。
「水野? あー、ジャスティスが言っていたコレクターアイの名前だっけ? 関係ないんじゃない?」
中山はあっさり答えた。
四人にこうもあっさり否定されると悲しい気持ちになる。菅田や井上にもあとで訊こうと思っていたがやめることにした。
早くも読み終えた長山がノートを置く。
「カズ君、読む?」
長山が訊く。
「いや、いいや。今はそんな気分じゃないから」
上野が答える。上野はこの事件とコレクターアイの事件は完全に別物と考えてるらしい。
「そう。それじゃ、わたしもシャワー浴びてきます」
長山はそう云ってホールを出た。
「ねえ、レイさん」
高井が急に中山を呼ぶ。
「なにマミちゃん?」
「レイさんもサキちゃんが犯人だと思っているんですか」
高井は少しでも早く答えが欲しいようだ。
「そうね。じゃあ、ジュンさんの推理が正しいか一回考えてみようか。丁度、アンチジュンさんもいることだし」
中山は無邪気にそう云った。
「ちょっと、レイさん! 僕は別にアンチなんかじゃないですよ」
上野が慌てて否定する。
「別にいいじゃない、アンチで。それよりもジュンさんの推理にどこかおかしな点はないか? ただし、ランプは関係ないわなしね。そうなったらジュンさんの推理の大前提が破綻することになるわ」
中山の言葉で俺たちは考え始めた。そして、上野が云う。
「睡眠薬って飲みすぎたら死んじゃいますよね? 量の調節ができないのは致命的なんじゃないですか」
「睡眠薬っていっても色んな物があるわ。昔の睡眠薬は大量に飲んだら死に直結するものばっかりだったけど最近のは違うわ。コレクターアイがどの睡眠薬を使ったのかわからないからなんとも言えないけど」
中山が答える。俺も上野と同じで睡眠薬といえば大量摂取すれば死に至るものだと思っていたが違うようだ。
「そもそも、別に死んでもいいんじゃないですか? ううん。むしろそっちの方が手っ取り早くないですか? 睡眠薬じゃなくて毒を入れといたら夜中にわざわざ起きなくてもすむのに」
高井が珍しくまともなことを云う。
「毒じゃなくて睡眠薬を使った理由はジュンさんの推理を有利にするんじゃない」
中山が云う。
「どういうことですか?」
高井が云う。上野も怪訝な顔をしている。
「毒じゃなく睡眠薬にした理由はふたつ考えられるわ。そのひとつは毒薬を入れたら一度で多くの人が死ぬってこと。そしたらこれをゲームだと思っている運営者は困るでしょ。少しずつ犯人の手がかりを出していきたいのにできなくなっちゃう。あっ、カズ君、これは運営側がそう考えるってだけでわたしが思ってるわけではないから不快にならないでね」
「わかってますよ。それで、もうひとつはなんですか?」
上野はそう云ってはいるが不快感が顔に出ている。
「そうね。もうひとつの考えられる理由はもし毒を入れてたら、誤って自分が飲んだときに困るからよ」
中山の言葉に高井が目をぱちくりさせる。
「そんなことあるんですか?」
「通常じゃありえないけど、今回に限ってはありえるのよ」
中山の言いたいことを理解した上野はため息を吐いて云う。
「またランプですか?」
「そんな顔しないでよ。わたしだってランプのルールを全面的に信用しているわけじゃないわ。でも、これで説明がつくでしょ?」
中山も少し呆れた口調で云う。
「そうですね。ジュンさんはランプ信者ですから当然そう考えてるでしょうね」
上野がさめざめと云う。
「どういうことですか? わかんないです」
今回も置いてきぼりを食う高井が助けを求める。
「だから、ランプが今みたいに青のときは本来の人格が動いているってことになってるんだから、その人格の間に毒を飲んじゃうかもってことよ。わかった?」
中山が云う。
「あー、なるほど。じゃあ、やっぱり犯人はサキちゃんってことですか?」
高井が感心の声を上げて再び最大の疑問を問う。
「うーん、違うんじゃないかな」
中山は悩みながらも答える。中山の答えに俺は少し驚く。これまでの態度から中山は菅田と同じ推理をしていると思っていた。しかし、現に本人がそれを否定した。
「じゃあ、誰だと思っているんですか?」
驚いたのは上野も同じようだ。
「そうね、もしわたしが犯人ならこのトリックがばれた時のことも考えるわ。サキちゃんみたいに容疑者が一人になる状況は避けるわ。たとえ、トリックが意味を成す確率が下がっても」
中山ははっきりと言い切る。
睡眠薬を複数人飲まないパターンは数通りある。中山の考えでは容疑者も一気に増える。俺と長山を除く全員が犯人候補に、いや井上ははずれるので三人に絞られる。
「じゃあ、ひとりには絞り切れてないんですね?」
上野が訊く。
「いいえ。わたしの中ではもう決まってるわ」
俺、上野、高井の三人は目を丸くする。
「誰ですか?」
「ジュンさんよ」
上野の問いに中山は意外な答えをさも当然のように返す。
予想だにしなかった答えに固まる俺たちに中山は云う。
「そんなにびっくりすること? 理由は結構あるのよ」
「理由ってなんですか?」
高井がすかさず聞き返す。
「そうね、例えばコーヒーを飲もうと言い出したのはジュンさんだ、とか。他には、睡眠薬のトリックに気づくのが早すぎる、とか。それとわざと間違った推理を披露している可能性もあるわね」
「どういうことですか?」
上野が云う。
「この殺人は計画的な殺人。しかも、エンターテイメント性を求めた。ジュンさんはそのエンターテイメント性を出すための役をやっているのかも」
「偽の探偵役をやってるってことですか?」
俺が云う。
「そう。探偵がわざと間違った推理をしてあとから真実を暴くとかは結構あるパターンじゃない?」
中山の問いに俺たちは納得する。小説の中で真実というものは最後の最後に出てくる。もし菅田が犯人で運営側の者ならそのために俺らをミスリードしている可能性は十分にある。
「そして、もうひとつ気になるのが、ランプ、ランプ言い過ぎって事ね」
上野は何度も頷き同意する。
「確かにジュンさんが犯人ならランプのルールを信じ込ませようとしているかもしれないですね。いや、そう考えたほうが自然だ。じゃなきゃ本当に頭がいかれてる人ですよ」
上野は熱を込めて云う。そんな上野を見て中山はクスッと鼻で笑う。
「まあ、私のは推理といえないわ。ただぼ予想ね。ごめんねマミちゃん。かえって混乱させたかもね」
言われてようやくその事実に気づいたのか高井はがっくしと肩を落とす。
「本当ですよー。これじゃ誰が犯人か全くわからないじゃないですか」
「でも、よし君とエミちゃんを犯人から除外されてるんじゃない? 二人は亡くなった二人と同じものを飲んでいるんだから。あっ、カズ君はランプは一切関係ないと思ってるから二人が怪しいと思ってるのか。ごめんマミちゃん。やっぱり全員容疑者だわ」
中山が緊張感のない声で云う。
「そんなー。じゃあ私はどうすれば」
高井はそう云って机に突っ伏した。上野は何も言わない。中山の指摘通り上野は俺と長山を疑っているようだ。謂れのない罪で疑われるのは気分が悪い。
菅田の推理、中山の予想、上野の単純な発想。聞けば聞くほどどれが真実かわからなくなる。他人の推理というものは如何にも真実っぽく聞こえる。少なくても俺はそう思う。いったい誰が犯人なのか? 一度しっかりとと考えるべきだ。俺は頭を切り替えて考えることにした。
「レイさん。ペンと紙をお借りしていいですか?」
「おっ、やる気満々ね。はい、どうぞ」
貰った紙に菅田の言う睡眠薬を予め仕込んでいたとき誰が飲むことになるのかパターン分けして考える。
まず、渋谷と紫野が眠っていたということからコーヒー、砂糖、ミルクの三つうち最低でもひとつに睡眠薬は入っている。
コーヒーに睡眠薬が入れられてた場合、井上、上野、高井の三人が睡眠薬を服用しない。
同様に砂糖の場合は菅田、中山、井上、上野の四人が。
ミルクの場合は菅田、中山、井上、高井の四人となる。睡眠薬がひとつに入れられているとは限らない。
コーヒーと砂糖に入っていた場合、井上と高井が睡眠薬の手から免れる。
コーヒーとミルクの場合は井上と上野が。
砂糖とミルクの場合は菅田、中山、井上の三人になる。
そしてコーヒー、砂糖、ミルクの三つ全てに睡眠薬が仕込まれていた場合、井上だけが起きていることになる。これが菅田が井上を疑っている理由だ。
さらに、紅茶にも睡眠薬を仕込まれた場合も考える必要がある。紅茶とコーヒーの両方に入れてしまえば全員が寝てしまうので考える必要はない。また、渋谷と紫野の両名が寝ていたことから砂糖かミルクもいずれかあるいは両方に睡眠薬が入ってなければいけない。
しかし、ありがたいことにこの場合は細かく分ける必要はない。なぜなら、いずれの場合も起きているのは菅田と中山の二人だけになる。
長くなったが、結局睡眠薬の服用をひとりで回避できたのは井上だけとなる。しかし、中山の言うとおりこの状況では井上が真っ先に疑われる。井上が犯人ならばこの事態は避けたいはずだ。
理想は二人が起きているパターンだ。しかし、このパターンは絞れない。俺と長山以外の五人が容疑者となってしまう。
紙に綺麗にまとめた俺はため息を吐いた。
他に何か情報になることはないか目を閉じ考える。
「わー、凄い」
その時、雑音が耳に入る。高井の声だ。拍手までしている。高井の視線の先には俺の右手の上で軽快に踊るペンがあった。
考える時の癖で無意識の内にペン回しをしていたようだ。
「本当ね。どうやってるのそれ?」
「これは芸術の域ですね」
中山と上野もまじまじと見て感想を並べる。
「自分でもどうやってるのかよくわかんないですよ。小さい頃からの癖で授業中にもしてて先生によく怒られました」
俺は少し照れながら云う。
「凄い凄い! もっと他にできないの?」
高井の要望に応えて俺は別パターンのペン回しを披露する。
三人は歓声を上げて拍手を送る。
と、その時視界の中で何かが変わった。色だ。微かに色が変わった。
そして、その正体に気がついた俺はすぐさま頭のスイッチを元に戻して叫んだ。