6.九月三日 第一の殺人
悲鳴が聞こえた。女の悲鳴だ。俺は壁に掛けられている時計を見た。時刻は朝の五時だ。俺は眼鏡をかけてすぐに部屋を飛び出した。
ホールの方から男がひとり現れた。上野だ。顔は青ざめ震えていた。
「どうした?」
「し、し、死んでる。二人が死んでる」
そう云いながら上野は震える手でホールを指した。
俺はすぐさまホールに向かった。ホールの扉は開いたままだった。扉の目の前には井上がへたり込んでいた。さっきの悲鳴は彼女のもののようだ。
「大丈夫ですか」
俺は井上の肩を抱きかかえるようにして云う。井上は何も言わず肩を震わせホールの中を指差した。
そこには渋谷と紫野が赤黒い涙を流しながら横たわっていた。
目から流れ、既に乾き固まっているものは間違いなく血だ。本当にコレクターアイが現れたのだ。
固まる俺の背後から声がした。
「大丈夫かい二人とも」
寝癖混じりの菅田が云う。その背後で上野が怯える子犬のように震えていた。
「ジュンさん……あれ」
俺は動かない二人を指差す。
「死んでいるのかい?」
菅田は冷静だった。
「確認してません。ただ、目から血が」
それを聞いた菅田はゆっくりと二人に近づき顔を覗き込んだ。菅田は上着の袖で口を抑える。菅田の顔はみるみるうちに青くなっていく。だが、二人の観察はやめない。
「よし君、レイさんを起こしてきてくれ。まみちゃんとエミちゃんも起こしてくれ。ただ、二人にはそのまま部屋に待機してもらっていい。カズ君はサキちゃんを部屋に連れてってくれないか。その後は、自分の部屋で休んでくれてて大丈夫だ」
菅田が早口で云う。
「わかりました。カズ君、サキちゃんを部屋に。その後、一度ここに戻ってきてくれ。頼んだ」
指示された上野は井上の肩を抱えて立ち上がらせた。そして、ゆっくりと部屋に戻っていた。二人は終始無言だった。
「よし君、レイさんを」
菅田が振り絞るように声を出す。
「ジュンさん、それはカズ君が戻るまでできません」
菅田は一度怪訝な顔をしたが、すぐに俺の意図を理解する。
「意外と冷静だな。ランプの見張りは必ず二人か」
菅田は力なく笑う。
「ええ。これがアクシデントなのかゲームのなかの出来事なのかまだはっきりしませんから念のために。……アクシデントだといいんですけど」
俺はそう云いながらゆっくりと渋谷と紫野の死体を見た。予想通り目玉があるべき場所にはなにもなく、ただ黒い穴があった。黒い穴から流れ出た血が赤黒くなって固まっている。二人の真っ暗な目は無念を訴えているように見えた。
視線を顔からゆっくりと下に移していくと首に細いひも状の痕を見つける。
「絞殺ですかね?」
「恐らく。絞め殺した後に目をくり貫いたのだろう」
他には特に変わったところはなかった。部屋の中を見渡してもそれは同じだ。
やがて、上野がホールに戻ってきた。顔色は悪く今にも倒れそうであった。
「じゃあ、レイさんを呼んできます」
「ああ、頼んだ」
俺は中山の部屋に行く前に扉の前に立ち尽くす上野の肩をぽんと叩く。
「ランプを見ててくれ」
上野は虚ろな目をしたまま、
「ああ、わかった」
と、だけ云ってランプをじっと見始めた。他の余計なものが視界に映らないようにランプだけをじっと。
俺は中山の部屋の扉を少し乱暴に叩く。
「レイさん起きてください! 緊急事態です!」
俺はできる限り声を張り上げ何度もドアを叩く。
すぐに扉は開かれた。もともと化粧をあまりしていなかった中山の寝起きの顔は昨夜とあまり変わらなかった。
「レディーの扱いはもっと丁重にしないとモテないわよ」
中山は眠たそうな目をしながら云う。
「それどころじゃないですよ。刑事さんとヨウさんの二人が殺されました」
中山は眠たげなを目が大きく見開く。
「こっ……本当に? 殺された役とかじゃなくて?」
「違います」
俺は落ち着いた口調で答える。冗談などではないことを知らせるためだ。中山は少し考えたあと口を開く。
「今の状況は?」
どうやら頭の中の整理ができたようだ。
「ジュンさんとカズ君がホールにいます。発見者のサキさんは部屋で休んでます。僕はこれからエミちゃんとマミちゃんを起こして状況を説明してきます。レイさんはジュンさんたちのところに行ってください。多分、レイさんに医者としていろいろしてもらいたいんだと思います」
「わかったわ。……死体の目は?」
中山が静かに言う。
「……なくなってました」
中山の表情が少し曇る。
「そう」
そう云って中山はホールへと向かった。俺は中山と逆方向に進む。そして、隣の部屋の扉をノックする。少し待つが返事はない。俺は再び扉を叩く。先ほどより力を込めて。それでも応答はない。部屋に鍵はないのだから開けることは可能だ。しかし、女性の部屋を許可なく開けるのはいかがなものか。俺は悩んだ。
その時ドアが少し開く。
「誰ですかー?」
ドアの向こうから高井の声がした。
「僕です」
「よし君? どうかした?」
「落ち着いて聞いて。刑事さんとヨウさんが本当に殺された」
「えっ! ゲームとかじゃなくて? 本当にってこと?」
高い声が響く。彼女の声の高さは本当に地声のようだ。
「本当さ。今ジュンさんとレイさんが調べてる。また、あとで呼びに来るからそれまで部屋で待ってて」
「わたし行かなくていいの?」
俺は少し間を置いてから云う。
「二人の死体は目がくり貫かれていた。それを見る勇気があるならホールに行ってもいいよ」
「目が……」
そう云って、高井は黙ってしまった。死体を想像してしまったのだろう。
「どうする? 部屋にいる?」
「うん、そうする」
高井の声はトーンがひとつ下がっていた。
「じゃあ、また後で来るからここで待ってて」
「うん、わかった」
高井の返事をしっかりと聞いたあと俺は再び移動する。今度は長山の部屋の扉をノックしながら言う。
「エミちゃん! 起きて! 緊急事態だ!」
ドアはすぐに開けられた。長山も中山と同様で化粧が薄かったためあまり変化はない。ただ昨夜と違って眼鏡を掛けていた。
「どうしたのよし君? 緊急事態ってなにが起きたの?」
長山の声は既に不安の色が見えていた。できれば彼女にはこの事実を伝えたくないと思った。しかし、そういうわけにはいかない。
「落ち着いて聞いて。……刑事さんとヨウさんが本当に殺された」
「本当にって……まさか、ゲームの役とかじゃなくてってこと?」
「違う。本当に死んでいるんだ」
「そ、そんな……そんなことって」
長山はなんとか声に出して云った。
「二人の死体を今、ジュンさんとレイさんが調べてる」
「謎明社の人は何してるの?」
長山はすがるように云う。
「わからない」
俺の予想ではこの事態は謎明社にとって予定通りである。しかし、そのことは云わない。
「エミちゃんはここで待ってて。後でまた呼びに来るから」
「いや、わたしも行く」
長山が俺の服を強く掴む。俺は少し考えたあとに
「二人の死体は目がなく惨い状態なんだ。それでも来る」
と訊いた。
長山は目を見開いたあと目を伏せて黙り込んだ。そして、ゆっくりと頷いた。意外に強い女だ。
「わかった。じゃあ戻ろう。わかってると思うけど無理に二人をみなくていいからね」
「うん、大丈夫。ありがとう」
俺たちはホールへと向かった。その間、長山はぴったりと俺の背後をついて来た。
ホールには菅田と中山の二人だけで上野はいなかった。
俺はドアの前で立ち止まり長山を制止する。
「エミちゃんはここにいて」
長山はしっかりと頷いた。
ホールでは菅田と中山が死体ふたつを前に何かを話しているところだった。上野の姿はない。
菅田が俺に気づく。顔色はすぐれない。見慣れないものを無理に観察したためだろう。
菅田はドアの方をチラリと見ると
「よし君、エミちゃんは連れてくるなって言ったじゃないか」
と云った。
「本人の希望です。それよりもなにかわかったことはありますか」
「あらよし君は平気なのね。カズ君はグロッキー状態で部屋に戻ったのに」
医者である中山は二つの死体を前にしても他の者と比べてかなりの余裕がある。
「平気ではないですよ。それでどうなんです?」
中山は眉をしかめる。
「どうって言われてもね。とりあえず、二人が死んでることは間違いないわ。もちろん、謎明社が用意した人形とかのダミーでもないわ。間違いなく昨日の夜までわたしたちとお喋りをしていた二人よ」
「ダミーを期待したが淡い期待だったね」
菅田が悲しそうに笑う。
「他に何かわかったことはないんですか?」
「死因は絞殺。外傷は目の部分だけだし。絞め殺したあとに目玉を丁寧にくり貫かれたみたいね。死亡時刻は深夜1時から3時の間かな。……あと気になることがひとつ」
「なんですか」
「目玉のくり抜き方が凄く上手。他を傷つけず綺麗にくり抜いている」
「それって、まさか……」
「そう。まるで初めてじゃないみたいなの」
俺たち3人はなにも云わず顔を見合わせた。
まさか本当にコレクターアイがこの館にいるのか? 俺は俺の心臓が大きく鳴り始めるのを感じた。
「よし君?」
中山に呼ばれ俺ははっとする。俺は大きく深呼吸して自分を一旦落ち着かせた。
「そもそも二人はなんでこうもあっさり殺されたんですかね?」
答えは俺の中で出ていたがあえて二人に問う。
「それは、やっぱり寝てたってことよね」
中山が云う。
「それが一番妥当だね。他に可能性としては二人が協力者で大人しく殺されたぐらいかな」
と菅田。
「いくら協力者でもそれはないんじゃない?」
「可能性の話さ。二人が自殺志願の協力者だったとかさ」
自殺志願者なら確かに死人役としては完璧だ。しかし、それでは企画者の意図に反する。
「協力者ってことはこの企画に関わってるってことでしょ? 死に役が自ら殺されるように動いていたなら推理ができないわ。企画として成り立たないことをする協力者。おかしくない?」
中山が俺の言いたいことを代弁してくれる。
「まあ、そうだね。僕が言いたいのは柔軟に考えようってことさ。でも、ここは二人は寝てた。これで間違いなさそうだね。じゃあ、問題はなぜ寝てたかだね」
菅田は否定されてることわかっていたらしく自分の案があっさり否定されたことなど気にせず喋る。
「気になることだけど後にしない? とりあえず二人を移動させてみんなで話し合いましょう。それにもしかしたらゲームが中止になるかもしれないし」
中山の言うとおりだ。しかし、ゲームの中止については同意しかねる。
「ゲームが中止だって? これまた淡い期待を抱くね」
菅田も同じ考えのようだ。
「期待はいつも淡いものよ。悪いけど二人を運んでくれる? ランプはわたしとエミちゃんで見張るから」
そう云って中山は長山のところへ行く。
「おっと、その前に写真を撮っていいかな?」
現場を保存しておくのは不可能なのだからせめて写真は必要だ。
「是非お願いします」
「そうね。念のために必要ね」
「カメラを取ってくるから少し待っててくれ」
そう云って菅田は部屋へと戻っていた。
俺と中山と長山の三人はホールの外で待つことにした。ランプの見張りは決して忘れない。
「二人とも本当に……?」
長山が震えた声で云う。動揺しているのは明らかだ。
「ええ、残念ながらね」
それに比べて中山は冷静であった。
「そうですか……」
長山は寂しそうに呟くと俯いて黙り込んだ。
そんな長山を見てここまで作業的に動いてきた俺と中山も下を向いて黙り込んだ。
すぐに菅田は戻ってきた。静まり返った俺らの横を抜けて現場の撮影を開始した。菅田が使用するデジタルカメラの音だけが幾度も鳴り響いた。
「こんなもんでいいだろう。よし君、さあ二人を運ぼうか」
菅田は満足げに云う。俺は頷いて菅田の方へと歩み寄った。
「先に彼女から運ぶとしようか。僕が上の方を持つからよし君は下の方を持ってくれ」
菅田はそう云いながら紫野の脇の下に手を回す。俺は紫野の膝の下に手を回してしっかりと抱える。
「せいのっ」
菅田の掛け声で紫野を持ち上げる。予想はしていたが重い。
「死体は重たいというがこれは予想以上だね」
そう云いながら菅田は歩を進める。それに合わせて俺も進んでいく。
ホールを出たとき長山が中山の背中ですすり泣いていた。俺は二人と目を合わさないように部屋を出た。
紫野を彼女の部屋のベッドに寝かすと菅田は顔も隠れるように布団をかける。
「これで布団が汚れたとかむこうのやつらが言ってきたらどうしようか?」
菅田は無理に笑いながら云う。菅田にも冗談を言う余裕が出てきたようだが本調子ではない。
俺と菅田はすぐにホールに戻り、今度は渋谷を運ぶ。紫野よりも重たい渋谷をなんとか部屋まで運び同様に布団に寝かす。
俺の目に一冊の黒いノートが目に留まった。渋谷の鞄から少しはみ出ていた。大きさはB5サイズで、ずっと使ってきたのだろうボロボロであった。
それに気づいた菅田はノートを手に取り読み始めた。暫くの間黙って菅田のノートを読んだ後にパタッとノートを閉じカ鞄に戻した。
「ふむ。よし君、ホールに戻ろうか」
「何が書いてあったんですか?」
「それは後でみんなの前で言うよ」
菅田はそう云ってさっさとホールへと戻っていった。
時刻は朝の六時が近づいていた。