2. 九月一日 本選の島へ
天気は良好。波も穏やかであった。視界に映るのは青いといえば青い海と必死に喋り続ける女性。
俺は今、船の上にいる。
出港は予定通り午後五時に行われた。港には服部がひとりで待っていた。服部は説明会の時と違いスーツではなく、Tシャツにジーンズとラフな格好をしていた。説明会のときにいたもうひとりの女性、岩淵の姿はなかった。それについて尋ねるとすでに島で準備に取り掛かっているという。島に着いたら服部もいろいろと準備に追われるのだろう。だから、服装も動きやすいものなのだろう。
俺は服部に案内され小さな船に乗り込む。服部は船の外で一服していた初老の男性に声をかける。どうやら彼が船を島まで運んでくれるらしい。男は吸いかけのタバコを地面に投げ捨て、足で踏んで火を消す。男が船に乗るとすぐに出港した。
島までは三十分ぐらいかかると服部が説明した。これを皮切りに服部は会話が途切れないように喋り続けた。島で行われることや服部自身のこと、好きなミステリーなど。時折、こちらに質問をぶつけてくる。参加の動機から普段はなにをしているかなどまで幅広く。服部の仕事には船上で参加者を退屈させないことも含まれているようだ。
と、突然服部が前方を指差して云う。
「あっ、島が見えてきましたよ」
服部の声は嬉々としていた。理由はおそらくこの空間から解放されるからであろう。愛想がよいとはいえない俺と喋り続けることは苦痛でしかたなかったはずだ。
「こうやって船から島を眺めるのは本日九回目なんですけどね。でも、これで最後です」
服部は笑いながら言う。
「ということは参加者は九人なんですか? 冊子には十人を予定していると載ってましたけど」
「それが昨夜になって一名の方が病欠になりまして、それで今回は九名で行うことになりました」
「ひとり減ってもクイズには問題ないんですね?」
「ええ、ひとりぐらいなら支障はありません。ライバルが減ってラッキーって思ってもらって問題ないです」
服部はそういって自分で笑った。その笑みに俺はどこか違和感を覚えた。しかし、それがなぜかはわからなかった。
*
港にはすでに一艘船があった。今の船は参加者の送り迎えに用意したもので、こちらスタッフ用のものなのだろう。大きさは参加者用と比べてひとまわり大きかった。
島に上陸するとすぐにひとつの建物が目に入る。今夜だけ宿泊する施設である。林の中からひょっこり頭だけを見せている。周りの木々のせいでここから近いのか遠いのかわかりにくい。見た目はなんてこともない、どこにでもあるビジネスホテルのように見える。こんな島にビジネスホテルがあるのは不気味だが。ここからはそれ以外には何も見えなかった。
「服部さん、明日以降泊まることになる館っていうのはどちらにあるんですか?」
「館はこの林のもっと奥の方にあるんですよ」
「他にはなにもないんですか?」
「社長がひとりで過ごしたいときのために買い取った島なので他にはなにもありません。この施設とその館だけです」
ひとりになりたいなら家にでも引きこもればいいではないか。金持ちの考えることはよくわからない。
服部のあとについて施設へと向かう。道も舗装などされておらず歩きにくい。こんな道を長いことは歩きたくはない。そういえば冊子に歩きやすい服装と書いていたがこのためか。
俺の心の愚痴が聞こえたのか、
「すみませんこんな道で。五分ほどで着きますので我慢してください」
服部が申し訳なさそうな声でいう。
「いえ、大丈夫ですよ」
できる限り不満を悟られないようにしたがあまり自信はない。
服部の申告に嘘はなく、施設の足元にはすぐにたどり着いた。だが、すでに俺の額からは汗が滝のように流れ落ちていた。服部も似たようなものだった。
顔を上げ施設の全貌を見る。やはり、ビジネスホテルと表現するのが一番しっくりくる。窓の数から判断するに五階建てだ。四階と五階の窓はカーテンで閉ざされていた。参加者同士の接触を禁止にしているからには、窓越しに顔をみることにも不都合が生じるのかもしれない。よって、あの部屋には参加者が、服部の言葉を借りるならライバルたちが待機しているのだろう。
服部が重そうなガラスのドアを開け俺を招き入れる。中からひんやりとした空気が流れる。クーラーが効いている証拠だ。
なかはますますホテルだった。フロントのところには岩淵が立っていた。岩淵は今日もスーツではあった。
「ようこそ。ミステリークイズ大会の本戦へ」
岩淵が歓迎の言葉を述べる。
「ありがとうございます。……電気はちゃんと通っているんですね」
島に着いてからの不安のひとつが解消された。
「ええ、もちろんです。通っているという表現は若干違いますけど」
「と、言いますと?」
「ソーラーパネルによる自家発電です。みなさん着いた時電気や水を心配したみたいですが大丈夫ですよ」
他の参加者も同様のことを思うのは当然だろう。島の風貌は冊子の説明から受けた印象とは大きく違う。しかし、それはこちらが勝手に抱いたものであり嘘はなにひとついってない。冊子では島を人が暮らすのに不自由ない設備が整っていると言っていたが、社長が自ら整えただけらしい。他にも、砂浜があり遊泳も可能などいっていたが、確かに可能と呼ぶのがふさわしい砂浜であった。俺は泳ぎたいとは思わないが。いつか社長はリゾート地にするとも書いてあったが、そうなることは想像できなかった。
「部屋は505になります。こちらがお部屋の鍵です」
岩淵はそういいながら鍵を渡してきた。
「夕食はこちらが部屋まで運びます。何時頃がよろしいでしょうか?」
「そちらの都合のいい時間で大丈夫です」
「ありがとうございます。それでは七時に運ぶように致します。それから冊子にも書いてあるのでわかっているとは思いますが、絶対に部屋からは出ないで下さいね。というのも、今夜は明日のミステリーの準備をしますので、もし部屋から出たらネタばれに遭遇するかもしれません。ミステリーファンのかたならわかりますよね、ネタばれは最大のタブーだということを」
俺は強く頷いた。
「ご理解いただき感謝します。何か御用がある場合は部屋の電話をお使いください。受話器をあげるだけでフロントに繋がりますので。服部さん、案内してあげて」
呼ばれた服部はすばやく動く。先ほどまでと比べると表情が少し固い。岩淵がいるからであろう。先輩との関係が如実に現れた瞬間だ。
「こちらになります」
服部はエレベーターを見向きもしないで階段のほうに進んでいく。部屋番号が505なのだから俺の部屋は五階で間違いないはずだ。部屋まで階段で行くのは少々辛い。しかし、服部はそんな俺の思いになど気づかず階段をのぼり始めた。俺は黙ってそれについていくしかなかった。
五階までのぼり切ったときには息があがっていた。服部もしんどそうだった。階段のすぐ横にはエレベーターがあった。恨めしそうに俺はエレベーターを睨んだ。それに気づいた服部は、
「エレベーター動かないみたいなんですよ。それなら最初からつけるなって感じですよね」
と弁解した。
全くだ。心とは裏腹に俺は笑いながら「そうですね」と相槌をうった。
廊下を進むと右に501、少し進んで左に502、さらに進み503、そしてその先の左に504はなく505があった。
服部がドアを開けてくれた。俺は頭を下げて礼の意を示してから中に入る。
「それでは後ほどお食事をお持ちしますのでそれまでゆっくりおくつろぎください。なにかあったら部屋の電話でお呼びしてください。わたしか岩渕さんが必ず出ますので。それとしつこいようですが絶対に部屋からは出ないでくださいね」
服部はそう云いドアを閉めた。そして、足音が離れていった。
部屋は六畳ほどの広さで、ベッドがひとつ。机と椅子がひとつ。机の上に電話とポットがひとつずつ。机の右下に冷蔵庫がひとつ。部屋の入り口のすぐ左には扉がひとつ。開けるとトイレとお風呂。やはり、ビジネスホテルだ。
冷蔵庫を開けると500ミリペットボトルのお茶とオレンジジュース、スポーツドリンクが一本ずつ、ロング缶のビールが二本あった。俺はお茶を取り出し椅子にどかっと腰をおろす。そして、鞄から本を取り出し読書を始めた。
*
本の中の名探偵が犯人の名を告げる。そのときノックの音がした。
「服部です。夕食をお持ちいたしました」
服部の声が響く。俺は返事をして、机に本が閉じてしまわないように置きドアに向かう。ドアを開けると服部がぺこりと頭を下げる。服部はおぼんを持っていた。そのお盆を受け取り礼をいう。そのままドアを閉めようとしたが服部が
「なにしてました? ひょっとして本を読んでました? しかも、ミステリーもの?」
と訊いてきた。俺は少し驚きながら、
「はい、完璧です。よくわかりましたね」
「いえいえ、他のみなさんもそうしているので、もしかしたらと思いまして」
「あー、なるほど。監視でもされてるのかとびっくりしましたよ」
「そんなことしないですよ。そういう発想もミステリー好き特有のものですね。本当にみんなミステリーが大好きだとわかってより一層明日が楽しみになりました。名推理期待してますよ。」
服部はそう云って部屋を去ろうとしたが、「あっ」と声を出して慌てて振り返る。
「いい忘れました。食べ終えましたら食器を廊下に出しておいてください。それでは失礼します」
服部は今度こそ帰っていった。
俺は机におぼんを置き食事をとる。夕飯は冷凍食品などではなく明らかに手作りであった。岩淵か服部が作ったのだろうか、味は上々だった。
二十分ほどで食事を終え云われたとおり食器を廊下に出しておいた。
俺は再び読書を開始する。
意外な犯人に驚く。探偵は犯行方法を淡々と述べる。俺の中で熱を帯びていくのがわかる。しかし、読み進むにつれてその熱は冷めていく。探偵だけが知っていた事実が、読者が知らない事実が浮上し始めたのだ。俺は白けてしまった。これでは読者が犯人を当てることをできるわけがない。そんなミステリーが面白いはずなどない。がっくりしながら本を閉じる。
明日のミステリーは大丈夫だろうか?
ふとそんな不安がよぎった。こんなところまで連れて来られて、四日も掛けて下らない幼稚なミステリーに付き合わされたりしては溜まったものではない。
不安を拭うために自分に言い聞かせる。謎明社の社長は誰もが知る酔狂なまでのミステリーファンだ。その人が企画する推理大会がそんなヘマをするわけはない。俺などが想像もつかない仕掛けを施しているに違いない、と。
時刻を確認すると午後九時を回っていた。普段から夜型生活を送っている俺にとっては絶対にあり得ないはずなのだが早くも睡魔が襲ってきた。
冊子で明日の予定を確認する。起床時刻は書かれてないが、朝食は午前八時と書いてある。それまでに起きておけということだろう。その後、十時に一階ロビーに集合。集合ということは、ここで他の参加者と顔合わせになる。その三十分後にバスで移動と書かれている。はてバスなどあっただろうか? いやそれどころがバスが走る道があることにさえ驚きだ。十一時に館に到着。館内で昼食を取り、そして一時にゲーム開始、となっている。
俺は携帯電話のアラームを朝の七時にセットして寝床に就いた。
深夜、微かな物音で俺は目を覚ます。扉を閉めたときに響く低い音、そのあとに続いたのは人の声だろうか。確実にいえることは誰かがまだ活動しているということ。時計を確認すると時刻は丁度午前二時だった。参加者は外出禁止のはずだから服部か岩淵あるいは他の運営スタッフのはずである。明日の準備がこんな時間までかかるのだろうか? 音が離れていくのを感じる。再び静寂が訪れる。いったいなにをしていたのだろうか? 疑問に感じたが睡魔には勝てない。俺は再び眠りに就いた。




