12. 九月四日 第二の殺人と上野の答え
三時前に長山はホールに来た。寝起きでも長山の身なりは整っていた。
「ようやく交替ね。今のところ異常はないわ」
中山は大きなあくびをしながら云う。
間もなく菅田もホールに来た。
「二人ともお疲れさま。ここからは僕たちが見てるから二人はゆっくり休んでくれたまえ」
菅田の上機嫌はまだ続いていた。あれだけ非難を浴びても自分の推理を信じているようだ。
俺も中山も呆れたが口には出さない。
「そうさせてもらうわ。おやすみなさい」
「よろしくお願いします。おやすみなさい」
そう云って俺と中山は各々の部屋に戻った。
俺は部屋に戻るとそのままベッドに倒れ込んだ。朝から何度も試みた睡眠であったが成功せず、ようやく可能となる。
俺は頭を切り替えて目を閉じた。
寝返りを打ったときに違和感を感じた。枕の下に何かある。俺は枕の下からそれを取り出して目を丸くする。
出てきたのは折りたたみナイフだ。なぜこんなところに?
冷たい汗が吹き出る。身に覚えのないナイフ。今の状況でこんなものが出てくるのは非常にまずい。俺が犯人だと疑われてもおかしくない。誰かが俺の部屋に忍び込んで隠したのだろうか。
俺はふとジャスティスの言葉を思い出す。
「あなたは今絶対に自分は犯人ではないと思っていませんか?」
確かにジャスティスはそう言っていた。
もし本当に『SP』があるならコレクターアイが俺に取り憑いているなら、ランプが変わっている間に隠すことは可能だ……。
俺は自分の考えを打ち消すように首を振る。俺はとりあえずナイフをポケットに忍ばせておくことにした。もし見つかっても護身用といえば通るだろう。
しかし、いったい誰が、なんのために?
俺は考えようとしたが急激な睡魔に襲われ意識を手放した。
九月四日 三日目の 朝が来た。時刻は七時半。
俺を起こしてくれたのはいつもの携帯電話のアラームであり、女の悲鳴などは一切聞こえてこなかった。
朝食は八時にすると言っていた。
少し早いが眼鏡をかけて俺は部屋を出る。いざホールに行くとなると昨日のことを思い出し緊張してきた。
高鳴る鼓動を胸に俺はホールの中を見た。ホールでは菅田と長山が元気に活動していた。俺はほっとため息を吐いた。
「よし君、おはよう。丁度よかった。今から朝食の準備をしようと思ってたの。ジュンさんと一緒にランプを見といて」
長山はそう云ってキッチンに行った。
「おはよう、よし君。昨夜はよく眠れたかい?」
菅田は爽やかに云う。
「お陰さまで。なにか異常はありましたか?」
「昨夜はコレクターアイもゆっくり眠ったようだよ」
菅田が云う。
「そうですか。それは一安心です」
間もなく、上野、高井、長山の順にホールに集まってきた。キッチンからはいい匂いが漂ってきた。
だが井上だけが姿を見せない。長山が料理を運んでくる。
「あれ? サキさんまだですか? もう八時ですよね? 誰か起こしてきてくれませんか?」
長山が料理を並べながら云う。今朝のメニューは昨日の朝と同じだ。
「仕方ないなー。わたしがサキちゃんの寝込みを襲ってきます」
高井はそう云ってホールを出た。
「朝から元気ね。わたし朝弱いのよね」
中山は眠そうに目を擦りながら云った。
「きゃぁぁあああああああああああ」
その時、高井の悲鳴が聞こえた。全員に緊張が走る。
「カズ君、エミちゃんはここに残って」
菅田はそう云ってホールを飛び出した。その後を俺と中山が追う。
高井は井上の部屋のドアの前に座り込んで泣きじゃくっていた。
「マミちゃん! いったい何が?」
菅田が云う。
「ジュンさん、サキちゃんが……」
予想していたことだが思わず唾を飲む。菅田は部屋の中を見た瞬間に口を抑える。
「これは少々きついな」
菅田の顔は見る見るうちに青くなっていく。
中山は高井を抱きしめながら部屋を覗いた。
「これは心臓に悪いわね」
中山が云う。しかし、菅田と比べればかなりの余裕が感じられる。
俺も恐る恐る部屋を覗き込む。部屋の右奥に赤い塊が見えた。それは赤黒く変貌を遂げた布団であった。
「これ全部血ですよね」
俺は思わず呟く。
「だろうね。ジュンさん顔色悪いけど大丈夫?」
「ああ、大丈夫さ。いろいろとショックが大きくてね」
菅田は力なく云う。現場に残るおびただしい血もあるが、犯人だと思っていた井上が死んだことが菅田にダメージを与えているようだ。
「男は女よりも血に弱いっていうもんね。よし君、マミちゃんをよろしく」
俺は中山に渡された高井を仕方なく抱きかかえる。中山は部屋の中へと歩を進める。菅田はそれに続かない。
「ジュンさん、現場検証しないならマミちゃんをホールに連れてってください」
そう云って俺は高井を菅田に押し付けて死体を見に行く。
「もちろん僕もするさ。でも一旦、マミちゃんをホールに置いてくるよ」
菅田と高井はのろのろとホールの方へと進んでいった。
「レイさん、なにかわかりましたか?」
俺は赤い布団を捲り死体を覗き込む中山の背後から声をかける。死体のすぐ横に血がついた包丁が転がっていた。
「喉元に包丁で一突きね。これじゃ声も出せなかったでしょうね。そして、その後忘れずに目をくり貫いていってるわ」
中山はそう云いながら赤い布団をはぎとった。
「他に外傷はなし。喉と目だけ。シンプルね」
中山は布団を戻す。
「他に目立った特長はないですね」
俺は井上の顔を覗きこみながら云う。
「そうね、寝てるところに包丁でブスリ。ただそれだけ。まあ、この館ではそれが大問題なんだけどね」
中山は云う。その横で俺はあることに気がつく。
「レイさん、ここよく見てください」
俺はそう言って目の上の部分を指差す。
「ん? なに? なんかあった?」
中山は顔を近づけて覗き込む。そして気がつく。
「細かい切り傷があるわね。目をくり貫く時に傷つけたのね」
中山は興味なさ気に云うがこれは重要なことである。
それを指摘した時に菅田が戻ってきた。
「なにかわかったかい?」
菅田はやはり元気なく云う。
「ジュンさん、丁度いいところに来ましたね。これ見てください」
呼ばれた菅田はよろよろと近づき口をしっかりと抑えながら覗き込んだ。
「ジュンさん、やっぱり血が苦手なの?」
中山がニヤニヤしながら云う。
「医者の君と比べたらね。喉を突き刺されたのか。それでよし君見て欲しいっていうはどの部分だい?」
菅田は血が苦手なことは否定しない。苦手でもなくてもこれだけ大量の血を見れば吐き気がするのは普通の人なら当然であろう。
「目の上の部分です。ほら、ここに幾つか切り傷がありますよね」
俺は指を差して云う。
「本当だね。昨日の二人にはなかった。これは暗闇の中、月明かりだけあるいはなにか光を持ってたかもしれないが、とりあえず、手元がよく見えなくて誤って傷つけたんだろう。……これは重要な手がかりだね」
菅田も俺と同じことに気がついたようだ。
「二人ともどういうこと? 暗い中目ん玉を切り抜こうとしたら誤って傷を付けるなんて別に普通のことじゃない」
中山が珍しく出遅れている。
「そうさ。普通のことさ。ここで問題なのは傷の位置さ。コレクターアイも目をくり貫く時、僕らが今立っているこの場所からしか目を取り出せない」
俺らが立っているのは井上の左側。井上は頭を窓がある壁に向けて寝ている。そして、傷がついているのは目の上側だけ。
中山もようやく追いつく。
「コレクターアイは左利き?」
「恐らくは。よし君、申し訳ないが代わりに写真を撮ってくれないか?」
菅田はそう云って俺にデジタルカメラを渡した。俺は適当に数枚写真を撮る。
「このくらいでいいですか?」
「ああ十分だ。ありがとう。ホールに戻ろうか」
菅田は既に部屋から抜け出していた。どうやら本当に血が苦手なようだ。
「昨日は大丈夫だったじゃない」
中山が云う。
「昨日はわずかだったからね。この大量の血を見て平気な君たちが異常なんだよ」
菅田はふらふらになっていた。
ホールに戻ると高井は長山の胸で泣いていた。テーブルの上には冷め切った料理が並んでいる。
上野と長山が何か言おうとしたが
「話はご飯のあとにしようか」
と中山が云ったので黙った。
殆どの者がご飯を残した。高井に至っては一口も食べなかった。菅田も似たようなものであった。
全員が食事を終えると中山は話し始めた。
「サキちゃんは喉に包丁を刺されて亡くなってたわ。目もなくなっていた」
中山はさらっと答えた。
「それだけですか? 他に何かわかったことは?」
上野がすがるように云う。その目は怯え切っていた。
「重要なことがわかった。コレクターアイは左利きだ」
菅田が沈んだ声で答える。
「なんでわかるんですか?」
上野が云う。
「目の上に細かい切り傷があった。サキちゃんはベッドの上で寝ていたベッドの位置はみんなの部屋と同じで右手奥になる。よって、目をくり貫こうとする時は左側に立つしかない。もし右利きなら右側から包丁を入れて目をくり貫くことになる。その場合は目の下に傷がつく。しかし、今回は上側だ。これが左利きとする根拠だ」
菅田が説明する。
「でも、なににしてもランプの説明がつかないですよね?」
長山が少し声を大きくして云う。理由はわかっている。長山は左利きだ。隣の席なのでよく覚えている。
「そうなんだ! 問題はそこなんだ! それがわからないんだ!」
菅田は長山をはるかに上回る声で云った。菅田が沈んでいるのは犯人だと思っていた井上が死んだことだけではなく、ランプの説明がつかないことにも原因があった。
「だから、ランプなんて関係ないんですよ! 昨日一晩見張ってたんですよね? なのに現にこうしてサキさんが殺されたじゃないですか! もうこんなものに惑わされるのはやめましょう!」
上野が立ち上がり叫ぶ。
誰も何も言わない。高井は魂が抜けたのかのようにも見える。
本当にそうなのだろうか? ランプは一切関係ない。そんあことがあっていいのだろうか?
俺たちはひたすらランプを睨んだ。ランプは青く光っている。しかし、この青にはもう意味はないのかもしれない。
反応が返ってこなくて虚しくなったのか、上野は椅子に座る。
「あの、いいですか?」
長山が珍しく恐る恐る云う。
「なにエミちゃん?」
中山が対応するが、中山も元気がない。
「わたしの勘違いだったらごめんなさい。ランプに違和感があるんですけど……」
「違和感って?」
「光が弱い? あと少し大きくなった気がします」
俺たちは一斉にランプを見た。言われてみればそんな気がしないでもない。
菅田はランプに手を伸ばした。そして、ランプを取った。その下からもうひとつランプが現れた。菅田の手にあるランプのかぶせ物は最初から青い光と同じ色をしていた。
菅田はかぶせ物をテーブルの上に雑に置き、椅子に深く座って全身の力を抜いて云う。
「完全にやられたな。こんな裏技があったとは」
「子供だましにもほどがあるわね」
中山は悔しそうに云う。呆れるような仕掛けだが、そのせいで井上が殺されたのは間違いない。
「いったい、いつの間に?」
ランプは関係ないと力説していた上野も驚きを隠せない。
「停電の時しかあり得ないだろ。ホールには常に二人以上の人間がいたんだからね、それにあれ以降ランプが赤になってなかったしね」
菅田が云う。
「あの暗闇の中できますかね?」
上野が云う。
「わたしたちの席の両脇に線があるわ。これを辿っていけばランプよ。暗闇でも簡単にできるわ」
中山は実際にやりながら云う。
「そして、この仕掛けをできなかった唯一のサキちゃんを殺す。無駄がないわね」
中山はため息を吐いた。
「ごめんなさい。わたしがもっと早くに気がつけば」
長山は目に涙を溜めて云う。
「エミちゃんのせいじゃないわ。むしろ、今気づけて良かったわ。こんなトリックで更なる犠牲者をを生むのはごめんよ」
中山が長山を慰める。
「これをトリックと呼ぶかは疑問だけどね」
菅田に少し活気が戻る。ランプの問題を解決したからだ。
「ランプの問題はもういいよ。要するに、昨日の夜はずっとコレクターアイは自由だったってことだろ」
上野が不機嫌そうに云う。
「そうなるわね。今回得たヒントは左利き……これは本当にヒントなの? 新たな謎を呼ぶだけじゃない?」
中山が苦悶の表情を浮かべる。
「どういうことですか?」
上野が敏感に反応する。
「エミちゃん……左利きよね? でもエミちゃんは昨日のヨウちゃんと刑事さんの犯行は無理なのよね」
中山は困惑しながら云う。俺と長山、菅田は中山の言葉を聞いて目を合わし、互いに首を傾げてみる。
「それってランプが関係してたらですよね?」
上野が云う。どうやら上野は中山の間違いに気づいてないようだ。
「ランプにこんなふざけた仕掛けをしておいて関係ないわけはないんじゃない?」
中山がやんわりと云う。上野の扱いを菅田よりは心得ている。
「それもそうですね……ん? エミちゃん本当に左利き?」
上野は何かを思い出しながら訊く。
「う、うん、そうだけど……」
上野の突然の質問に戸惑いながらも長山は答えた。
上野はそのあと全員の顔を覗きこんだ。なにか言いたいようにも見える。
「そうか、ありがとう」
上野はそれから何も言わず考え始めた。上野だけじゃないほぼ全員が推理に没頭する。
そんな中、高井だけが酷くうなだれていた。彼女の脳裏には井上の死体現場が焼きついているのだろう。朝に見せた元気など欠片もなくなっていた。
誰も喋らぬまま時だけが過ぎていった。話し合いもしない。話を持ちかけるときは必ず自分の意見がある人が言い出した。今は誰ひとり名案を思いつかないのである。
菅田、中山、上野それぞれがある程度犯人の目星をつけていた。しかし、それぞれが壁にぶち当たった。
ランプのルールは絶対だとしている菅田は、井上が犯人だと断定していたため、井上が殺された瞬間に推理を一から余儀なくされる。
上野はランプを関係ないとしていたのでコレクターアイが左利きと発覚してゴールにたどり着いたようにも見えたが、同時にランプに子供じみた仕掛けが見つかったためランプを無視しにくくなった。それに上野はひとつ勘違いしている可能性がある。
中山はランプのルールは表面上は守っているという菅田と上野の中間の考えである。あいかし、彼女もまた壁にぶち当たった。犯人は第二の殺人で左利きとわかった。しかし、左利きの容疑者である長山は第一の殺人を中山のルールの上で考えられるトリック(睡眠薬を予め仕込んでおく)では不可能だ。
俺はここでふと思う。高井はともかく、長山は誰を疑っているのか。ここまで長山の考えを聞くことはなかった。それは偶然か? もしかして、俺を疑っているのではないのだろうか。だとしたら、俺と犯人は誰かの話をしないのは当然である。
俺がそんな不安を抱いていると、急に上野が立ち上がった。全員が驚いて上野を見る。
上野は俺らの視線など一切気にせず「あははははは」と不気味な笑い声を上げた。
「ちょっとカズ君、大丈夫?」
中山は口ではそう云っているが目では完全に軽蔑している。本心は「また壊れたか」だろう。
「わかったんですよ」
「えっ」
俺たちは声を揃えて聞き返した。狂ったと思っていた男からはあまりにも予想外な言葉であった。
「だから、わかったんですよ! 全部!」
上野が嬉々としながら云う。その目は瞳孔が開いていて壊れたようにも見える。
「わかったわ。話を聞いてあげるから落ち着いて」
中山は子供をなだめるように云う。
「はあ? なんでそんなことしなきゃいけないんですか?」
上野の態度は変わり始めていた。さっきまで開いていた目は今度は据わっている。
「なんでってその推理が正しいかどうかみんなで検証したほうがいいでしょ」
中山は上野の異変に気づきながらも優しく云う。
「いいですよ、そんなの。この推理は間違いないんだから。あー、でも皆さんには感謝しなきゃ。俺一人だったら無理だったかも。特にジュンさんには感謝しなきゃ。ジュンさんが馬鹿なお陰で答えに辿り着けたんだし」
上野はそう言って移動を始めた。
挑発を受けた菅田は黙って上野を見ていた。
上野はホールを出てエレベーターの前に立つ。上野はもう答える気なのだ。ドアが開いて上野は招かれる。
「皆さんもない頭を使って頑張って」
上野はそう云ってエレベーターに乗る。すぐに扉は閉められた。
上野はエレベーターの中にある電話の受話器を取ってぺらぺらと喋り始める。時折俺たちの方を見てニタニタと人を馬鹿にするように笑う。上野の高笑いが聞こえてきそうなほどだ。
だが、上野の愉快そうな顔は長くは続かなかった。
館内にブザーのような音が響く。クイズ番組で出演者が答えを間違った時に鳴るおなじみのあの音だ。この音が何を意味するかはすぐにわかった。
電話に向かって上野は何かを叫ぶ。顔は打って変わって蒼白になっていた。
その時にはエレベーターの上部からなにか怪しげな気体が流れ込んでいく。エレベーター内の空気がみるみるうちに濁っていく。上野は受話器を捨て、鬼の形相でドアを叩き始めた。しかし、ドアはビクともしない。
やがて上野は喉を押さえて悶え苦しんだ。上野は白目を剥いて痙攣を起こす。そして、数分後には動かなくなった。
俺たちはその一部始終を固唾を飲んで見ることしかできなかった。あの高井ですら悲鳴もあげずドラマでも見るのかのようにその様子を見守った。
エレベーターの換気が終わったのか上野が動かなくなってから五分ほどしてから扉が開いた。俺と菅田は何も言わずすぐに上野をベッドへと移した。