黄色大根
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ここの橋も、架かってから何年くらい建つんだっけ? 実家をしばらく離れてから戻ってくると、正確な経過時間が分からなくなってしまうねえ。
知ってる? 日本で橋に金属が使われ始めたのって、主に明治時代かららしいんだよ。それ以前は木による架橋が一般的で、場所によっては渡し守に頼りっきりで、橋を作らないという地域もあった。
江戸時代となると、主要都市で橋の数が増えるけど、公金によって作られる「御入用橋」「公儀橋」の数は限られている。特に大阪での公儀橋は12しかなく、残りは町人たちが自費で作った「町橋」だったそうなんだ。町橋の数は公儀橋の10倍以上に及ぶことを考えると、人々の橋に対する需要と執念がうかがい知れるね。
この橋という代物。交通の要所といえる建造物だが、その役目は何も上を歩くばかりじゃない。最近、また新しい話を仕入れたんだけど、聞いてみないかい?
僕の父が小さかった時のこと。学校給食が全国的な広がりを見せていて、コッペパンや鯨肉の竜田あげ、脱脂粉乳が主なメニューだったらしい。育ち盛りの父たちにとっては、まだまだ不満の残るメニューで、常日頃、家に帰るまでの間で物を食べられやしないかと、悩んでいたそうなんだ。
小遣いは少なく、菓子などを満足に買えるだけの額はない。中には人の畑から、こっそり大根などを盗って食べたという武勇伝を語る奴もいた。
どこまで本当か分からなかったが、人の家の畑といったら持ち主のみならず、通行人の目にさらされる危険が高い。見つかった時のことを考えたらなんともバカげた行為で、父親としてはとても真似する気にならない。
――せめて、ひと目につかないところで、こっそり食べられるところじゃないとなあ。
そんなことを考えていたある日。同じ学校に通う同地区の高学年から、下校際に連絡事項が回ってくる。
この頃は、今よりもはるかに外遊びをする機会が多く、そこに学年の垣根もほとんどなかった。低学年は早くに下校時間を迎えるから、あらかじめ高学年から「今日はどこどこで遊ぶから、何時ごろにいろよな」という待ち合わせ連絡が来る。
当時は、空き地を初めとして遊ぶ場所が盛りだくさん。大人数でも少人数でも遊び方はあったから、行けば何かしら楽しい思いができることが保証されていたんだ。
しかし今日指定されたのは、これまで一度も遊び場所に選ばれたことがないポイント。
「夕飯まで待てねえほど腹減っている奴、15時半に『二ツ川橋』へ集合な!」
二ツ川橋。それは父の地元にある橋のうち、昔ながらの木でできていて橋脚が多く、長いもの。あくまであだ名であり、正式名称は別にあるらしいが、父たちは知らなかった。
この橋につながる道は細くて、車は満足に入ってくることはできない。もっぱら歩行者や自転車によって利用されるその橋桁の中ほどは、眼下の川よりも4,5メートルは高いところに位置していたとか。
先にも触れたように、ここが選ばれたことは初めて。しかも「遊ぶ」という行動ではなく、「腹が減っている奴」と人を指定してきている。
へんてこなお誘いに警戒心を覚えたか、不参加を表明する人も多かった。父も給食に不満を覚えていなかったら、おそらく断っていただろうと述懐している。でも、その日は格別お腹が減っていた父親は、この誘いに乗ってみようと思ったんだ。
二ツ川橋のたもとに集まった他の3人は、いずれも見知った顔だった。父のような飯目当てだったり、単純に好奇心だったりと、高学年生の思惑がいかようなものか知りたいと思っていたそうだ。
ほどなく、連絡を回した高学年のお兄さんが姿を見せる。声も図体も大きい、いかにもガキ大将の雰囲気があるが、がさつというわけじゃない。遊び道具の使い方から、悩み事に関する相談にまで乗ってくれる、頼りがいのある人だったらしい。
「俺さ、どうしても飯が足りなくて、ここで作っているんだ」
集まった顔ぶれを見ながらの、第一声がこれ。周囲に畑があるわけでもなし。父たちが首を傾げていると、お兄さんは橋の真下へと下りていき、父たちに着いてくるように促してくる。
中ほどは高さがあるが、たもとであれば、せいぜい地面との差は1メートル前後。少しかがめば潜り込むことはできたが、そこにはゴザによる仕切りが作られていた。橋と土の間に竿を挟み込み、そこから吊るされる薄汚れた表面は、いかにもお乞食さんが住んでいそうな気配を漂わせている。
お兄さんはそれを戸惑いなくめくり、中へ入ってくるよう手招きしてきた。父たちは顔を見合わせながら、恐る恐る中へ入っていく。
どこから拾ってきたのか、学校で使っているものとよく似た机が4つ。2つずつで組となり、やや間を置きながら向き合っている。いずれもむき出しの金属部分に、ところどころ錆が浮かんでいた。そしてひとつの机の上には、当時の最新製品だった懐中電灯が横たわっている。
お兄さんがぱっと明かりを点けると、光輪の中に橋桁の裏側や、こちらに向かって軽く傾斜する土の壁などが映し出された。その明かりが動いて机の下を照らし出すと、父たちは目を丸くした。
地面から双葉がいくつか生えていたんだ。双葉といっても指でつまんで、ぶちっともぎ取れる大きさをイメージしちゃいけない。葉の片割れだけで、父の広げた手のひら二つ分が収まってしまうほどの大きさだった。
「これ、陽の光に当てると枯れちまうんだ。だからここで育ててる」
ぽかんとしている父たちの前で、お兄さんは机たちを少し散らすと、双葉のひとつに手を掛ける。ぐっと引っ張ると、ほどなく葉に続いて地面から離れ始めるものの姿が見えてきた。
父は初見でそれを「黄色い大根だ」と感じたらしい。丸みを帯びた逆三角を成す、その根とも実ともつかない部分は、みずからほのかに光っていたとのこと。くっついた土を軽く払うと、お兄さんはその頂点である先っちょに歯を立てた。
シャクシャクと、まるでかき氷を食べるかのような音と共に、黄色い身の部分がどんどんお兄さんの口の中へ収まっていく。ほとんど手と口を止めることなく食べ進めた彼は、残るが葉だけになってしまうと、暗がりの河原へ向けて、ぽいと投げ捨てる。
「なかなか美味いぞ。お前たちも食ってみ?」
お兄さんは、自分から次々と黄色い大根を引き抜き、父たちに一本ずつ手渡していく。
父が様子を見ていると、他の面々が恐る恐る噛みつき始める。3人のうち2人は、一口めを嚥下すると、それから黙って二口、三口と運んでいく。残りひとりは少しかじって、顔をしかめる。「まずいんで、いらない」と食べかけを机の上へ置いて、そのまま橋の下を出ていった。
いよいよ試す番、と父が口にしてみると、思いのほか相性が良かったらしい。見た目は大根なのに、中身は父の好物である、さんまの塩焼きのごとき風味だったとか。それもひと噛みごとに温かい肉汁がしみ出てきて、舌が喜びに震えてしかたなかった。
これならイケる、と食べ進める父は、あっという間に葉っぱ近くまで平らげてしまう。量も満足いくもので、それなりに減っていた胃がほぼ満腹になっている。試しに葉もかじってみたものの、これは完全に植物のそれ。青臭さが鼻について、お兄さんが捨てた先達と同じ道を辿らせることに。
「気に入ったら、またこいつを食べに来いよ。いつもあるとは限らねえけどな」
お兄さんはそう告げて、その場は解散となった。
一度、美味を味わってしまうと、歯止めが効きづらくなるもの。父は学校帰りに小腹がすくと、すぐ二ツ川橋へ足を向けてしまう。お兄さんを含めた、黄色大根を美味しく思う者たちとブッキングすることもある。どうやら黄色大根は一度引っこ抜いても、数日が経てば生えてくるようだった。
お兄さんによると、当初は「育てている」と見栄を張ったが、実際にはゴザを初めとする陽が当たらない環境を提供しているだけ。水やりなどの、植物につきものなお世話はしていないらしい。
勝手に生えてくるのか? と尋ねたところ、ここからは天井に当たる、橋桁の裏を懐中電灯で照らしてくれる。そこには泥が表に染み出す、木材の顔が映った。
「上を歩くみんなの靴の裏から漏れたか、それとも誰かが内側からこびりつけたか。いずれにせよ、あの雫が垂れ落ちて地面に溶け込むと、こいつが生えるらしい。原理は分からないが美味いし、体調も崩さないしで、ありがたい限りなのさ」
それからも父たちは、黄色大根の味につられて何度か足を運んだようだけど、この間食の日に唐突な終わりがやってくる。
ちょうどお兄さんと同じタイミングで訪れ、ゴザをめくった時、「ガチャン」と頭上から金具を落としたような音がしたらしい。ふと見上げた時には、すでに斜面があるはずの左側から、何かにぶつかられていた。
水だ。斜面を突き破った鉄砲水が、ドドドッっと音を立てつつ、あっという間に机ごと二人を巻き込んで押し流したんだ。
突然のことで二人はまともな反応ができない。気がついた時には机や、流れで引き抜かれた黄色大根たちと一緒に、びしょ濡れのまま河原の砂利たちの上に寝そべっていた。
あの鉄砲水は消え去っている。水たまりのひとつすら残しておらず、存在した証拠は自分たちの身体が、びしょ濡れになっていることだけ。父とお兄さんはゆっくり身体を起こしたが、同時にお互い鼻をつまんでしまう。
肥溜めの臭いがしたんだ。身体中から、それはもうひしひしと。二人とも近くの川に飛び込んで服も身体も洗ったけれど、臭いは完全には取れず、家でずいぶんと長風呂をする羽目になったとか。
もしかしたらあの黄色大根。実は別の何かが残したフンだったんじゃないかと、父は思っているらしい。あの橋の下は何かにとってのトイレで、用が足されたから押し流されただけ。
自分たちは何かにとって、フンにたかるハエのような存在だったんじゃないかと、ぼんやり考えてしまったとか。