召喚のススメ
夜、俺はアドレイドに連れられて野営地を離れていた。
夜は徘徊する魔軍の連中を発見し辛い時間帯、出来ればかがり火をたいて見張り台に立っていたかったが、そう言う訳にも行かなかった。
アドレイドが言うには契約が不十分なのだそうだ。
契約と言われて伸し掛かられた事を思えば、非常に不安なんだが……はっきり言えば、俺に選択権は無い。
あれほどの力を見せ付けられたし、何より保護した村の生き残りが無駄死にしない様に配慮する義務が俺にはある。
ここで子供と老人を見殺しにして逃げだせば、俺は一生様にお天道様に顔向けできない。
死んだ親父やお袋によく言われていた。
お天道様に顔向けできない事はやるんじゃないと。
だから、ついて行く以外に道はない。
「なあ、お前。名前は何という?」
前方を行く異形の女は僅かに振り返り、にまりと笑う。
人を食った笑みだと思い、実際食われるかも知れないとぞっとしつつも、俺は自分の名前を告げる。
「アッシュだ」
俺の名を聞けば、異形の女アドレイドは蠱惑的な唇を笑みの形に変えて、笑った。
「随分としおらしくなったな。ここらで良かろう。近くに寄れ……」
やばい、本当に食われちまうかもしれない。
契約とかいう奴に俺の存在に何か意味があるにせよ、腕や足の一本とか普通に要求しそうな気もする。
――それでも。
それでも、この大地を蹂躙する魔軍の連中を如何にかできるならば……。
俺は決意を新たに、立ち止まって俺を待っている女の傍に寄った。
「この魔王のアドレイドとの契約には、血と精が必要だ。すこぉしばかり、精は交換したが、直ぐに跳ね除けたからなぁ……。やり直しだ」
近づく俺を見ながら、アドレイドの宝石の様な……緑色に輝く双眸が弓なりに細まった
そして、拳を握り締めて微かに震えた俺の身体を、アドレイドが細腕で引き寄せて、僅かに見下ろしながら俺の唇を再度奪った。
途端に、一気に俺の生命が削られるような感覚を覚える。
やばい、やばい、やばい。
これは死に掛けた感覚に似ている。
熱やら何やらを血と一緒に流し切りそうになった時の感覚に似ている。
魂を口から吸われる様な、死の接吻に抗おうと、逃れようとアドレイドの身体に手を押し当てて力を籠めるが、逃れる事が出来ない。
膝ががくがくと震え、力が抜けかけ、崩れ落ちそうになるのをアドレイドに支えられたまま、文字通り口吸いは暫く続いた。
「ふぅ――おい、暴れるでない。魔王からは逃れらんのだぞ?」
息継ぎの為か、一旦、顔を離して笑みを浮かべたまま言い放ったアドレイド。
再び顔を近づけて、長い、長い口付けを再開した。
死ぬ、マジで死ぬ。
俺はここで魂を絞り取られて死ぬのかと諦めと悔しさに襲われた矢先だ。
今度はアドレイドの口付けが俺の中に何かを満たしていくのが分かった。
徐々に、徐々に見えない力、生命力とでも言うべき物が注入されていく。
膝の震えも止まり、四肢に力がみなぎっていく。
長い口付けを終えれば、漸くアドレイドの顔と体が少し離れる。
貪るように互いが空気を吸い込み、吐き出している様は、傍から見たら大分いかがわしい。
「くくく……はははっ」
不意に天を仰いで笑いだすアドレイドに俺は引いてしまい、一歩下がった。
「いやぁ、甘露、甘露! 美味い精は溜らんな! このまま朝までまぐ――ああ、いやいや。その前にやる事がある」
そして、唐突なテンションダウン。
大丈夫なのか、こいつ……。
アドレイドの急変に不安を抱いている俺は、自身の身体に起きている変化には全く気付いていなかった。
目の前の女が怖かったり、エロかったりでそれ所じゃないと言った所だった。
冷静さを取り戻したアドレイドは、腰に下げていた二匹の蛇が絡まり合うような意匠の短剣を手に持ち、ずいっと俺に近づいて腕を取る。
「万軍の召喚と行こうじゃないか」
笑みを浮かべたアドレイドは短剣の切っ先を俺の手の甲に当て、ひっかく様に傷を作った。
痛みに顔を顰める俺をニマニマとアドレイドは見ていたが、戦場での日々の所為ですっかり日に焼けた皮膚から血が浮かび上がってくるとそちらを真剣な様子で眺めていた。
一滴、皮膚を伝い血が赤茶けた荒野に落ちると、不意に周囲が明るくなった。
「な、なんだ?」
俺の驚きを他所に、俺の手の甲の傷を舐めたアドレイドは、大地に視線を落として驚きの声を発する。
「ほう、我が騎士は運が良いな。この黄金の輝きはSSRの輝きだ」
えすえすあーる? なんだそれは?
ともあれ俺も慌てって視線を大地に向けると俺達を中心に黄金に輝く円が描かれていた。
魔法陣とかいう奴か?
都市部で図書館員をしていた頃に知った知識を総動員するも、それ以上の事は分からない。
黄金の輝きは眩さを増すばかりで、視界全てが輝きに飲まれそうになり、俺は慌てて目を閉じた。
……それから、どれだけ時間が経ったのか分からない。
腕を掴まれた感触があるから、アドレイドが傍にいる事だけは確かだった。
そんな俺達に語り掛ける声が響く。
「主様の守護者ズメイ、召喚により参上いたしましたわ」
凛とした声に、恐る恐る目を開けると……。
上半身が肉付きの良いメリハリの利いた女の身体で、下半身が蛇のそれと全く同じと言う存在が、畏まる様にして其処にいた。
「ズメイ、最高レベルまで上げればあらゆる魔法を使える魔法使いユニットだ。名前の由来はどこぞの守護竜だか、悪役の竜だったか。――ただなぁ、今は手軽な戦力が欲しかった。この世界で、今の状況ではSSRを育てるのは一苦労だな」
アドレイドが補足をしているのだが、俺にはその言葉の意味が、その時は良く分からなかった。