異界の魔王
じり貧の日常を過ごしていた俺に転機が訪れたのは、それから幾日と経っていない昼下がりだった。
村の退避に成功したのは良いが、この辺りは豊かとはいえない土地柄。
数十人の村人を養うだけの豊かさを他の村に求めるのは無理があった。
若い者達は魔軍との戦争で取られ、残されたのは老人と子供のみ。
男は愚か、女だって立派な戦力と国に徴収されて、帰る事は殆ど無かった。
そんな重くのしかかる様な現状の閉塞感は、抵抗組織の中にも蔓延しており、何処かに逃げ出す奴等や、自暴自棄になって村の迷惑をかけるような連中も現れている。
先は長くねぇなぁ……。
俺は一人心の中で呟く。
そう感じてはいるが、帰る場所も無く、連中を一匹でも道連れにする心算の俺は、無駄な足掻きと今日も今日とて新たな陣……と言う名の簡易な見張り台で、魔軍の動向を見張っていた。
空は嫌になるほど真っ青で、大地は赤茶けた様な荒れ地が広がる荒野。
魔軍の襲来以前より、この辺は土地が枯れていたが、魔軍の襲来以降は一層激しく土地がやせ細っている。
土の養分を吸い取って食う様な化け物がいるらしい。
連中、何でもアリだな。
ふざけやがってと、小さく文句を告げる俺の目は蠢く影を見つける。
一目で魔軍の連中じゃない事は分かった。
何故なら、人に近い姿をしているからだ。
魔軍の連中は、どいつもこいつも、蠢く泥のような奴とか、ナメクジをデカくしたような奴とかばかり。
この時は死体に取り憑くパラサイトなんて知らなかった俺は、不意に現れた人影を見て危機感も無く魔軍じゃないと判断していた。
甘いと思う向きもあるんだろうが、魔軍の連中は指揮官クラスでも人型は居なかった。
辛うじて四足の獣みたいと判断出来る奴とかは居たが、基本的には溶けかかっている何かとしか形容できない物ばかりだったからだ。
だから、俺は仲間に保護に向かうと告げて、愛銃の火吹き竜を片手に、その人影の元へと向かった。
人影は俺が向かってくると、怯えていたのか走り出した。
「待て! 敵じゃない!」
そうは言ったが、もしかしたら、ここに来るまでに、この人影は相当辛い目にあってきたのかも知れないと俺は考えた。
フードを目深にかぶったローブ姿だったが、垣間見えた顔や指先が如何も若い女のそれに見えた。
大国は早々に破れ、後は雑魚ばかりと甚振るようにゆっくりと魔軍は勢力を広げている状況。
それこそ、一時の享楽に身を委ねたがる奴は何処にでもいた。
皆が力を合わせても、如何にもならない状況だと思えば、好き勝手に動き出す奴はどうしても出てくる。
案外、これが世界の終わりかもしれないと、俺なんかは何度となく考えてしまった。
それで、俺も馬鹿になっちまえば良いんだが、生憎とそうは問屋がおろさない。
今もこうして、如何にか保護しなくちゃと女と思われる人影を追って行った。
――変な心算はなかったはずだが、実の所如何だったのかは俺も分らない。
希望が一つずつ消えていく時期だったから、心が折れちまえば欲望に流されもしただろう。
追っている俺の表情を見たであろう人影はそれについて何も言わないのだから、何とも言えん。
さて、陣から大分離れてしまった所で、人影は立ち止まりくるりと此方を向いた。
「ここまで追って来るとは殊勝だな。その一念が善意か悪意かは知らんがお前ならば良いだろう」
女はそう告げたかと思えばばさりとフードを後ろにずらした。
現れたのは銀色の波打つ長い髪に捻じれた角をはやした薄い褐色肌の女だった。
妖艶とも言えるその顔に笑みを浮かべ、唇の端から舌先を伸ばしてちろりと自身の唇をなめる様子に、俺はゾッとするような興奮と、燃え立つような恐怖を覚えた。
そう、相反するような感覚を覚えたんだ。
そんな俺を無視するように、角の生えた銀髪の女は続ける。
「我と契約して、黒い騎士となるが良い。さすれば、万軍をお前に授けよう」
と告げたのだ。
「……あからさまに怪しすぎる。故に断る」
如何に色々と興奮したり恐怖したりしたところで、こんな胡散臭い話にすぐに乗る筈はない。
一歩退きながら告げると、女は驚いたように双眸を見開いた。
「何? こう言えば一発だと聞いて居たのに……。ええい、ともあれ、我も騎士が居らんと召喚が出来ん! 力付くでも契約するぞ!」
とてつもなく嫌な予感がした。
だから、俺は慌てて逃げ出したわけだが、時すでに遅し。
俺は荒れ地に押し倒された。
逃れようと足掻く俺を笑う女の顔が、俺の顔のすぐ間近にあった。
狂気を孕んだ淡く緑色に発光する双眸を、俺は、綺麗だと思ってしまい……。
「お前は聖者か? もっと欲望に素直になれ。ほれ、力をやろうぞ……」
囁きながら、女は俺の唇を奪った。
その時だった、遠くで絶叫が響き渡ったのは。
俺は瞬時に、信じがたい事だが女を押しのけて起ちあがり、声の方角へと走り始めた。
女は暫くそこに佇んでいたようだが、プライドを傷つけられたのか怒気を纏って俺の後を付いてきていた。
今度は追いつかれることもなく目的地に付けた理由を俺が知るのは、今少し後の事だ。