何故なら
「なるほどなるほど。つまりキイチ君、君は今オジサンがしゃべってる事は何言ってるかさっぱりで、聞いたこともない言葉に聞こえるって事だね。」
手の動きで自分に話しかけられている事だけは解ったのか、自分の影に隠れながらキイチは捨てられた子犬のような顔でこちらに助けを求めてくる。
「あー・・と、つまりこのオジサンは自分が喋ってる内容、解らないですよね?少しでも知っている外国の言語だったりしませんよね?と言っていまして・・・」
「なるほど!うん、さっぱりだ!英語なら少しは習ってるけど、英語ですらないからわからない。・・・そこのブスの言ってる事もだ。」
今度はそれを聞いていたイゴーとナッシュが首を傾げてこちらを見てくる。
「あー・・と、キイチさんが言うには、団長とブ・・副団長の発言は残念ながら理解出来ず、団長が確認された通り、キイチさんが知っている言語のどれとも当てはまらない、とのことです。」
「それはこちらも同様ね。まだ隣街に居た頃、行商に同行していた学者様に帝国語を教わったけど、この子の言っている内容は、ちんぷんかんぷんだわ。聞いたこともない発音よ、とっても不思議。でも、それ以上に不思議なのは・・・。」
「ええ、そう・・・ですね。何故か・・・何故か僕の言葉だけは、どちらにも通じている、ということ・・・ですよね?」
「「「そう!」」」
三人で同時に口を揃えて言う。キイチと団長・副団長の双方は互いに何を言っているか解らない様だが、今回ばかりは理解し合えたらしい、こちらの頭痛を他所に和気藹々と喜び出す。
(どうして・・・どうしてこうなった!!!?)
話は凡そ十五分ほど前、キイチとナッシュが扉を押し開けて入ってきた所に遡る。
聴取した二人の話を纏めると、先ずイゴーの放送を受けたナッシュが、小部屋に待たせていたキイチの元へ向かい、放送を受けた旨とキイチを団長の執務室まで案内する事を告げる。
しかし、キイチにはナッシュが何を言っているのか全く理解出来ず、“日本語”というキイチの国の言葉を使って欲しいと懇願した。
すると、今度はナッシュがキイチの言葉を理解出来ずに困惑。キイチがわざと自分を困らせようとして、意味不明な言葉を使っていると邪推したナッシュは、力尽くに連行を決行する。不幸にも、これが今回の悲しい擦れ違いと、扉鍵の最期を決定することとなった。
ナッシュの強行を前に、自分と口裏を合わせた内容が虚偽だと露見し、自身を捕らえに来た相手だと勘違いしたキイチは必死の抵抗を開始。ナッシュもナッシュで突如暴れ出した目の前の少年に堪忍袋の緒が切れ、羽交い締めにして連行を試みる。
そこからは互いに叩く、蹴る、噛み付く、引っ掻く、それらの応酬。何とか執務室前まで辿り着くも、扉をノックした時に拘束が緩み、再び暴れ出したキイチを押さえ込もうとしたら、バランスを崩し、扉に倒れ込んだという事らしい。・・・犠牲となった扉鍵に追悼を捧げましょう。
この一件で、キイチはナッシュの事を完全に敵対認識したのか、ブスだ不細工だと言いたい放題。通じてないのが幸いでしたね、キイチさん・・・。通じていたらどうなっていたことか・・・。
そして、いくつかの問答の結果、最初のやりとりに至ったのである。
文字も全く別物で、日本語の漢字というのを幾つか書いて貰ったが、会話であれば通じる自分にもそれを読むことは出来ず、こちらでも自分以外の三人は意思の疎通が不可能という結論であった。
「しかしね、ナッシュちゃん。幾ら言葉が通じないからって、初対面の男の子の首根っこ捕まえて力尽くに連行しようだなんて、流石に女の子としてないんじゃない?伯父さん、ナッシュちゃんがお嫁にいけるか本気で心配になってきたよ・・・。」
「う、うるさいわね!余計なお世話よ!」
「おぶぅっっ!」
瞬間、立てかけておいた“おっかないもの”が空を切り、イゴーの顔面を華麗に捕らえる。
「あ、あれは、仕事が立て込んでイライラしてたから、その・・つい・・。何時もだったらそんな事はしません!それに、仕事立て込んでるのは仕事してくれない伯父さんのせいでもあるんだからね!そう、そうよ!すべておじさんのせいよ!」
「いや・・・だから・・・だからね、ナッシュちゃん。伯父さんは、そのおっかないものを振りま・・・・いえ、何でもないです。」
自らの叔父を殴り飛ばし、凄まじい理論で捲し立てるナッシュに、よろよろと書斎机の影から這い出てきたイゴーが反論するも、凄まじい殺気を放たれ、また机の影に引っ込む。
「何れにせよ、当面の問題はこの子の対応をどうするか、ね。大陸の出身だとしても、言葉が通じないんじゃ、わたしたちにはお手上げだわ。」
「なあに、そんなのはニーノ君に任せるしかないだろう。」
「そうね。やっぱりそれが妥当ね。」
「はあ!?ちょっとまってください!僕、これからお願い事とやらを受け持つんですよね?そっちはどうするんですか!?」
「お願い事?ちょっと伯父さん、また何か厄介事じゃないでしょうね!?」
「ニ、ニーノ君、シーッ、シーッ。ほ、ほらぁ、ナッシュちゃん、顔が怖いぞ、と。だいじょうぶ、だいじょーぶ。ちょっとしたお使いだから!そんな怖い顔で睨まない。―おおっと、ナッシュちゃん、あそこに戻ってきているのは、君が派遣した調査部隊の面々じゃないかな?うん、そうだ、きっとそうだ、そうに違いない。事件に進展があったかも知れないから、今すぐ彼らの元に戻ってあげるんだ、ほらほら、急いで。こっちのことは心配しなくて良い、本当にほんのちょっとの些細なお使いなんだ。じゃあじゃあ、また後でね!」
「ちょ、押さないで!おじさッ、話はまだおわっ―」
お願い事についてナッシュに聞かれると何か不都合があるのか、窓の外を指さして急に白々しく話を変えたイゴーはナッシュの肩を押して、部屋から追い出してしまった。
扉鍵が壊れている為、再び部屋に戻ろうとするナッシュと扉越しに力比べを数分繰り広げ、疲れて諦めたのか、一頻り罵声を残してナッシュは去っていった。
「ふぅ・・・やっと行ってくれたか。ナッシュの父(我が弟)にあの娘の結婚相手を早くとせがまれているが・・・。ねえ、ニーノ君、君あの娘と結婚しない?」
「ははは、ノーコメントでお願いします。」
「年齢を考えたら、まだ無理か。君、むかつくぐらいにませてるから、ついつい実際の年齢のこと忘れちゃうよ。」
「お願い事の一件(弱み)があるから我慢していますが、そろそろ僕も怒りますよ?」
「怖いなぁ。じゃあ、怒られる前に話を元に戻そうか。お願い事っていうのは、ね―」
「―失礼。その前に、キイチさんは同席させたままで宜しいのでしょうか?団長の言葉は彼に通じませんが、僕の発言は彼にも通じます。もし、機密内容で不都合であれば、また別室で待っている様に伝えますが?」
「いいや、居てくれて構わないよ。いや、寧ろオジサンの話、通訳して頂戴な。多分、その方が君たちのためになるだろう。」
「良くわかりませんが、解りました。キイチさん、今からこのオジサンが重要な話をされますので、随時僕が通訳します。一緒に聞いて貰えますか?」
「・・・?ああ、わかった。」
「了承して頂けました。団長、続きをお願いします。」
「お願いって言うのは、近いうちに、教皇庁から使者がこの街に来ることになっていてね。街中と周辺の案内役を要請されているんだ。ニーノ君、君に特務としてそれを任せたいんだよ。」
「僕一人にですか?教皇庁からであれば、普段なら街を上げて歓待したものだと記憶しておりますが。」
「普通の来訪であるなら、ね。だけれども、今回は先方からの重ね重ねのお達しで、隠密に事を運ばせたいそうなんだよ。だから、公表はできないってわけ。ナッシュちゃんを追い出したのは、その関係だね。あの娘、嘘がつけないからさ。」
イゴーはそこまで言うと一息入れ、キイチへの通訳を促してくる。
機密事項に触れそうな部分は端折りつつ、内密の使者が来る事、そしてその案内役を自分に任せたい事をキイチに伝えると、「そこのオジサンじゃダメなのか?」と返される。
「なんて?」
「あー・・と、その使者殿の案内が何故団長ではなく僕なのか、と疑問に思ったみたいです。団長じゃダメなのか?と言っていますね。・・・まあ、僕は何となく想像は付きますが。」
「あっはっはっ。鋭いね、確かにダメじゃない。ダメじゃないが、ダメだね。なぜならばオジサンは働きたくない。働きたくないから、こうやってニーノ君を巻き込んでいるのだよ。」
「ええ、そんなことだろうと思ってました・・・。ええと、キイチさん、訳すのも馬鹿馬鹿しい内容なので、色々あるんです、気にしないでください。」
「馬鹿馬鹿しいとは辛辣だなぁ、ニーノ君。考えてみなよ。オジサンが団長だからと使者殿を伴ってそこいらを歩き回っていたとしよう。さて、どうなるか。答えは簡単、何時ものようにオジサンの不在を知って、連れ戻そうと追いかけてきたナッシュちゃんに使者殿ごと見つかって、全てが水の泡、さ。わかるだろ?」
確かに、その結果、事情を説明するも嘘のつけないナッシュが隠し切れずにうっかり口を滑らせてしてしまい、街の噂好き達があっという間に広めるのが容易に想像出来る。
朝一で広まったらその日の夜には長老が歓迎の宴を催している事だろう。
「うん、うん。わかってくれたみたいだ。それで、ここからがその子にも関わってくる事。端的に言うと、謎めいたキイチ君を、一切合切使者殿に任せてしまおう、ってこと。どうせ今の状態じゃキイチ君の事はニーノ君、君に委ねるしかないんだ。だったら、キイチ君がそのまま君に同行して、使者殿と三人で行動していれば、使者殿に話しを聞く機会も自然とやってくるだろう、何かキイチ君がこっちに来る羽目になった事件に関する有力な情報を聞き出せるかもしれない。まあ、キイチ君の言葉と言い文字と言い、聞くことはそれだけじゃ済まなさそうだけど、さ。」
「待ってください、反対です!街の外には野獣もいるというのに・・・。キイチさんは一般人、危険過ぎます!それこそ一般人を外に向かわせて、最悪亡くなりでもしたら、団長、貴方のポリシーに反する事態に至りますよ!」
「大丈夫でしょ。彼の持ってるそれ。武器、なんだろ?しかも、家を一軒壊せる程度には強力な。」
「どうしてそれを!?」
「・・・やっぱり、か。何、単純な推察さ。事件現場からは凶器となった証拠は出ていない、となれば、凶器を使わずに行為に及んだか、実行者が持ち去ったと考えるべきだ。そして、凶器が存在すると仮定したら、君たち二人を見る限り、それに該当しそうなのは、キイチ君が持っているそれかなって。で、試しにかまを掛けてみたら、今の君の反応だ。疑いだったのが確信に変わったよ。」
「ぐっ・・・。」
「それにキイチ君としても、こんな片田舎に時折舞い込んでくる貧相な情報に頼って待つより、そっちの方が早くお家に帰れると思うんだよね。どうだい、キイチ君?もしかしたら、使者殿であればニーノ君みたいに君と言葉が通じるかもしれないよ?危険かもしれないけど、それに見合う成果は得られるかもしれない。まあ、嫌だっていうなら断ってくれていいよ。その場合はしかたない・・・ニーノ君が出発した後、崩壊事件の犯人として出廷した後、縄にぶら下がって貰う事になるかな。」
「そんなの脅迫じゃないですか!」
「そうだよ、その通り。キイチ君には同情するけど、オジサン達からしたら、何を言っても通じず、何を言ってるのかも理解出来ない、言うなれば未知の存在なんだよ、キイチ君はさ。正直言うと居ない方が嬉しいの。そんな存在を、放っては置けないだろう?かといって、言葉が通じないという理由だけじゃ拘束出来ないからね、苦肉の策。オジサンだってそんな事で働かなきゃならないのは御免だけどさ、彼を野放しにして引き起こされる騒動の後始末を考えたら、どっちみち絶対に働かなきゃならない事態になるからね。だったらオジサンにとって楽な方を、って話さ。」
犯人として出廷する、それはつまり言葉が通じないキイチは、確実に有罪判決を免れられないという事だ。
黙認または確固たる反論をしない場合は、事実として認めた事とされる。また、開廷する場合、検事は団長が務めるのだろう、あれこれ余罪をでっち上げ、絞首刑にまで運ぶ気だ。
居ない方が良いから殺すだって?ふざけるな、命を何だと思っている!
「そこまでして・・・そこまでして、貴方は怠惰を求めるのですか!」
「そうだよ。散々言ってるだろう?オジサンは働きたくないんだって。だからこそ、みんなが幸せになれる案を提示してるわけ。倒壊事件が犯人の居ない不慮の事故で収まって、君とキイチ君が面倒な使者殿の相手をしてくれて、オジサンはここで何時も通り昼寝をしていられる、あわよくば何か情報得て事態を好転してくれるっていう、案をね。それにさ、ニーノ君。危険だっていうけど、君だったらキイチ君と使者殿二人を護衛しきるなんて朝飯前、だろう?オジサン、これでも君の能力、高く評価してるんだよ。」
これほど他者への称賛を空虚なものに変えて放てる人間が居ようとは。再び浮かんだイゴーの不遜な笑みを前に、寒気すら感じる。狸なんか可愛いものじゃない、下衆な悪魔だ。
「・・・その企てが思い通りに行かなければ、僕の口も封じる・・・のでしょうね、貴方は。」
「はははっ。それはその時次第だね。少なくとも、今はまだそんな事考えてないよ。うちだって人手が多いわけじゃないんだ。そんな事したら、お鉢が回ってくるのは結局オジサンの所だからね。ほらほら、キイチ君に伝えて上げなきゃ。話の内容がさっぱりじゃ、彼可愛そうだよ?」
「・・・キイチさん。案内役の私に同行しお手伝いして頂ければ、使者殿に話を伺う事も出来るでしょう。使者殿であれば、キイチさんの巻き込まれた事故の情報をご存じかも知れませんし、僕と同じように言葉が通じるかも知れません。ここで待っているよりもそちらの方が何かがわかる可能性は高いかと思います。ですが、街の外は野獣も居り危険です。勿論、僕がお守りしますが、絶対に安全とは言い切れません。それに断って頂いても構いません。その際は・・・、その際も僕が守ります。如何でしょう?」
断っても良いと伝えた辺りでイゴーがおやおや、と楽しそうに茶化してきたが、無視をする。
「野獣?やっぱり俺は・・・。いや、何でもない。うん、わかった。その方が帰れる可能性が高いのなら、俺はニーノさんに付いていくよ。」
イゴーの言葉は分からずとも、今までの自分していた反論から、事態の重さは大凡把握していたのだろう、キイチは一瞬、視線を落とし何かを口ごもるが、すぐさま何時もの調子に戻る。しかし、それは前と同じく空元気である事は容易に理解出来、胸を締め付けられる。
「・・・わかりました。ではご協力お願いしますね、キイチさん。」
「どうやらキイチ君も承諾してくれたようだね。よかった、よかった。オジサンも嬉しいよ。詳しい事は、これに書いてあるから、後でこっそり見ておいて。じゃ、よろしくー。」
そう言うと、一枚のファイルを放って寄越し、下がって良いよと手で合図するイゴーに一礼し、団長室を後にする。いつの間にか握り続けていた、感覚の無くなっていた拳を開き、深呼吸をする。ナッシュには悪いが、あの悪魔は何時か必ず絶望に叩き落としてやると、心に誓った。
団長室での一連のやり取りを終え、本部を後にした時には、到着してから三時間以上経っていた。
徐々に日も傾き始めた時間帯、諸々の出来事に次ぐ出来事で、昼食の事をすっかり記憶の彼方に追いやっていたものの、本部を出て緊張の糸が解けた途端に、二人の腹の虫がここぞとばかりに不満を訴えかけてくる。
「そうでしたね。お昼まだだったの、すっかり忘れていました・・・。ちょっと早いですが、早めの夕食にしましょうか、キイチさん。」
振り返りつつ、何か食べたいものはありますか?と、後ろを付いてきているキイチに尋ねるも、その瞳はこちらではなく、頭上に広がる空に向けられていた。
「・・・キイチさん?」
「あ、ああ・・・。わかったよ、今行く。・・・・夕、か。」
何か思うところがあるのか、キイチは泣きそうな、沈んだ顔で呟いた。
無理もない、突然知らない土地に飛ばされた上に、妙な事件に巻き込まれ・・・・まあ、これは自分達のせいではあるが・・・、言葉が通じないなんて妙な事実を突き付けられ、挙げ句危険な仕事を手伝えと言われたのだ。
防衛団としてそれなりに経験を積んできた自分と違い、キイチは一般人。済し崩し的に受け入れたとは言え、そう易々と覚悟が定まるものではない。
自分だって、今でこそ平然としているが、二年前だったら今のキイチと同じだっただろう。そう考えると、随分と感覚が麻痺しちゃってたんですね・・・僕。
「よし!今日は色々ありましたからね!夕食は豪勢に行きましょう。景気付けです。奮発しますよ。ええ、しますとも。そうだ、どうせならお肉にしましょう。お肉を買って、家で焼いて食べましょう。ね!お肉!」
「・・・うん。ありがとう、お任せするよ。・・・ごめんな。」
ちょっと強引だったせいだろうか、笑ってみせると、キイチも自分に気を使わせては成るまいと、弱々しくも笑顔を作って返してくる。それが、また痛々しい。
「あ・・と、その・・・。いえ、行きましょう。こちらです。」
こちらも思わず言葉を詰まらせてしまう。自分がもっと旨くやってれば、この目の前の少年を、こんな悲しみに暮れた顔にせず済んだのだろうか・・・。
そこからは沈黙であった。笑う元気すら失ったまま通りを歩き、無言のまま市場に到着する。フードの影から見渡すと、そこには夕餉の材料を買いに来た人々と、それを呼び込む店員の活気に溢れている。
そんな何時もであれば心躍る夕方の風景も、今は逆に耳に触る。すれ違う顔なじみからの挨拶をやり過ごしながら、肉屋に辿り着く。
「へい、らっしゃい。おっと、教会の坊主じゃないか。珍しいな、今日はどうした?」
店内に並んでいた商品を眺めていると、それに気付いた店の主人が前掛けを直しながらやってくる。
「・・・ああ、ロジィさん。ご無沙汰してます。今日はお客さんが居るので、久々にお肉にしようかなと思いまして・・・。何か良いの、ありますか?」
「あるっちゃ、あるがよ・・・。どうした?柄になく元気ないじゃねえか。何かあったんか?」
自分では何時も通りに振る舞ったつもりだったが、かえってそれが不自然に映ったのだろう、肉屋の主人ロジィに訝しそうな顔で尋ねられてしまい、慌てて取り繕う。
「い、いえ特には。ちょっと仕事中にへまをしてしまいましてね。気分転換に散財です。」
「そうかい?ならいいがよ・・・。っと、良い肉だったか。予算はどんなもんで?」
「銀二枚ほどですね。」
「おっほー。そりゃまた、随分奮発するじゃねえか!いいね、そんじゃまこっちもうんとサービスするぜ。今日のお薦めはゴーラのヒレ肉か、ムンペの肉だな。ちょいと値は張るがビィヨの腸もあるぜ、こいつはまた珍味さ。」
ゴーラのヒレ肉は硬い肉質だが、味は悪くない。噛みきるのに手こずるものの、噛めば噛むだけ豊潤な肉汁が口いっぱいに広がり、旨味の境地へと誘ってくれる。ムンペの肉も味は悪くないのだが、脂っこい肉質であるがためくどく、飽きやすいという点に難がある。ビィヨの腸は、正直ぶよぶよしている上に臭みもあり、食えたくえたものじゃない。まるで泥水に浸した紙の束を食べているようだった。酒場ではこれに芋と香草を詰め込み蒸し上げた料理が肴として大人気らしいが・・・。ミードと言い、大人ってのはつくづく妙な嗜好をしているものである。
やはりどうせ買うならゴーラだろう。ムンペに比べると倍近い金額だが、今日は奮発すると決めたのだ。惜しまない、惜しまない。が――
「――トコトコの肉はありますか?」
「なんでい、奮発するんじゃなかったのか。何でまたトコトコなんてのを・・・。」
「いいじゃないですか。僕、あれ好きなんです。」
筋肉質の強いトコトコは、パサパサな食感で不人気なのだが、寧ろそのパサパサ感が堪らないのである。余分な脂がない為、くどくなく、いくらでも行ける。その上、安い!一塊銀一枚のゴーラ、それより安い一塊銅六枚のムンペ。更にそれよりも安く、何と一塊銅四枚である。何と経済的か。
「ほらよ、これだな。坊主ぐらいなもんだぜ、こいつを好きだっていう物好きは。――そっちのあんちゃんは何にする?」
店の入り口に並べらて吊されていた肉を眺めていたキイチに、ロジィが尋ねる。おっと、これはまずい。
「か、彼は僕の付き添いです!お気になさらず!」
慌てて取り繕う。こんなところでキイチの言語の問題が露見してしまっては、団長室でした苦労が水の泡になってしまう。
「ははん。例の客人ってのは、さてはこのあんちゃんだな。見ない顔だが、どこの出身なんだ?」
「ええ、と・・・隣街ですね、隣街。以前、商隊の護衛をした際に、合同任務で一緒になって知り合いましてねー。はるばる遊びに来てくれたんですよー。はははははー。ね!ですよね、キイチさん!」
空気を読んでくれたのか、キイチは喋らずに肯定と取れる会釈で返してくれた。
グッジョブです、キイチさん!トコトコのお肉、多めに分けて上げますね!
「そいつはご苦労なこった。そんじゃま、そろそろ店じまいの時間だしな・・・。よしサービスだ、トコトコの肉は銅二枚にしてやるよ、仲良く二人で喰いな。」
「ほ、ホントですか!?わあい、うれしいなぁ。いつもの金額で二倍買えちゃうなあ。うれしいなぁ。えへへへぇ。それじゃ、それじゃ!ゴーラ一つにトコトコを・・・トコトコを五つ!五つお願いしますね!」
「・・お、おう?そ、そんなに喜んでくれたら、俺も・・・嬉しいぜ?ちょっとまってな、今包むからよ。」
思わずにやけてしまう。ここが店先でなければ小躍りしたいぐらいだ。おお神よ、今日は貴方に色々難題を吹っ掛けられて、もう詛ってやろうかと思っていましたが。そんな僕を哀れに思って幸せを分けてくれたんですね。今までのご無礼をお許し下さい。
お肉の値引きで今までの暗い気持ちが晴れていく自分が安っぽく感じますが、それでも今はこの幸せな気持ちを少しでも長く噛みしめていたい・・・。
「――どうしましたか、ニーノ。そんなに嬉しそうに、はしゃいで。」
「ええ、それがトコトコのお肉が安く手・・・・って、うげぇ!ヨセフ神父!?」
「おや、神父さま。いらっしゃい。」
お肉の件で浮かれすぎていたらしい、気付かぬ間に、柔和な微笑みを浮かべながら横に立っていた長身の男に驚愕する。
それを見た男―神父ヨセフは、悲しそうな顔でため息をつく。
「『うげぇ』とは何ですか、『うげぇ』とは。父に向かって失礼ですよ。ニーノ。」
「し、失礼しました。ごきげんよう、神父ヨセフ。いえ、その、あまりに驚いたもので・・・。」
「ごきげんよう、ニーノ。二月ぶりですね、息災でしたか?貴方引っ越してからまだ一度も教会に帰ってきていませんが、何時でも帰ってきてもよいのですよ?あそこは貴方の家であるのと同じ。抑も教会とは、皆の心に築かれた故郷――」
「はい、元気でしたとも!すみません、ここ暫く任務が忙しくってそちらに伺えず!今度時間が出来たら必ず伺わせて頂きますね!説教もまたその時に!ほら、もう暗くなりますから気をつけてお帰りください!じゃ、そういうことで!」
何時もの調子で説教を始めたヨセフを強引に遮り、背中を押して帰る様に促す。キイチと共に居るこの場で、一番遭遇したくなかったのが、この神父である。何故なら・・・
「背中を押すのをお止めなさい。痛いですよ、ニーノ。どうしたのですか?その様に慌てて。」
「ははは、聞いて下さいよ、神父さま。それがですね――」
「あーーっと、そうだお代、締めて銀二枚でしたね。はい、銀二枚!それじゃまた来ます!行きましょう、キイチさん!」
注文した肉を包み終わり笑いながら近づいてきたロジィから引ったくるように荷物を受け取り、代わりに銀貨を押し付ける。突然の事できょとんとしながらロジィが「毎度」と返してきたのを背中で受けながら、店の外へ向かって走り出す。
突如声を掛けられたキイチは訳が分からず首を傾げたが、今は説明している時間すら惜しい。これ以上ここに居るのは危険だ、逃げなくては!何故なら・・・
「ああ、で今から肉で晩餐だって言うんですよ――」
・・・店の外まで後七歩!入り口に居るキイチを捕まえて、全速力でこの場から立ち去る、それしかない。
後は主人次第、あの滅びの単語が何時飛び出るか、にかかっているが、路地裏まで逃げ込めればこちらの勝ちだ。負けるわけにはいかない、何故なら・・・
「微笑ましい話じゃないですか――」
・・・後三歩!キイチの腕を掴むために速度を緩めざるを得ず、悔しくも失速する。
間に合え!間に合え!間に合ってくれ!否、絶対に間に合わせなくてはならない!何故なら・・・
「隣街から来た――」
・・・後一歩で出口!行けるか・・・?いや、行くしかない!店を出たら右に行って直ぐの路地に逃げ込もう!
急に腕を引っ張ったせいかキイチから苦悶の声が聞こえたが、気になどしていられない。何故なら・・・
「『友達』を――」
・・・逃げ切れた!!――と思った瞬間の出来事だった。背後から受けた強烈な風と共に、何時も慣れ親しむ重力から解き放たれ、視界が遮断される。ついでに酸素も。
「もてなそうだなんて。ねえ神父さま?あれ・・・神父さま、いつの間にそんな所に?」
「ニーノが・・・」
何も見えないが、恐らく自分はヨセフに思いっきり抱きしめられているのだろう。直ぐ近からでヨセフの振るえた声が聞こえる。何故、脇目もふらずに逃げようとしていたかと言うと・・・
「はぁ、坊主がどうかしたんで?」
「ニーノが初めて友達を連れてきたんですううううううぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!!!」
感極まって号泣しながら絶叫するヨセフ。
そう、こうなるからである・・・。
おい、神。やっぱお前、僕を弄んで楽しんでるだろ?