崩壊序曲~another~
電話を切った清水の背後から、西九条の呆れたような声が聞こえた。
「なあに? 天王寺のやつ、寝てたの?」
教区の折衝交渉から戻ってきた西九条は、心なしか以前より態度が大きくなっている。
清水は訓練生時代の彼女を知ってるだけに、出世は嬉しいが次第に遠慮がなくなっているのを苛立たしく思っていた。
「人の話を盗み聞きするな。あと上官に向かってなんだその口調は」
「はいはい。わかってます。仕事上は上司として敬っています。……で、寝てたって?」
好奇心旺盛なのは相変わらずか。
清水は苦笑して答えた。
「ああ。間の抜けた声をしていた。もともと普段から奴はたるんでるところがあるしな」
「そんなことないと思うけど。あいつ結構モテてるし。オペレーターの女子から天王寺のことよく聞かれるもの」
「なに?」
「なんだとおぉぉっ?!」
司令部のドアを破壊するかのような勢いで飛び込んできた今宮が、聞き捨てならないとばかりに近づいてきた。
「それ本当かよ、西!」
「ちょっ……! 触んな、バカ!」
西九条は肩を掴んで詰め寄る今宮の手を思い切り引っ叩いた。
だがまるで痛がる素振りすら見せない。可愛げのない、と西九条は舌打ちする。
「なんであんな奴がモテて俺がモテねえんだよ、そんなのおかしいだろ!」
「おかしいのはあんた! モテる要素がどこにあるのよ?」
「ちょっ……そりゃないっしょ」
「やかましい、今宮! 報告はどうした!」
まるで学生を指導する教師みたいな気持ちだと思いながら、清水は怒鳴って今宮に現状の報告をさせた。
型通りの報告をした後、今宮は詰め寄るように西九条に言った。
「だいたいあの野郎、女なんか見向きもしてねえだろ。まるで女っ気ないからアッチの気でもあるのかと疑ってたくらいなんだが」
それはさすがに酷い言い草なんじゃないだろうかと清水は思った。
たぶん海外帰りという噂が一人歩きしているのではなかろうか。
しょうがない、と義理も恩もないが、あんまりなので清水は助け船を出してやることにした。
「それはないな。向こうで一通りの女遊びはしていたそうだ。確かに見てくれだけはいいからな」
「なんっ……だと……」
今宮が絶句していた。
「へえー、天王寺もやるじゃない。昔はまるっきりネンネだったのに」
「そういう貴様はどうなんだ?」
「ぎくり」
「西ー、擬音が声になってっぞー」
「やっかましい!」
二人の掛け合い漫才を見ながらため息をついた清水は、とても天王寺瑚太朗の略歴を知らせるわけにはいかないと思った。
知れば二人のことだ、確実に離れていくに違いない。
(奴はただの人殺しだ……)
それは清水にも同じことがいえるわけだが、自分など遥かに及ばないプロだということを知っている。
そんなとき、司令部のドアが再び開いて、渦中の人物と江坂が同伴して入ってきた。
「江坂室長!」
「久しぶりだな、皆」
天王寺は江坂の少し後ろにいた。どうやら途中で合流したらしい。
「早速で申し訳ないが、清水以外の皆は少し席を外して欲しい。天王寺、貴様は残れ」
「あ、はい」
今宮は内心「うへえ」と思ったが表情には出さなかった。早速のお説教か何かだと思ったからだ。
だが清水だけは内情に通じていた。
西九条は退室しようとドア付近まで行ったとき、ふと、気になるものを感じた。
それは瑚太朗の側を通ったときに気づいてしまったものなのだが。
彼女は今宮とともに退室した後も、それが気になって俯いていた。
「どうしたよ、西」
「あ、……うん」
こんなことこいつに言っても仕方ないかも、とは思ったが、やはり気になることは放っておけない性分だった。
「天王寺から、なんか匂いがしたから」
「匂い?」
「なんか……こう……森みたいな匂い」
「森ぃ? なんだあいつ、こんな夜中まで監視任務してたのかよ」
現在は深夜零時だった。
「それはないと思う。清水教官が電話かけたときは、寝てたって話だから」
「じゃ森で寝てた? んなアホな」
「でも、森ともなんか違うのよね……香水みたいな……」
「はああ?」
「移り香っていうのかな。たぶん他のみんなは気づかないと思う。巧妙に隠されてた」
「じゃなんでおまえにわかるわけ?」
「女のカンみたいなやつ。と言えばカッコいいけど、私これでも調香師の免許持ってるの。以前潜入捜査したとき仕事上で必要になって」
「なーる……。しかし香水だと? ……まさか」
「そのまさかだったり」
二人は顔を見合わせた。
「いやいやいや! そりゃあり得ないっしょ! だってそんな噂まるっきりきかねえぞ!」
「だって女遊びはしてたっていうじゃない」
「それがそもそも想像つかないんだって。あの天王寺がだぞ?」
「確かに……。でも年月は人を変えるし」
「顔つきとか別人みたいになったよな」
「身体つきもかなり逞しくなってる」
二人は黙りこんでしまった。
「なあ、西。おまえあいつどう思うよ?」
「どうって?」
「その、ちょっとは異性として意識してるとかあるわけ?」
「はあ? あるわけないじゃない。あたしよりあいつ年上……」
言いかけて西九条は気がついた。
そういえば一つ上だった。
西九条は年上好みだった。
「それはともかく、まったくそんな気はないわね。向こうだって意識してないし」
「だよなー。俺らそういうのまったくもってこれっぽっちもなかったし」
「もうここまで腐れ縁が続くと、考えるのもアホらしくなるわね」
二人は小さくため息をついて、貧しい青春を送った我が身を儚んだ。
「特殊工作班……ですか」
「うむ。貴様の経歴から適任だと判断した。いわゆる表部隊とは無縁になるわけだが、引き受けて貰いたい」
瑚太朗は有無を言わさぬ命令に眉をしかめる振りをしたが、内心は思うツボだった。
これで盗聴器を仕掛ける範囲も広げられるし、あまつさえ裏工作部隊の暗躍に関わることができる。
願ってもない話だった。
「しかし自分は、軍事オペレーターくらいしか経験がなく」
「嘘をつくな。警備保障会社からSEALsに配属し173空挺師団にも所属していたことは掴めている。暗殺、拷問、テロ制圧、要人警護、毒薬製造部門、兵器開発部署、まだまだあるな」
(そこまで調べがついていたか)
まあ隠してるわけでもなかった。そんなのは経歴のうちに入らない。
本当に隠す情報というのは、目立つ略歴の裏に隠されているべきものだ。
そんなことにも気づかないガーディアンに平和な頭だと内心思う。
「なぜこれを公式書類に記さない? 詐欺文書偽造に問われるぞ」
「まて清水。誰でも隠したい過去はある。……天王寺。貴様が隠したがっているのなら、むしろそれを生かして役立ててみようとは思わんか」
「……つまり、黙っている代わりに引き受けろと」
「身も蓋もないがそういうことだ。これは取引だと思って貰いたい」
瑚太朗は唇を噛み締めて悩む振りを一瞬だけ見せた。
一瞬でいい。
それだけで彼らは信用する。
「……お引き受けします」
承諾をせねばどうせ殺すつもりだったのだろう。江坂のホッとした表情がそれを物語っていた。
(これである程度時間を短縮できる)
海外にいる孤児院の彼らと連絡を取り、偽装工作をして貰う。
万一、教区側と会議側の連携が取られてしまうと、鍵探索が加速度的に進む。
江坂の裏をかくには、教区側の動きを封じねばならなかった。
(確か……ミドウ。あの子供が溶岩の魔物を操っていた)
瑚太朗の中で目まぐるしくこれからの暗殺計画が立てられていた。
もうこの際使える者は誰でも使うつもりじゃないと、本当に間に合わなくなってしまう。
篝の状態がこれ以上追い詰められてしまう前に。
「ところで貴様……なぜすぐにコールに応じなかった?」
清水が痛いところを突いてきた。
ここは誤魔化すしかない。
「申し訳ありません。緊急時のコールだというのは承知しておりましたが」
「寝ていたわけではあるまい?」
(詮索すんなよ……)
中学生のガキでもあるまいし。
清水が何を言いたいのかおおよそ察していた。
「……」
「ほう、天王寺ももう夜遊びを覚えたか。そうかそうか」
なぜか江坂は嬉しそうだった。
わが子の成長でも見守る父親の顔つきをしている。
「で、天王寺。どんな相手だ?」
「室長!」
「うるさい。私が天王寺にきいてるのだ。貴様はどこかへ行ってろ」
清水はショックを受けたような顔で立ち尽くして、しばらくするとすごすごと退室して行った。
「これで二人きりだ。遠慮なく話してみろ」
「室長……あの」
「二人のときは江坂でいい。なんだ、天王寺。日本で恋人でも見つけたか」
(まいったな……)
この人のこういう気さくなところは嫌いじゃないんだが。
相手が相手だけに、明かすわけにもいかない。
だが……。
恋愛相談くらいなら、してみてもいいかもしれない。
どうせ叶わない恋なのだ。
「好きな女は……います」
「なに?! やはりそうなのか」
「俺には届かない相手です」
「年齢差か? 人妻か? 高嶺の花か?」
「最後のほうです。とても届かない人です。でも彼女のためにふさわしくあればと」
「それは……難儀な恋だな」
「もともと恋愛経験ありませんから。いつも空回りばかりしています。この前も彼女を裏切るような真似を……」
しまった、と思ったが遅かった。
ここまで言うつもりじゃなかったのに。
江坂は真剣な表情で瑚太朗を睨んでいた。
「あ、あの……」
「天王寺。おまえはその女性に誠実であろうとしたのか?」
「え?」
「どうなんだ?」
「そ、それはその……もちろんです。今だって誰よりも大切に思っています」
「ならばいい。その気持ちを忘れさえしなければ、いつかきっと報われるときがくるはずだ」
「…………」
「後悔だけはするな。自分の信じた通りに進めばいい。大切な人というのは人生でそう多くは得られぬものだからな」
「江坂さん……」
「まあこんな枯れたおやじが言っても説得力には欠けるかもしれんが」
「そ、そんなことは!」
「おまえはまだ若い。若さというのは恐れを知らずに突き進む勇気を持っている。そのまま進め。後悔だけはするなよ」
「はい」
まるで本当の父親のような口調だった。
それは瑚太朗の中で忘れていた、本当の両親の姿を浮き彫りにしてくれるものだった。
(親父も……きっと……)
機会さえあれば話すこともあったかもしれない。……だが。
(今はもう振り返るときじゃない)
瑚太朗は置き去りにした過去を、再び心の奥にしまった。
「篝……っ?!」
急いでセーフハウスに戻って部屋を開けると、篝がベッドから落ちて床を這っている状態だった。
瑚太朗は慌てて篝を抱き上げた。
「ど、どうした?!」
「瑚太……朗……」
瑚太朗の身体を確かめるように手とリボンを使ってあちこちを触る。
服の上からまさぐられ、瑚太朗はわけもわからず篝の手を取って自分の頬にあてた。
「俺はここにいる。どうしたんだ、篝。何があった?」
「……み、た……い……」
「え? 見たい?」
「コーヒーを……飲み……たく、て……」
瑚太朗は目を丸くした。
篝があまりにも必死な顔をしているので、一瞬何を言ったのか脳に伝わるまで少しかかった。
「はい?」
「コーヒー……飲みたい……です……」
「……えっと、それは、冗談とかじゃなくて?」
「……?」
篝はきょとんとして瑚太朗を見た。
至極当たり前の行動のようだった。
一瞬、身体がまた変調をきたしたのかと心配したが。
(……よくわからんが、篝の調子は戻ったってことか?)
そういえば以前、森にいたとき――まだ小鳥と会う前だったか。
『瑚太朗。これはあなたが入れたものですか?』
『え? ああ、コーヒーだけど飲むか? ……って、篝は飲み食いなんてしないか』
『コーヒー……』
『まさか飲みたいとか?』
『あなただけ飲むなんて許しません。篝にも寄越しなさい』
『はいはい。どうぞお姫様』
『……』
『どうせ不味いってんだろ。インスタントだし砂糖だって入れてねえよ。悪かったな』
『懐かしい味がします』
『はい?』
『よくわかりませんが、以前にも飲んだ記憶があります。検索に時間がかかりますが』
『……鍵がコーヒーを? 確かにそれKey coffeeだけど』
『瑚太朗。もうひとつください』
『そこは一杯と言え。魔法瓶で持ってきたからこれごとやるよ。……しかし鍵がコーヒーをね……』
『明日も持って来てください』
『おまえ、だんだん遠慮なくなってねえか?!』
こんなこともあった。
それから何度となくコーヒーを運んだような気がする。
食べることのない篝が、なぜかコーヒーだけは飲みたがるのを不思議に思ったものだったが。
(ここまで好きだったとは……)
瑚太朗は篝を抱きあげると、ベッドへと運んだ。
「わかった、今入れてきてやるからここで待ってろ。……っと、後始末のほうが先か」
「先に……コーヒーを……」
「わ、わかったよ。わかったから」
篝が瑚太朗の袖を引っ張り、縋るような目で見つめていた。
コーヒーブレイクするような時間ではないが、この際付き合おう。
「瑚太朗……飲んだら……続きを……」
「ええっ?! まだやんの?!」
「まだ……終わって……ないです」
「……いや、まあ、途中でしたけど。……篝、レポート急がないといけないんだ。続きは明日でも」
「時間……ないです……」
「わ、わかった。確かに篝のほうが優先事項でした。じゃあえっと……いま入れてくるよ」
現在時刻午前二時。
瑚太朗は睡眠を諦めた。
(篝が寝るまで付き合うしかない……)
孤児院への連絡や、暗殺計画書の作成や、レポート、毒薬の調合に、武器弾薬の密輸、それから……。
数えるのもアホらしくなるほどやることがたくさんありすぎる。
だがそれ以上に篝を満足させてやることの方が何よりも優先した。
(俺、間違ってないよな……?)
何度も自問を繰り返しながら瑚太朗はコーヒーを入れていた。
Terraルートの瑚太朗は、本編では断片でしかわかりませんが、かなり博識です。
『崩壊序曲』からの続きになりますが、瑚太朗は実は凄い経験を積んだ人ではないかと思い、勝手に予想してみました。
予想というかほとんど妄想ですけど。




