スティーヴンソン著「ジキルとハイド」
夏だ! 海だ! お祭りだ!!
ということで書店ではいま、カドフェスで賑わっていますよね。角川文庫が推す、いま読んで欲しい100冊が綺麗な装丁に帯をつけて、我が物顔で店内の書架を埋め尽くしております。
このカドフェス、今話題の新しい作品ばかりではなく、むしろ不朽の名作と呼ばれる過去の遺物をあの手この手で売り込もうとする編集者の情熱を感じられるイベントでもあります。太宰治さんの人間失格に、アニメ的な装丁をつけて若者の興味を煽ってみたり、かと思えば有名手ぬぐい店とコラボして上品な柄の装丁を作ってみたり……そして私を特にひきつけたのが、シンプルカラー。グレー1色にワインカラーに輝く文字でぽつんと、「人間失格」ヴァイオレットのキャンパスに銀文字で「銀河鉄道の夜」……
究極に無駄を削ぎ落とした文庫本達が、全8色。ケースに収まった絵の具のように並んでました。内3つは持っている作品ですが、気づけば8色全てを持ってレジへ。本棚に並べて鼻息をひとつ吐いたところで……なにしてんだろ。と思いました。ちなみにジキルとハイドは赤に深緑の文字です。
とまぁそういった経緯で我が家へやって来た本作。名前だけは聞いたことがあるという方がほとんどではないでしょうか。かなり有名な作品です。劇にもなりました。映画にもなりました。アニメーションだってあります。アベンジャーではロキがひどい目にあってました。
閑話休題。
とにかく、このあまりに有名すぎる作品を読み終えた時に頭によぎった感想……「この作品と、初対面であったなら!!」
この一言に尽きます。ジキルとハイドは有名になり過ぎたんです。彼らが持つ、誰にも知られてはいけない──それはたとえ全面の信頼を寄せる古き良き友にも──秘密が、あまりに有名になりすぎた。2人が、あるいは作者が隠したかった秘密を、読者は本を手に取る前から知ってるんです。お喋りな友人の解説を聞きながら映画を見ているようなものです。なんて勿体ない!
とはいえ、嘆いてばかりでは進みません。敬虔なクリスチャンだと語る仏教徒の友人に賭けて2人の秘密については固く口を閉ざしましょう。なにはともあれ、この2人を軸に物語は進みます。
ある日、寡黙な弁護士であるアタスンは、友人でもあり従兄弟でもあるエンフィールドと、霧の立ち込めるロンドンの市内を散歩していました。普段は、ただふたり並んで歩くだけの静かな散歩道なのですが、「実は恐ろしい体験をしたんだ」エンフィールドとの何気ない会話から、物語は進み始めます。街灯だけが控えめにまたたくロンドンの夜。地面に転んだ少女を平然と踏みつける男を見たのだとエンフィールドは語る。なんともいえない生理的な嫌悪感を抱くみてくれだったというその男の名を、アタスンは知っていた。依頼人であり、古き友でもあるジキル博士から預かっていた遺言書。そこに書いてあった名前と、全く同じだったからだ。全く聞き覚えのない名前に、ジキルに聞いてもはぐらかされ、秘密裏に調べても噂一つ掴めなかったロンドンにさ迷う幽霊のような男。彼の名前はハイド。ジキル亡き後、その莫大な遺産を全て相続することになっている男だった。
このあまりに悪そのもののような男と、人の善意が服を着ているような友人の関係にアタスンは疑問と不安を抱かずにはいられません。アタスンからの注言に、大丈夫だ心配いらないと、聞く耳を持たないジキル。友人想いである彼は、ハイドについて調べ始めるのだが……
彼の周りでは様々な事件が起きます。小さなものから、ロンドン中を揺るがす大きなものまで。そしてそれら全ては、2人の秘密に繋がっていくのです。
構成が実に見事。終盤で広げた風呂敷が一気にひっくり返されるような、ミステリー小説の一面をこのジキルとハイドは持っています。それだけにそこを知っているという悔やみがあるわけですが。
しかしそこを置いても、とても読み応えのある話でした。意訳者さんの血が滲んで滴るような努力のおかげで、文章は読みやすく100年以上も前に書かれたものとは思えないほどです。内容も新しいとは言えませんが、確かな実力を感じさせる安心感を持っています。似たような展開の作品は、むしろこの作品が根幹にあるんでしょう。
最後に残されたジキルの手記。そこに書かれた懺悔と真実は、とても心が揺さぶられるなにかがあるように感じました。知っていてもゾクっとします。
最後になりますが、秘密が暴かれたくらいで色褪せる作品ではありません。どうしても終盤にかける衝撃は小さくなってしまいますが、それにこだわらないほかの部分でも魅せることが出来る作品なんだなと思いました。もし私と同じように、装丁に惹かれて買ってしまったけど……という方も、是非飾るだけじゃなく目を通してみてください。そんなに分厚い本ではありません。
それでは、長くなってしまいましたが、最後にもう1度作品名を綴り、締めとさせて頂きます。
スティーヴンソン著、田口俊樹 訳、「ジキルとハイド」
気になった方は是非書店へ!