第一話 アルケミナ・エリクシナの日常
そのシステムは、世界にとって革命的なものになるはずだった。
膨大な土地に、多くの高層ビルが密集しているのが、特徴的な摩天楼。この場所は、錬金術で財を成した、国家アルケアの東側に位置する八大都市ノーム。
アルケアは、百の都市と、千の町と、万の村で構成される、世界最大級の超巨大国家である。
ノームで一番高い場所。高さ二百メートルは超えるビルは、最高レベルの錬金術研究を進める錬金術研究機関『ファジアール機関』の研究所。
その研究所の一室で、一人の女性が目を覚ました。腰の高さまで伸ばされた白銀の長髪に、切れ長の青い瞳。世のすべての男性が視線を胸元に移しそうな程、大きな胸に痩せた身体。常に無表情なその女の名前は、アルケミナ・エリクシナ。
今日は世界を進化させる日。にも関わらず、彼女は研究室に寝泊まりしていた。
アルケミナは、大きく欠伸をしながら、白衣に袖を通す。すると、研究室の引き戸が開き、一人の青年が入ってきた。
青年の特徴は、黒く短い清潔感のある髪に、少し健康そうな小麦色の肌。身長はアルケミナとは数十センチ程低い。
彼の名前はクルス・ホーム。表情を何一つ変えないアルケミナとは対照的に、彼は元気で底なしの明るさが、取り柄である。
彼はアルケミナの錬金術研究の助手を務めている。
「おはようございます。先生」
クルスが元気に大きな声で挨拶すると、アルケミナは再び欠伸をした。
「先生。少しは五大錬金術師としての自覚を持ってください。みっともないですよ」
クルスの呆れた声を聞き、アルケミナは無表情で答える。
「別に構わない。欠伸は自然現象。寝起きで欠伸が出るのは普通の話」
「だから、全世界のファンがこの素顔を知ったら悲しむということです。有名なイラストレーターから、肖像権の申請も来ています。それくらい大ヒットしているんです。五大錬金術師のイラストは」
クルスが強い口調で、アルケミナに説得を試みる。だが、その言葉をアルケミナは気にせず無表情で反論する。
「営業スマイルは無駄。自分を偽ることは非合理的なこと。あのイラストは美化されたもので、世間が描いた幻想。そうでなければ、ブラフマのイラストが売れるわけがない」
アルケミナは、無表情で毒舌を吐くことができる。これは彼女が、合理主義者であることも影響している。
それでも、クルスは世間のイメージを壊すようなことが許せない。クルスはブラフマのことは目を瞑り、アルケミナと議論を続ける。
「ブラフマさんのイラストが美化されていることは正しいことですが、五大錬金術師は人気なんです。だから、世間の期待を裏切らないような行動をしてください」
「議論は時間の無駄だから、その有名イラストレーターが肖像権の申請をしているという話。許可する」
一応仕事の話は聞いていたのかと、クルスは思った。
アルケミナは白衣に着替えると、二メートルの大きさを持つ『創造の槌』を手にした。
研究所の床には、花柄の腕時計が置かれている。その腕時計の針は止まっていて、動こうとしない。
「今日の予定を聞く前に、プライベートの仕事を済ませる」
「何ですか」
クルスが聞き返すと、アルケミナはクールな口調で私用を伝える。
「昨日私の腕時計が壊れた。時計屋に修理に出すのも時間の無駄だから、これで新しい奴を製造する」
アルケミナは創造の槌を、床に置かれた花柄の腕時計に向けて振り下ろす。
それにより、円形の魔方陣が床に出現する。北に融解を意味する蟹座の記号。
南に凝固を意味する牡牛座の記号。東には腕時計の主成分である鉛を意味する土星の記号。西に鉄を意味する火星の記号。
円の中心には土を意味する逆三角形に横棒が引かれた記号。
それら五つの記号で構成された魔法陣の上に、腕時計が置いてある。
槌が地面に触れた瞬間、腕時計が光に包まれる。その光が消えると、床には水玉模様の腕時計が出現していた。腕時計の針は時間を刻む。
アルケミナが行ったのは錬金術。槌で叩けば、魔方陣が出現し、炎から電気まで、様々な物を創り出すことができる。錬金術の使用用途は、日常生活から病気の治療まで様々。
アルケミナは錬金術で腕時計を修理した訳ではない。アルケミナは壊れた腕時計という物質から、新たに腕時計を創造した。
ただ二メートル程の槌を振り下ろしただけのように見えるが、錬金術は容易な物ではない。この錬金術を使用するための最低条件は、複雑な魔方陣の知識と錬金術師としての才能。
さらに、アルケミナが所持している槌と、同じものを手に入れなければならない。
万物を創造する錬金術を使うことができるのは世界で一人。アルケミナ・エリクシナのみである。