金魚鉢
「私は金魚鉢になりたいの」
去年の異常に寒い冬の日、厚手の手袋を顔の前でこすり合わせながら、屈託のない笑顔を覗かせて、彼女は実に唐突に私に対して宣言した。
彼女と私は放課後に美術部の活動として二人で描いた合作についての話をしながら学生寮に帰る途中だった。
合作の絵は、床に置いた百号のキャンバスに向かって、バケツに入った絵の具を半狂乱の体でぶちまけることで日頃のストレスの発散をしていた結果、この世界に誕生したものだ。
無から有を作り出した代償として、二人の顔や手、そしてスカートから不恰好に生えた二本の脚に色とりどりの絵の具が無数の傷口のように付いていた(制服は製作時、レインコートを着ることによって無傷だった。)。
そんなジャクソン・ポロックが描いたアクションペインティングの無様な模造品についての話をしているところに、彼女の宣言は闖入者のように現れた。
私は少し面食らってしまったため
「ん?新手のギャグか何かかしら」
と取って付けたような返事しかできなかった。
「それが違うんだなぁ」
私のまごつきを見透かしているかのように彼女は独りごちるように言うと、微笑みを残したまま消えていった。
と、彼女は不思議の国の住人とかではないので実際はその後、彼女とどんな話をして帰ったのか私が覚えてないだけの話。
私の記憶の中の彼女は微笑みそのものとなってしまっている。
そんな彼女は今年、小春日和でのどかな秋の日に「卒業」した。
今となっては彼女の宣言の真意は分からなくなってしまった訳だ。
解釈しようと思えば、いくらでもできるだろうが、それは結局、独り善がりの空想の域は出ないだろう。
ただ確かなことは、私たちは金魚鉢では勿論なく、その中でふよふよ泳ぐ金魚、しかも、縁日においては金を出して捕まえたくなる程度の色彩を持っているかもしれないが、金魚鉢で飼おうとしても、数日で死んでしまう脆弱な金魚のような存在だということだ。